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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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インパール(2/17):ビルマ流のやりかた

正史では日本は地下資源を奪うのに夢中でビルマの国造りに全然協力しませんでした。そのためアウンサンは英国マウントバッテンと密かに通じ、反逆ののろしを上げたのでした。IF歴史ではちゃんとサポートして今度は密かに侵入してきた英国コマンド部隊を逆に追い出しに掛かります。

日本軍は惜しげも無くビルマの独立をサポートした。

南方軍の内部には「そこまでするか?」と異論もあったのだ。


軍「我々は征服者、もっと横柄で良いはずだ」

南機関「我々は沿岸部/都市部を征圧しただけ」


「奥地は我々の道理や常識の通じない世界が広がっている」

「それを辛うじて支えているのは宗教なのだ」


「英国支配も及ばなかった蛮地をどう平定するか?」

「武力ではなく分別が統制を促すきっかけとなるやもしれぬ」


「彼らには今度こそ理解ある支配者かもしれないという期待もある」

「それを横柄に踏みにじってどうする?」


軍「未開の蛮地だからこそ暴力が有効なのだ」

「弱肉強食は大自然の掟でもあるぞ」


間接統治か直接統治か、軍と軍政部で意見は真っ二つに分かれた。

そこで軍征部と南機関はビルマ全域をくまなく調査していった。


その結果「軍による直接統治不可能」という決断を下した。

普段は羊のように温和しいビルマ仏教の僧侶たち。


だが一度怒らせると日本の僧兵も真っ青な荒々しさを見せる。

それを甘く見た敵側英レンジャー部隊は痛い目に合う事になる。


地方では宗教指導者が地方知事よりも身分が高い。

政教分離なくして人権社会の成長もないのが近代社会のルールだ。


だがここビルマではそれが通じるのはまだ先のようだ。

やはり現地人による統制がもっともしっくりくる。


ここに方面軍首脳が集まって、ビルマ統治会議が開かれた。

軍首脳は南機関と軍征部の説明に耳を傾けた。


軍征部那須義雄大佐「日本人だけではビルマ全土を征圧できない」

「ビルマの面積は日本の1.8倍、人口は1600万」


南機関鈴木敬司大佐「国民の多くは敬虔な仏教徒なのだ」

「街の指導者の多くが僧侶で、仏塔がランドマークだ」


地方の過疎集落は僧侶が街の指導者である事も多い。

鈴木「ビルマの識字率が高いのも寺子屋のおかげだ」


1939年にタキン党、僧侶活動家、学生連合らは自由ブロックを自称した。

政治活動に僧侶が交じっているのもビルマならではである。


制憲議会召集、植民地総督権限の内閣への委譲などの要求をした。

時の英国植民総統府は、それに応じなかった。

そればかりか、かえって反英運動を弾圧した。


自滅寸前に陥った反英運動の戦士たち。

そこで日本軍征部は反英運動に取り入ったのだった。


ビルマにはビルマのやり方がある。

日本の予算と人員では広大なビルマを直接統治するのはほぼ不可能だ。


そのため残存する首長層や行政組織をそのまま活用する。

宗主国の日本はその監督のみを行って、効率化を図るのだ。


日本は彼らを通じて支配を行う間接統治である。

これは豪州と同じ、統治は今までと変わらない。


日本は上主として統治の上に存在するのみである。

バー・モウとアウンサンは間接政治に文句はない。


バー・モウ「日本は英国とは違うようだな」

アウンサン「地位と待遇さえ対等なら文句はない」


2人はやはり懐疑的な眼差しで日本軍を観察分析していた。

ビルマ独立はまやかしではないかと疑っていたのだ。


アウンサンは密かに英マウントバッテン司令官との「窓口」を持っていた。

日本を天秤に掛け、万が一の時には寝返るつもりだったのだ。


しかしその「窓口」はうやむやになってしまった。

日本はからくもギリギリのところで救われたのだ。


バー・モウには新憲法制定のための作業が残っていた。

大学学長、弁護士、憲法学者を集めて憲法の起草に入った。


僧侶の意見が国会議員よりも重いことがままある。

それがビルマという国の特性でもある。


憲法制定までの間に日本軍は復興事業を開始した。

これはモウとも約束した条件であった。


モウ「ビルマは貧しくて飢饉の多い国」

「これを支援してくれるなら協力する」


南機関の機関長、鈴木敬司陸軍大佐ははっきりと意志を伝えた。

「我々の本当の目的はインドのインパール、ディマプールだ」


鈴木「ビルマは踏み台で、貧乏だろうが何の興味も無い」

「だが我々はやる事はやり、出来る限りは完遂する主義だ」


鈴木「全面的協力が得られるならその代価に見合った支援をしよう」

「フィリピンでもセイロンでも同じようにしてきたからな」


その言葉に偽りがない事は両国の現在の姿が証明している。

フィリピンもセイロンもいまや独立国だった。


モウ「では、我々もそのように致しましょう」

「窮乏の田舎暮らしでは独立もままならない」


鈴木「まずはインフラから整えていく」

「流通が整えば経済も動き出すからな」


まず街造り、これには日本軍からも元大工だった兵士が協力した。

インフラの整備、これは道路、上下水道、電力回復が含まれる。


石油設備は日本本土から専門業者が呼ばれ、再構築が始まった。

ビルマには基幹道路網も鉄道網もなかった。


そこでチェンマイ=トングウ自動車道の構想がぶち上がった。

稲田参謀副長が工兵中尉に命じて道路偵察をやらせていた。


報告では細道(旧道)が通じており、2ヶ月で自動車道に改修可能との事。

岡田参謀長「本当に2ヶ月で160kmもの自動車道が可能なのか?」


稲田参謀副長のチェンマイ=トングウ道構築案は地図では簡単だ。

直線距離で引くとおよそ300kmだが実際は違っていた。


そこは人跡未踏の熱帯雨林が密生する山嶺地帯が横たわる。

人が一人やっと通れるような草深い山道はあるにはあった。


猟師や森林伐採業が使う細い細い悪路である。

これを整備して自動車道を構築しようというのである。


稲田はすでに東京に行って総軍での了解を得てきてしまっていた。

総軍命令とあらば従うしかないのだ。


岡田参謀長は実地を見なければ納得しないタイプである。

そこで実際に炎天下(雨期は論外)で細道を走破してみた。


(現国道1269号にあたる)細道は集落を繋いでいた。

Samoengの村まで歩き、小休止を取る(26km)。


現国道1349号に乗り換える(2km)

現クンカーン国立公園を経て次の集落へ(16km)

この調子で中間地点のケマビュー(Khe Hpyu)まで160km走破した。

ケマビューからはタウングーまでは完備された道路がある。


岡田「歩いて踏破は可能だが、道は狭く険しい」

「乾期の炎天下も雨期の集中豪雨もここで人力の工事は出来ん」


帰ってきた岡田参謀は身も心もボロボロだった。

チェンマイに帰った彼は近郊のチェンダオの温泉に向かった。


温泉に浸かりながら、彼は黙考していた。

山道を自動車道に換えるなんて前代未聞である。


岡田参謀長「重機がないととてもじゃないが人力ではダメだ」

旧道は幅60cmしかない熱帯雨林の泥道や砂利道だった。


雨が降れば道路は河になって泥水で通れない。

雨が止んでも、排水勾配もない道は水たまりだらけになる。


おそらく村同士の整備されていない交易路だったのだろう。

こんな悪路をどうやってトラックの通れる自動車道に出来るのか?


岡田参謀は参謀本部の自室に帰るとさらに黙考した。

陸軍の精神はなんとしてでも完遂する事にある。


岡田は知恵を絞って、何とかしようと暗中模索していた。

この悪路を静置する土木工事の建機は、どんなに考えても存在しない。


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日本は明治時代から山岳地帯に巨大ダムを建設してきた。

神戸の布引五本松ダムは明治20年計画、33年竣工している。


日本は本当は特殊土木機械が得意なのだ。

陸軍の硬直した縦割りは組織の横の繋がりを許さない。


ダム工事に詳しい土木会社に頼めば一発だったろう。

しかし軍とは命令し民間は従うものなのである。


軍がお伺いを立てて民間が教示する姿は有り得ない。

そのため土木に素人の参謀は頭を絞る事になる。

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山道の詳細は道幅150cm、路肩を含めればギリギリ2mしかない。

つまり重機は2m以内の幅でなければ山道に入り込めない。


既存の重機はデカすぎて役に立たない。

かといって新型機械を開発する手間は省きたい。


岡田は必死になって過去の文献や資料をあさった。

彼はニュージーランドで鹵獲した豆戦車を見た事があった。


それは戦車を作った事のない島国の豆戦車で幅は3mであった。

さらに資料によれば、英国軍は幅1.75mの豆戦車を持っていた。


日本には支那事変で使用した軽装甲車がある。

それはは94式軽装甲車で幅1.62mのハズだ。


これをトレーラー化した牽引車(750kg積載可能)もあった。

戦力としては非力なため、支那事変以降は使われていない。


他に98式4トン牽引車というのもあった。

これは機動90式野砲を牽引する目的で作られたモノだ。


幅も1.9mでコンパクトな作りだ。

岡田「これだ!これしかない!」


そこで岡田参謀長は一計を案じた。

岡田「建機としてコレコレが必要になりますがよろしいか?」


岡田参謀長は稲田総参謀副長に掛け合った。

充分な根拠を携えての提言であった。


稲田はさっとその場で書かれたメモをのぞき込んだ。

「幅1m以内の重機だと?絵空事はやめたまえ」


岡田「山道はガレ場有りぬかるみ有りで普通の重機は入れません」

「特殊な重機が必要なのはおわかりでしょう」


「瓦礫を運び出すダンプも特殊仕様が必要です」

「半完成した道路を走破するバギー車があればなお結構です」


稲田「日本兵士には大和魂があるだろう」

「気合いと根性があれば、どんな困難も克服できる」


これが出たらもはや思考停止も同然だ。

岡田はこれを待っていたのだ。


思考停止は藁をも掴むゼロの状態だ。

そこに良策を流し込めば食らいついてくる。


岡田「それについては妙案があります」

「少々お耳を拝借いたします」


岡田は福田になにかを耳打ちしていた。

稲田の目に生気が戻ってきた。


稲田「なるほどな!ワシも今、そう考えていたところだ」

岡田「さすが参謀副長、抜かりはありませんな」


正面から逆らわず、あえて受け流す。

相手の発案にして意のままに操るのだ。


その為の知識と行動の為の根回しは地獄の様な激務である。

しかし無能な上司にぶら下がる無能な部下でいるよりマシだ。


岡田は中国戦線や日本の廃棄倉庫から完動品も廃車も掻き集めた。

設計図や組立図、製造図面を取り寄せた。


あとは地元の鉄工所で改造して組み立てる必要がある。

隣国タイからの出向でヤンゴンに鉄工所が集まっていた。

なんと日本軍はアラカン山脈に道路を切り開きながら越境する事になります。次回はインパール(3/17):ロームシャです

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