終戦(1/2)
太平洋戦争は終結しましたが、第二次世界大戦は各地で続いていました。それもやがて収束していきます。そのキッカケは独国で起こった”閃光作戦”でした。
中国本土では、蒋介石は総統となり、民主共和制国家「中華民国」が設立。
南京は南京特別市となり、92%ユダヤ人8%華人が住む。
99年間租借地となった南京。
ここは一国二制度の特別行政区分となった。
一方、満州国はどうなっていたか?
張作霖、張学良が親日寄りの政権を維持している。
弐キ参スケは確かに存在した、しかし規模は絶大ではない。
彼らはホールディングスを作って、多角経営に乗り出していた。
時はスターリンが支配するソヴィエトの時代に突入していた。
スターリン「どうしても日本が倒せない」
米国との講和条約締結とともに満州国はさらに国境警備を強化。
アムール川沿いに、機動部隊を展開し、ソ連南下に備えた。
国境線を境ににらみ合いを続ける日本とソ連。
日ソ中立条約をスターリンはなんとか破棄したかった。
スターリンは満州を国家として承認していない。
そのために宣戦布告せず、いつ侵攻作戦が起こるか。
ソ連軍157万余人、火砲2万6千門、戦車5千余両、航空機3400機。
日本軍74万余人、火砲1000余門、戦車200両、航空機350機。
圧倒的兵力と火力、機動力の差は戦闘になったら全滅覚悟だった。
だが日本軍の覚悟をよそにソ連軍は一向に攻めてくる気配がない。
スターリン「日本には超爆弾というモノがあるらしい」
「スパイに探らせているが、日本は世界一難民に厳しい」
日本は難民申請してすんなり入国出来る国ではない。
この時、胃の内視鏡検査があり、鎮痛薬を静注する。
これには前向性健忘症がある。
自分が何を喋ったか覚えていないが自白はしている。
ここでスパイなら「私はスパイです」と喋っている。
こういうのは強制送還でお帰りいただくのだ。
超爆弾の原理は中学校の教師でさえ作り方は知っている。
だが核爆発ZND理論の最適値はだれも知らない。
やはり新型爆弾の抑止力が効いているのだった。
日米講和により、太平洋の日本軍兵力は余剰となった。
この余剰兵力が満ソ国境に続々と投入されていった。
このにらみ合いは、約50年に渡り続いた。
しかし1991年、突然ソ連は崩壊し、ロシア連邦となった。
この不毛なにらみ合いはようやく小休止となったのである。
インパール作戦はディマプールにまで及び、戦火はインド全域に広がった。
インドではチャンドラ=ボース政権が独立を宣言し、インドは独立した。
日本の英領インド進攻作戦はF機関の後押しで成功していた。
英国総統府はボース政権に権力を譲渡した。
この内閣の下で英国はインド独立法を可決するしかなかった。
ここでインドを立ち去れ運動(Quit India)を掲げたガンジーも参加。
ボースは社会主義、ガンジーは民主主義、対極だ。
ボースとガンジーは主旨は違えど目的は同じインド独立。
彼らは対立より共闘を選んだのだ。
ボースは日本の恩義を忘れてはいなかった。
日本の解放運動により、インドは親日国として独立した。
英国は宗教対立を利用して、インドとパキスタンに2分割しょうと画策した。
だが日本軍の日米講和により、それもおじゃんになってしまった。
結局インドは分割せず連邦という形で1つにまとまった。
カシミール問題も1国独立となり立ち消えとなった。
インドはかつての屈従の歴史を振り返った。
1510年ポルトガルがインドのゴアを恒久支配した事に端を発する。
西洋人はインドの内戦を利用して潰し合いに便乗してきた。
インド政府「もうその手には乗らんよ」
1943年07月06日独国降伏。
きっかけはクルスクの戦いの遅延だった。
作戦発動は06月10日のはずが中旬になっても始まらない。
敵ソ連戦車部隊の動きを見定め、準備するのが遅れていたからだ。
ヒトラーは07月01日に総統大本営で全軍司令官・軍団長を招集。
そこで作戦発動日を決定する旨を決定した。
ヒットラー暗殺計画「閃光作戦」。
まさにこれを発動するにもってこいの好機である。
06月28日。
ヒットラー暗殺計画「閃光作戦」が実行される。
ヒットラーが乗った飛行機が時限爆弾で爆発。
ヒットラーの死体は見つからなかった。
彼は作戦会議の後キール港に向かうはずだった。
そこにはU977潜水艦が待っている。
独国のコミュニティがあるアルゼンチンに向かうのだ。
U977潜水艦は静かに出港していった。
ヒットラーは乗ったのか乗らなかったのか。
途中カーボベルデ諸島に補給のために立ち寄った。
66日後、アルゼンチンのマルデルプラタ港に到着する。
だがヒットラーは乗っていなかった。
彼は”閃光作戦”で死亡したと判定された。
こうして総統を失ったナチスは崩壊した。
ヒットラーは1941年に遺言を残しており、それが有効となった。
後継者はヘルマン・ゲーリング国家元帥であった。
ゲーリングはもはやここまでと腹を括っていた。
独国の国体を維持しながら講和を図るなら今しかない。
クルスクの戦いを止めて撤退作戦を練った。
彼は直ちに全戦線の兵士に撤退と自衛を命令した。
クルクスの戦いは寸前で停止されたのだ。
だが降伏宣言はまだされていない。
ソ連軍は敗戦投降する敵兵を虐殺する。
独軍は後方のキエフも放棄し、ゆっくり密かに撤退していった。
ソ連軍は戦略的撤退を恐れて、しばらく追撃してこない。
ウクライナの首都キエフを奪還した時点で、ソ連軍の追撃は停止。
スターリン「キエフ奪還が目的だったが期せずして手に入った」
スターリンもまさか独軍が敗走していようとは夢にも思わない。
まだ独軍の後退作戦があるのではと恐れていた。
ゲーリングは貴重な美術品が心残りだった。
だが独軍は全てをキエフに残して去って行った。
独国の国境線に独全軍が戻った所で、米軍が彼らを武装解除した。
そこへソ連軍も駆けつけたが、もう虐殺も略奪も出来なかった。
着の身着のままで独兵たちは故郷へと戻っていく。
裸一貫で祖国を目指す独兵にソ連兵は不満顔だ。
ソ連兵にとって戦勝の旨みとは略奪と虐殺だった。
だが米軍の周知の眼があるため、どうしようもない。
こうして独全軍は解体され、ゲーリングは降伏文書にサインした。
独国の軍/政府首脳陣は戦争責任を取ることになるだろう。
独国は東西に分かれる事なく、ソ連の干渉は受けなかった。
こうして国号に「連邦」の一語を追加、独自の道を歩むことになる。
アウシュビッツでは1943年夏完成予定のガス室建設が中止された。
ペーネミュンデ陸軍兵器実験場ではA4ロケット研究が中止された。
ヒットラーの死はイタリアの独裁者ムッソリーニにも影響した。
ムッソリーニの後盾はサヴォイア王家であった。
ムッソリーニに限界を感じていた当主エマヌエーレ3世。
エマヌエーレ3世「ムッソリーニには勇退を請うことにする」
独国なき今、連合国と講和する以外、王家存続の道はない。
サヴォイア王家はロマノフ王家の一族惨殺の最期をよく知っていた。
エマヌエーレ3世「ああいう末路はご免こうむる」
失脚、王制廃止、幽閉、そして惨殺。
ムッソリーニは一言「わかった」と述べている。
実務はヴィットーリオ・アンブロージオが引き継いだ。
ムッソリーニは擬装用の救急車に乗せられ海軍基地に護送された。
そこから幽閉先のティレニア海の孤島に向かうのだ。
ヒットラーは暗殺計画で除かれ、ムッソリーニにも同じ運命が迫ります。ヒットラーの後継者は正史ではデーニッツですがIF歴史ではゲーリングのままです。次回は終戦(2/2)です




