インパール(5/17):アラカン越え
アラカン越えは不可能ではありませんでした、登山家が登攀するには。正史では駄牛部隊がヒドイ目に合ったのも頷けるというものです。IF歴史では林業機械と狭軌車両で越境します。
インド=ビルマ国境にはアラカン山脈がある。
最高峰はサラメティ山で3826mの高さを誇る。
富士山が標高3776mなので、富士山よりも高いのだ。
その天嶮は走破不可能な天然の要塞と考えられていた。
原住民の生活路はあるかもしれない。
だが現代人の機械化部隊が通れる道はないと思われていた。
敵将オード・ウィンゲート准将はそのアラカン山脈を越えてきた。
牟田口 「なに!英コマンド部隊だと?」
牟田口司令官「すぐに偵察して状況を把握せねばならん」
久野村参謀長「戦略上、企図秘匿のため斥候禁止です」
斥候を出せば戦略の意図を知られるため偵察を禁じていた。
だがそれでは盲滅法となり作戦が立てられない。
牟田口「あほう、戦略は机上やが『戦術は現場優先』、臨機応変じゃ」
「間違っていても正しい!ワシがやると言ったらヤルんじゃい」
この時ばかりは牟田口司令が正しかった。
英国はかつての植民地なのだ、すべてが分かっている。
日本は占領地なので何も分かっていない。
硬直した陸軍の旧態依然な姿勢はやはりどこか破綻していた。
索敵のため斥候将校が派遣され、綿密にルートを調べた。
ビルマ人に変装した日本人斥候がそのルートを探し当てていた。
英軍は物資を貨物機から投下してもらいながら進軍していたのだ。
貨物機とグライダーを縦横無尽に駆使しながらの進軍だった。
英レンジャー部隊は相当苦労して山脈を走破したようだ。
-------------------------------------------------------------
後にこれはチンディット部隊によるアラカン山脈踏破である事がわかる。
ウインゲート准将率いるコマンド部隊の長距離浸透ゲリラ作戦だ。
彼らは40kgの背嚢を背負い、徒歩でアラカン山脈を踏破してきた。
重火器は分解して背負い、またはラバの背中に乗せて運搬した。
重火器・通信機・予備弾薬・食料はとてつもない重さになった。
ラバ自体は非常食糧の役割も担っていたのだ。
いわゆる英国版ジンギスカン作戦であった。
まさしく無謀で滅茶苦茶な作戦だったが彼らはやり遂げていた。
-------------------------------------------------------------
斥候「ところどころに英印兵の白骨死体がある」
斥候「やはり彼らにとっても山越えは難物だったのだ」
斥候「空中補給をうけながらこの惨状とは」
熱帯雨林は人跡未踏の毒虫の瘴癘の地である。
そこはマラリア、赤痢、デング熱、腸チフスの悪疫蛮地なのだ。
蚊に刺されないよう害虫忌避剤を使うしかない。
なるべく踏破された山道から逸れぬことが肝要だ。
斥候将校の報告を聞いた野中後方主任参謀は青くなった。
聞いた読んだだけでは実感が掴めない。
彼は実際に英印軍ルートを踏破してみた。
山系は1000mから2000mの山稜や高地の続く難所である。
1人では危険な行程である。
人食い人種の噂もあって小隊で行くことになった。
最高峰は3800mあり雨期でも冠雪していた。
調べてみると細々とした山道がいくつも見つかった。
アラカン山脈には何百万人もの原住民が住んでいる。
チン族、ナガ族というモンゴロイド系の民族だ。
焼畑農業を営み、米、アワ、トウモロコシを作付けしている。
集落は密集家屋で、丘陵や尾根の最後部に所在する。
いわゆる「首狩り族」であり、村は戦闘に備えて山上にあった。
高地性集落はその為のモノだったのだ。
山道は彼らの交易路だったのだ。
その幅は50cmあるかないか、歩道ほどの狭さであった。
泥道あり砂利道ありでとても大部隊が通れる場所ではない。
大型の野砲はおろか、小型の山砲を分解して担ぐのもどうか。
敵地インパールには英米の重火器が山のようにあった。
山を越えられないからと言って持って行かない訳にはいかない。
もし出来ないのなら戦車には歯が立たない事になる。
英印軍はM3戦車を持っているため、75mm野砲は絶対必要だ。
対戦車兵器の破甲爆雷とタ弾というのがあるにはあった。
破甲爆雷は吸着爆弾の一種で、肉迫して戦車に吸着させて爆破する。
タ弾は山砲など小型砲で使える成形炸薬弾頭である。
特殊用途だが対戦車ライフル97式自動砲もあるにはある。
曲射兵器では狙えないトーチカの銃眼などに効果がある。
ただ射程が短く、肉迫しなければ使えない。
射程500mに近づかないとM3戦車の25mm装甲を打ち抜けない。
野中「この山道を道路として敷設工事しながら進軍するしかない」
それには土木工事用の建機を持ち込まなければならなかった。
野中「だが1000mm以下の建機は存在しない」
「これ専用の超小型特殊建機がいる」
人力での作業など思いも付かなかった。
所々に焼畑の名残があり、それが救いだった。
工兵連隊長の河野順治中佐「祭の岡田参謀長を頼るとイイですよ」
悩んでいる野中に工兵連隊長が声を掛けた。
言われるままに岡田参謀長を訪ねると和やかに会ってくれた。
岡田「トングウ=チェンマイ自動車道で同じような問題を解決した」
「ワークショップを紹介するから行って見ると良い」
河野はニヤニヤしながら様子を伺っている。
野中はヤンゴンのワークショップに連れて行かれた。
そこにはイカれた連中が集まっていた。
河野「今、全地形対応車(ATV)を作らせているんだ」
悪路の踏破性を重視した全地形対応車(ATV)を地元で作る。
日本にも確かにくろがけ四起(九五式小型乗用車)があった。
だがさらにビルマの悪路には特別のATVが必要だった。
デルタ地帯の道ははっきり言って泥の道だ。
タイヤはめり込み、履帯車でなければ動けなくなる。
そこでゴムクローラを代わりに付けた自動貨車が活躍する。
これは野心的かつ投機的発想である。
自作パイプフレームに市販車のエンジン、サスペンションを移植。
日本が魔改造なら、ビルマは悪魔的構想だ。
その改造技術はトップクラスで悪魔的改造だった。
溶接で作ったパイプフレームは実用的だ。
足回りはタイヤの車輪ではなくクローラーだった。
巡航40km/h、最高60km/h、限界はわからないそうだ。
工場長「今日ハ別ノオ客サンヲ連レテキタネ」
いかにも職工といった気のイイ親父が声を掛けてきた。
野中は事情を説明し、山岳用重機の詳細を説明した。
工場長はニカッっと笑って言った「イイヨォ!」
彼は工場の隅の駐機場に2人を案内した。
そこにはトングウ=チェンマイ自動車道で使った重機があった。
工場長「コレヲチョット手直シスレバスグ出来ルヨ」
野中「おおっ、ありがとうございます」
マンダレーには兵器工廠があった。
日本陸軍が現地の職工を集めて教化し、だいぶ様になってきた。
最初は簡単な修理だったが、今は生産部品工場である。
現在は品質管理のため機械化が進み、職工は暇を持て余していた。
そこで彼らは狙撃銃や対戦車ライフルを手掛け始めた。
特に対戦車ライフルは一挺当時7700円(当時)もした。
弾丸も手作りの一級品で唯一無二である。
軽装甲の装輪装甲車やトーチカの銃眼を狙い撃ちにするのだ。
2.8cm sPzB41対戦車砲という小口径砲が満州では作られている。
この減口径砲の貫通能力は400mで56mm/60度をぶち抜く。
これを75mm砲化したものが試製チト2号車で豪州で使われた。
だがその砲が辺境の地ビルマに回ってくる事はなかった。
これはタングステン弾体のために撃ちまくるわけにはいかない。
非常に高価でかつ希少な金属だからだ。
豪州にはタングステン・錫鉱山が東豪州タウンズビルにある。
Greenvale East鉱山は日本の領土内にあるのだ。
これで少しはマシになる程度だった。
これでM3中戦車の砲塔防盾51mmをぶち抜く事ができる。
ヤンゴンのワークショップは魔改造を超える悪魔的技術で日本軍の要求に応えます。英国植民地だった頃からヤンゴン、マンダレー、シャン州タウンジーは大いに発展した街だったのです。特に英軍司令部があるタウンジーはちょっとした修理が出来る工廠が並んでいました。これを日本が利用したのです。次回はインパール(6/17):その男ふたたびです。




