インパール(11/17):要害パレル
日本軍は多数の兵器を擁しながら、山の一本道ではそれが役に立たない事を知っていました。戦闘としんがりを撃破されれば身動きが取れなくなり射的のマトになるからです。
戦時標準船が大量生産に入った話は聞いていた。
もうすぐ陸軍の揚陸艦布引丸、高雄山丸がビルマにやって来る。
戦闘機80機を満載しているとも聞く。
だが戦車揚陸艦が来て、戦車を揚陸しているとは初耳だ。
タイのサッタヒープ/ウタパオ海軍基地からの寄港だろう。
だがこのビルマのタムはチンドウィン川西側だ。
日本軍は今、全力で長大橋を架けようとしていた。
米国の金門橋(全長2737m:1937年完成)が目標だ。
だが大規模工事のため、完成には5年、つまり終戦後だ。
今回渡し船に使った浮橋は能力不足で使えない。
東側にある港町からどうやって渡河したのか?
ビルマの雨季は05~10月でまだ乾季終盤である。
それでも1000mもある大河をどうやって渡ってきたのか?
戦車が渡れる手段は限られている。
ウワサだった超重門橋が来ているのだ!
それは3艘連結してフェリーのように航行出来る。
40トンまでの貨物を載せて大河を渡れるように出来ている。
超重門橋は水陸両用車の貨物扱いで貨物船で来ていた。
戦車は揚陸艦でビルマに来ていた。
実際には4隻の戦車揚陸艦が就航していた。
揚陸艦はどこでも揚陸出来るのだ。
中戦車29輛を搭載(2000トンまで)出来る巨艦である。
英印軍はM3中戦車を配備していると聞く。
中戦車に対抗できるのは中戦車だ。
だが英印軍は別の兵器をも用意していた。
それは携帯対戦車火器PIATである。
英印軍がなにか筒のようなモノを構えて戦車を撃破していた。
山本「これは我々のタ弾(対戦車成形炸薬弾)じゃないのか」
「メタルジェットが装甲を侵徹するヤツなら対策はある」
それはゲージ・アーマー(鳥籠装甲)の事だ。
戦車の全周をゲージで覆って、メタルジェットの威力を減ずる。
タム、モーレの集積場には500トン近くの物資があった。
だが英印軍は守備叶わぬと知るや、全てを処分して撤退した。
テグノパールまでは標高1300mの峠に幅5mの山道があるだけだ。
機械化部隊を先頭に立て、歩兵が後に続く陣形はもう取れない。
縦列に行軍すれば、それは敵から見れば「夜店の射的」である。
先頭と最後尾を撃破されたら、車列はもう動けない。
こんな山道で、戦車が擱座したらどうなるか?
たちまち周囲の密林から機銃掃射がくるだろう。
英印軍は第20インド師団の内、第80/100旅団を山裾に潜ませた。
その姿を山本支隊長はふもとから双眼鏡で遠望していた。
山本「こんな山道では機械化部隊の出番はない」
「ここは歩兵による山岳戦だ」
山本「機械化部隊は遠距離支援砲撃を行う」
上田連隊長「豆戦車は投入しないのですか」
伊藤大隊長「豆戦車なら車幅は2mですから小回りがききます」
山本「装甲が薄い豆戦車はまさしく狙い撃ちだ」
山本「集中砲火の餌食になるだけだ」
「今後は出番が少なくなるぞ、上田」
自走砲の援護射撃、グライダーの空爆、迫撃砲。
英印軍はそれらを当然予期しているだろう。
ここは基本に立ち戻って歩兵のみを使う山岳戦だ。
山岳戦の基本は「偵察、ブロック、掃討」だ。
日本軍は古来白刃突撃で多くの将兵を失ってきた。
切り込み部隊が総力戦で敵防御戦を突破する。
だが山本はこの発想が大キライであった。
そのため陸軍では「腰抜け隊長」の異名を持つ。
山本「腰抜けか、上等じゃないか」
彼は根性だ精神力だと言うが、実は臆病で慎重派なのだ。
彼のいる壕司令部は鉄壁の防衛力を誇る石材/木材を組み合わせていた。
その壕で彼は意外な言葉を口にした。
彼は充分な増援を得て、正面突破するつもりだった。
だがそれは英印軍も読んでいるに違いない。
なら隠密行動の迂回作戦で裏をかく。
考えていた正面攻撃をやめてしまった。
その夜、壕司令部で、山本は地図と写真を広げた。
写真にはテグノパール(Tengnoupal)への山道が映っていた。
山本「日本軍のやり方はワンパターンで敵に読まれている」
「かつて我々はまず大型火器で徹底的になぎ払った」
「そして機械化部隊を前進させて、敵に遭遇し、総力戦だ」
「潜伏する敵は地下に潜り、大型火砲は効果がない」
地下に潜む敵コマンド部隊に砲火は届かない。
地下壕に潜む敵に地上砲火は地面を吹き飛ばすだけだった。
今まで散々吹き飛ばした敵の損害はだいたい10%である。
90%は地下壕に潜み、反撃の機会を伺っているだろう。
これは第一次世界大戦の塹壕戦にデータが残っている。
砲撃戦で散々吹き飛ばした筈が、それは戦力の10%だったのだ。
「敵はあらかじめ火線(十字砲火)の場所を決めているだろう」
山本は白地図の道路のある部分を指さした。
「この道筋などはいかにも伏兵がいそうで怪しい」
「右が山裾を削った法面、左は密林、正面は空けている草原だ」
「ここを進むとまず左の密林から銃撃を受け、右の法面に退避するだろう」
「そうすると右の法面上に潜む敵歩兵から手榴弾の雨が降ってくる」
「たまらず道の真ん中に出ると正面の壕から機銃掃射の十字砲火だ」
伊藤大隊長「では我々は全滅ですか?」
テグノパール正面攻撃担当の彼は居心地が悪そうに身じろぎした。
山本「いや、山岳戦で総力突撃は絶対に禁じ手だ」
「私は腰抜けだぞ、勇ましいのは無謀でキライだ」
「敵は増援の成った戦車や装甲車で正面突破すると思っている」
「今回は正面突破作戦はやらんよ」
幹部「そんな、じゃあ増援部隊は何の為の援軍ですか?」
山本「そこだよ、敵も日本軍が力任せで来ると思ってるだろう」
「まさか増援を全く使わないとは思うまい?」
「敵の裏をかいてやろうじゃないか」
「正面じゃなく側面から敵軍を叩くのだ」
「まず徹底的に敵状を偵察して裏をかく」
「偵察隊が敵との触接を絶やさないこと」
「偵察が威力偵察に陥らない事が肝要だ」
「敵の勢力、装備が分かればいくらでも方法はあるぞ」
こうして深夜まで司令壕の灯りは消える事が無かった。
数日後、日本軍は機械化部隊を先頭に前進を始めた。
敵の思惑通りの進軍で、これはオトリだった。
敵も猛烈に反撃しながらじわじわと撤退していった。
日本軍のお得意の総力戦を当て込んでの後退戦術だ。
山道で細長く伸び切った所から叩き、分断して殲滅する。
英印軍は日本人の白刃突撃の習性を読んでいた。
だが今回の山本募支隊長は臆病者である。
そのため、予め偵察隊が山に入り込み、登山路や裏道まで偵察した。
そこに張り付いた偵察隊がインド兵の動きを完全に網羅把握した。
給仕、食事、弾薬補給、電話線、給電、あらゆる情報だ。
上級将校の英国人の専用バンカーも把握した。
コックが3人もいる贅沢ぶりだった。
日本側インド兵はこっそり陣地に侵入した。
インド第80師団兵「見かけない顔だな、誰だ?名を名乗れ」
日本側インド兵「ラメシュともうします、見習いコックです」
インド第80師団兵「テルグ人か、まあがんばれ」
こんな具合であらゆる情報を入手してきた。
こういった泥臭い諜報で敵の全てを知り尽くす。
そういった作戦が山本に突然閃いたのだった。
山本「よし遮断を前提とし、散開せよ」
隠密部隊は一列になって狭い山道を進む。
道路を前進しているのは敵の予想通りの日本軍。
このデコイに英印軍の視線は釘付けだった。
いわば「ネコの集中力」で執着心は他には向いていない。
その外側には登山路を使って英印軍の脇に日本軍が展開している。
隠密部隊が電話線、給電線、隠しマイクを一斉に断線した。
山本「よしっ、かかれ」
一斉に連絡壕に隠密部隊が飛び込み、戦端を切った。
ブスッ、ビシュッ、火線が飛び交うワケではない。
それはクロスボウによる攻撃だ。
ハーグ陸戦条約でも制約をうけない消音兵器だ。
矢が刺さってもヒトは簡単には死なない。
怯んだところを組討にして喉を掻き切るのだ。
敵に乗り伏せてまず、ヒトで一番大きな筋肉の尻肉を切る。
大臀筋、梨状筋を切られるとヒトはもう立ち上がれない。
そこで喉笛を刺し切って声を上げるのを妨げる。
戦国時代の組討そのままの手順だ。
インド古武術にもトラヴィダ武術というものがある。
棒術や打撃術と多彩な(ちょっと派手な)武術である。
自由インド軍兵士にも武術の心得がある者がいた。
日本人が武闘家の彼らに教え、彼らが一般兵士に教えた。
こうして静かに殺す闇討ち部隊が誕生した。
その名も忍者部隊ゲッコーである。
ゲッコー(GECKO)とはヤモリの事だった。
彼らが先陣を切って連絡壕に忍び入る。
連絡壕を伝って防空野戦司令部に飛び込んだ。
そこにはインド人を指揮する英国人将校が居た。
英上級将校「オマエラどこから入った?何者だ!」
日本兵を粗忽なビルマ人苦力と勘違いしている。
インド兵「समर्पण करो, और तुम्हारा जीवन बच जाएगा」
日本兵「降伏しろ、命は助けてやる」
司令官グレイシー少将は捕虜になった。
トップを押さえた日本軍はインド兵の掃討に入った。
英印軍は後退戦術の為の撤退路を整備している。
撤退を繰り返しながら日本軍の補給路が途切れるのを待つのだ。
インド兵はフォーマットに従って撤退を始めた。
戦術に負けて戦略で勝つ。
それが英印軍のやり方だった。
だが、その撤退路には日本軍の機関銃座が陣取っていた。
そこに撤退するインド兵がとびこんできた。
ドンッドンドンドン!
インド兵「ギャッ」「グワッ」「アイヒャッ」
嵐のように機関銃の銃弾が降り注いだ。
引き返そうとする者、事情を知らず押し返す者。
インド兵A「引き返せ!」
インド兵B「前進しろ!」
インド兵C「どっちでもいいから早くしろ!」
インド軍が撤退路で縦列渋滞で動きが取れない。
今度は撤退戦の英印軍が罠にはまったのだ。
阿鼻叫喚の殺戮現場の外にはさらに狙撃兵が控えていた。
そこに司令部から日本側狙撃兵に連絡が入った。
「インド人将校を狙え」
命令する将校を消せば、インド兵は降伏する。
インド人将校「どうした!敵を蹂躙しろ、なぎ払え!」
動きが取れない自軍に業を煮やした将校が叫んだ。
ドギューンッズバッ!
将校は赤い霧となって消えてしまった。
もともとインド人はこの戦争に乗り気ではない。
植民地のサーヒブ(御主人様)は英国人だ。
そのサーヒブの英国人に従っただけである。
こんな所で命を掛けて戦う道理は毛頭なかった。
インド第80,100旅団は降伏した。
撤退路に飛び込んだ最初のインド兵40人は犠牲となった。
だがそれ以上の殺戮は望まない。
日本側には5000人のインド国民軍が味方に付いている。
英軍に屈従していたとはいえ、インド人なのだ。
敵側とは言え、犠牲をこれ以上は増やせない。
彼らは日本軍の捕虜となりビルマの収容所に送られた。
そこはメークロン川架橋工事捕虜収容所として有名だった。
後に日本軍に寝返る志願者のみインド国民軍に編入が許された。
ほぼすべてのインド人が日本側インド国民軍に加わった。
日本軍は知恵を尽くして必要最小限の犠牲でパレルを突破しました。捕虜が送られたのは映画「戦場にかける橋」で有名なあの捕虜収容所でした。次回はインパール(12/17):激戦地コヒマです




