25話 少女メイデー。
生きてます。
──私のアイデンティティ、無くなっちゃったな。
辺りにこだますることのない……でも、メイデーの確かな"心の叫び"というべきもの。どうしても頭にこびりついて離れようとしない、メイデーのはっきりとした観念。
……この叫びはたぶんフレイヤには届いていない。……聞こえていたら、こうしてメイデーのことをただ見つめているだけで終わるはずがないからだ。
だから、このどんよりとした黒い"渦"からメイデーを救い出せるのは現状……俺だけ。
──アイデンティティが無いなんて、そんなこと……。
そう伝えるのは簡単だ。ただ喉に少しの力を入れて、発声すればいいのだから。
でも……きっと、今の俺では何を言っても薄っぺらの軽い言葉にしか聞こえないだろう。なんせ、俺とメイデーはほぼ初対面なのだから。
同じクラスメイトであっても、互いの関わり合いが無かった。そんな浅はかな関係しか築けていない奴が、いきなりどうにかしたいと思ってもどうにもならないし、言葉を紡いで伝えてもきっと響かない。
メイデーの名前を呼びかけて、少しの時間が経った。メイデーもフレイヤも、そして図書館の中も時が止まったかのように相変わらず静かなままだ。
口をモゴモゴと動かすばかりで続きの言葉をなかなか言わない俺を、メイデーは眉毛をへの字にして俺のことを見つめている。
──何か……何か言わなくちゃ……。メイデーに響くような言葉を……。
心配そうな目で見ているメイデーを尻目に、俺は口をモゴモゴと動かすばかりで何も言うことが出来ない。こう思えば思うほど、頭はどんどんと重くなり、口も縫い付けられたかのように上下の唇も離れようとはしない。
勢いが大切だと思って、考えなしに目の前の少女の名前を呼んだが、その勢いはとっくに削がれており、メイデーが……いや、俺も辺りを渦巻いている黒渦に巻き込まれそうだ。
俺は……俺は、ただメイデーにそんな自分を否定するようなことを言って欲しくなくて……。救いたくて……。そして、何かメイデーの中に響くような言葉を言いたかった……。
俺は、何か間違っていたのか。
見逃していることでもあったのか……。
しばらく続いていた沈黙を、メイデーが破る。
変わらずの『心配だ』という気持ちの溢れた眼差しで、俺に言葉を投げかける。すっかり、心配される立場が逆転してしまった。
また、ちらっとフレイヤの様子を見てみると、ちょっと前の俺みたいに『ほへ……?』といったような顔をして目の前と隣を交互に頭を動かしている。
……2人とも、ごめん。
「……ルーク、大丈夫?いや、私が『大丈夫?』って言えたことじゃないのかもしれないけど……。なんか、私よりも辛そうな顔してるから……」
「…………そりゃあ、辛いさ」
「……えっ?」
「『アイデンティティがない』……そんなわけあるか」
「……」
「分からないところを教えてくれる『やさしさ』がある。イジワルをしたとしてもしっかりと謝ることができる……。最後には自分の中で押し殺していた気持ちに素直になることができて……!魔女のメイデーに言ってるんじゃない。俺は、目の前の少女のメイデーに言ってるんだぞ。持ってるものも多いじゃないか。それを……自分を否定するのはやめてくれよ……」
ポカンと口をアングリと開けたままのフレイヤとは対照的に、メイデーはハッとした様子で俺を見つめていた。
静かに流れ始めた涙を拭うことはない。
服に、そして床に雫が落ちていっても変わらず涙は拭われない。
「やさしいね、ルークは……」
「……このままじゃ後味が悪いと思っただけだ」
「そうなの?……でも、それでもうれしかったな。ああ言ってもらえて。……まるで褒められたみたいで」
「……褒めっ……?」
「ルークにそんな意図がなかったらごめんね……?私ね、実はそんな褒められてきてないの。たまに褒められるときも、それは魔女として……。だから、魔女としてじゃなくて私を見て言ってくれて……すごくうれしかった」
「そう言ってもらえて、俺もうれしいよ」
「……さーて、フレイヤ?そろそろポカンとするのをやめるっ。…………ルークが私のものになっちゃうか──」
「…………はっ!!……るーくがめいでーの……?だめだめだめだめーっ!!!ルークはわ、た、し、のっ!」
「いや、俺は俺のもの……」
ポカンとしていたはずのメイデーは一瞬にして餅のようにぷくーっとほっぺたを膨らませた。
そのすぐ後に俺の右腕を、『決して渡すもんかっ』という心意気からかメイデーが体全体を使ってギューッと抱きしめる。
「まっ、ルークはフレイヤのものか。彼氏は彼女のものって言うしねー」
「……俺たち、"まだ"付き合ってないから彼氏とか彼女とかないんだけど……」
「その口ぶり、いずれルークはフレイヤのものになるってこと……!」
「……いいよ、それで」
……メイデーの口調と態度がどこか小悪魔っぽくなったような気がする。
でも、こっちのほうが断然いい。
さっきのしおらしい大人しい姿よりも、ずっといい。きっと、これが本当の姿なのだろう。あるいは、メイデー自身が思い描いていた姿なのかもしれない。
「あっそうそう、ずっと気になってたんだけど……。フレイヤ、明日のテスト大丈夫そう?」
「うん、国史のテストでしょ?大丈夫だよ、きっと。ちょっと時間が遅くなっちゃったから、続きは家で勉強しなきゃだけど……」
「いやいや、それじゃなくて……。使役魔法実技のほう」
「しえきまほうじつぎ……?えっ、明日だっけ?」
「うんっ、そうだけど……やっぱり忘れてた?」
メイデーのほっぺたから温かみが薄れていく。冷や汗もかき始めたのか、焦りも体を通じて伝わってくる。
……一応、まだ体同士を密着させたままなのだ。
「すっかり忘れてたーっ!!どーしよどーしよ!!」
「なあ、テストって国史だけじゃないのか?」
「魔女にはね、魔法の座学と実技の試験があるの。その時間、ルークたちは教室を追い出されてるから初耳かもね」
「あの時間にそんなことを……」
教室を追い出されている間、俺を含めた人間たちは体育館に移動して『魔女のすごさ』について語られるのだが……。
苦痛とも思えたが、魔女も同じくらいキツイことをしていそうなのは驚きだ。
「ねえっ!メイデーは大丈夫なの!?図書の当番なんかやっちゃって!」
「大丈夫かと言われると怪しいけど……当番は当番だしね。仕方ないというか……」
「……なあ。その使役魔法実技?のテストの点数が低かったらなんかあるのか?」
「補習だね。まー、普通にめんどくさい」
「ルークと一緒に国史のテスト勉強ができることで頭がいっぱいで……忘れてた……」
「……なんか悪いな……」
「もうすぐ実練室も閉まっちゃうから、早く行ったほうがいいかも……」
「そうだよ、早く行かなきゃ!ルーク、行くよ!」
「…………えっ、あっ、待って待って、転ぶって……」
こんなに慌てふためいているメイデーは初めて見た。腕を抱きかかえたまま立ち上がって走り出したので、バランスを崩しかけたもののギリギリセーフでなんとか転ばずに済んだ。
走るというには不格好な格好だと今になって気づいたのか、俺の右腕を離して、そして新たに右手を握ってくる。
「メイデー、またねっ!教えてくれてありがとう!明日、がんばってね!!」
「……あっ……メイデー、また明日。……テスト頑張ろうな……!」
「……うんっ……!」
引きずられるような形で図書室を出ていった俺を、メイデーは優しい眼差しで見つめていた。いろいろあったテスト勉強会だったが、まだまだ続きそうだ。
魔法の実技のテスト勉強はどんな感じなのだろう。ギュッと握られた右手を見てそう思うのだった。
実はこの文章、地点Aと地点Bでは書かれた時期が2ヶ月ほど違うんです……!どこを境目にしているか分かった人は、コメントしていって下さいね。




