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マモレ課~捜索任務遂行中  作者: 2991+


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5/22

先輩がデレた。



 志願の動機は様々だ。


 犬は『大切な人の側にいたいから』兵士となる道を選んだ。

 猫は『犬がすることを、猫はもっと上手く出来るという証明のために』、鳥は『戦が続くとうるさくて眠れやしないから手を貸す』と答えた。

 狼は鼻で笑って答えず、熊は『一人でも多く守りたいから』、蛇は『事を近くで見るために』参戦を決めた。


 動物と人間を合成するというのは建て前だ。

 いや、実際には『彼ら』の不可思議な身体機能を『日本人兵士』に付加させることが、目的の一つだと言える。

 しかしこの研究所の真の目的は、彼らの協力を世間の目から隠すための盾だ。日本人の兵士として戦場に出る彼らが、異質であることを理由づけるためのものに過ぎない。


 彼らは元より、人ではない。

 妖怪、という言葉が正しいのかもしれない。古来よりこの国に住み続けていた、しかし今となっては交流の途絶えて久しい隣人。


 他にも妖は存在するのかもしれない。

 だが、自分の存在を明かして協力を願い出てきたのは彼らだけだった。


 彼らは数名、または一名でも戦場へと出された。極寒の地、灼熱の地、文句も言わずに黙々と敵兵を殺した。軍の上層部でも、彼らの真実の姿を知るものは一握りだ。


 しかし、敗戦。


 軍部は一転して彼らの処分を急いだ。存在が知られることは避けねばならなかった。

 彼らが参加しながら、負けたということ。彼らに注いだ技術が世に曝されること。そして何より、敵国に彼らが奪われること。


 誰にも知られてはならない。

 その焦りから施設を襲撃、研究データや関わった研究者を一掃する作戦に出た。

 しかし『実験体』の廃棄は叶わなかった。


 施設は『研究者達が自分の意思でデータを焼失させた。また、自身も敵国に下るを潔しとせずに自決した』という公式見解の元ひっそりと閉じられ、こっそりと取り壊された。


「悲惨な結末だが、軍部の焦りもわからないでもない。けれども、それにより彼らは二度と人間に協力する気などないかもしれない。…つまり、接触はとても危険だということだよね。特に『対象者』は野性というか、より性質が獣に近いという記述がある」


 僕は今回の接触対象である『被験者03』を表す記述を思い返した。

 身の丈は八尺。黒く固い毛に覆われていて、腕の一振りは大木をも薙ぎ倒す。爛々と光る目には狂暴さを宿し、およそ人語など解す知性は見られず。


「…それなんですが…、どうも僕には納得できなくて。恐らくこの筆者は『被験者達』に好意を抱いていない。知性がないなら、一人でも多く守りたいなんて望みを持って兵に志願をするでしょうか。文体からも無闇に、読んだ者を怖がらせようとしているような印象を受けました。何より写真では狂暴どころか、不穏な目つきの人など一人もいません。表情も拡大鏡を用いて観察しましたが、ごく自然な仲の良い様子で。研究者と共に写っているのですから、特に粗暴な人がいれば何かと注意を払うはず。例えば隣合う人の表情などに、もっと反応が現れてもいいはずです」


「うん、うん。資料を元に、きちんと君なりの考察を加えたんだね」


 峰さんは、実に嬉しそうに頷いた。

 今日は始終この調子で、どうやら僕は某かのテストに合格したのだと、そう思う。


「でも、彼らは人に擬態しているに過ぎない。獣の姿に戻ったときに、意識や精神が変わらないかどうかはわからない。だから、準備はしておくに越したことはないんだよ」


「…そうか。そうですよね。差し出がましいことを言って、申し訳ありません」


「ううん! 是非とも意見や疑問や閃きは言ってほしいんだ。そこから新しい発見に繋がることもあるんだよ、本当!」


 思いついたらどんな小さなことでも必ず僕に言って、と峰さんは元気よくこちらへ人差し指を突きつける。

 勢いに押されて頷きを返した。


「素晴らしいよ。ミチカ君、君は理想の後輩だ。正直、実際には覚えきれなくても、その姿勢で挑んでもらいたい…そんな風に考えていたんだ。やっぱり記憶力というものには個人差があるから、それだけでは幾ら『新人砕き』の異名を持つ僕だって追い出したりなんてしない。でも、ねぇ。凄いよ、君はあの資料を二日で完璧に覚えた。何より、彼らに興味を持ってくれた! そして現地調査に行ける体力があるんだ、素晴らしい! 変な新人で妥協しなくて良かった! 僕は正しかったし、それは白日のもと証明された!」


 見る限りあまり力はなさそうだから物理的には無理な気がするんだけれど…新人の何を砕いたんだろう。さり気なく異名が怖い。


 苦笑する僕の様子なんて全く気にならないようで、峰さんは誰彼構わず周囲に「採用だよ! 採用だから覚えて!」と叫んでいる。

 そんな彼の様子は朝霞課長より余程珍しいのか、夕暮れを前に事務室は少し騒がしい。


 今まで僕に目もくれなかった職場の人達が、物珍しそうに「どうやって手懐けたの」だの笑顔で「ついに新人が定着したんだ、おめでとう」だのと次々と声をかけてくる。


 どうしよう。嬉しい。歓迎されているのを感じる。

 うまく対応できているだろうか。不安になりながらも受け答えをしていたら、一頻り叫び終わったらしい峰さんがようやく僕の指導に戻ってきてくれた。


「いよいよ出動準備だ。初仕事とはいえ、そんなに気負わなくてもいい。こちらとしては情報を元に地道に現地調査をしていきたいという段階だ。例え『熊』に会えなかったとしても、決して君のせいではないからね」


「できる限り頑張ります」


「あぁ、何だか僕も行きたいような気になってきたけど…自分の体力はわかってるつもり。足手まといにしかならないから、意味のないことはしないよ。コンピューターと徹夜でにらめっこっていうなら得意なんだけどね」


「…目、悪くなりそうですね。峰さんって、コンタクト入れてるんですか?」


「うん。裸眼じゃ課長席のグラビアカレンダーと君の区別もつかないよ」


「そっ…、それはひどいっ」


 せめて色合いでわかってほしい。

 僕はそんなに肌色を出していない。


「ミチカ君は確か両目とも2.0だったね。運動も得意なんでしょう? 特施でも成績良かったらしいじゃない」


 一瞬息が止まった。


 峰さんはどこまで僕の情報を持っているんだろう。

 課長には成績を知られていてもおかしくない。だが、峰さんも全部を?


 特施…つまり特別施設出身者だとは知っていた。


 あの施設での成績は…成績は、決して国語や数学みたいな普通の話じゃないんだ。

 もしも、そっちに期待をされたら。


「…そ…、んなことは、ないんです…」


 何とかそれだけを絞り出した。


「そう? じゃ、怪我をしない程度に頑張って行ってきて。僕から見たら山道なんて苦行以外の何物でもないから、心配だな。あっ、持っていくもののリストを作らなくちゃね。必要なものは経費で落とすから心配しなくていいよ。装備の話を煮詰めようか!」


 峰さんはにっこりと笑って僕の肩を叩き、それ以上深入りはしなかった。

 僕は、明らかに挙動不審になったのに。


 …やっぱり、いい先輩だなぁ…。

 頑張ろう、と改めて思った。


 きっと、峰さんなら僕を、僕が嫌がるようなことには使わないだろう。

 朝霞課長だって…ここが悪を倒す部署だなんて言っていた。正義を名乗るのなら正々堂々で、暗殺なんて求めてきたりはしないだろう。それならば、僕はここで役に立ちたい。


 いや。特施出身者をあえて雇ったのだ。いつかその力が必要な日も来るだろう。

 例え何かしなくてはいけない日が来たとしても、いい職場やいい先輩を守るためになら、僕も戦える。守るために、戦えるのなら。それは幸せなことだ。


「峰さん」


「はい?」


 僕は何かを伝えたくて、伝えなくちゃいけないと思って先輩に声をかけたのだけれど…どうにも上手く言葉にはできなかった。


「あの。…僕、頑張りますから!」


 迷った結果、言えた言葉はそれだけだ。

 結局何を言いたいのかわからない。

 やめておけば良かったと自己嫌悪に陥りかける前に、峰さんはにっこりと笑った。


「うん。僕もミチカ君には期待してる!」


 何を言いたかったのか。何となく、わかってくれている、と。そう感じた。

 先輩達も皆、一般の出ではないと聞いた。

 僕と同じ施設ではなくても、この職場の人達は、少なからず僕と同じような思いを知っているのかもしれない。


 それならば峰さんが、何だか僕を上手に扱ってくれていることも納得できた。


「一応、地図は新旧の両方を持っていったらいい。浸食が酷くて旧地図の通りには進めないだろうけれど、目安には使える」


「旧地図があるんですか?」


「あるよ。ちょっと、というか…だいぶ古いけど。…見比べるとひどいもんだよね。小さな市区町村は根こそぎ緑地になって、大きな市とその周辺だけが結束したって感じ」


 言われてみれば、そうだった気がする。

 昔のことなど何も覚えていないと思っていたのに、ぼんやりとおぼろげな記憶が浮かび上がってきた。そう…僕の故郷でも、何度でも合併自体は話題になったんだ。


 けれど、炭坑上がりの赤字の市に、手を差し伸べてくれるところはなかった。隣の市では周りの他の市町村を幾つか吸収したものの、結局体力が持たずに緑に飲まれた。

 吸収合併で広範囲となった土地に自然が多すぎて、駆除が追いつかなくなったのだ。


 今、北海道は幾つかの市でのみ構成されていた。他県でも同じことだが、広く緑地化したために、寸断されたような小さな集落には人が残れなかったのだ。

 道内を大きく移動したいなら、使うのは船か航空機だ。道路自体が、間に緑地を挟んでしまって分断されている。鉄道はもはや都市間を繋いでいない。


 僕の故郷はA16。札幌周辺地区緑地帯に含まれる。周辺というほど近くもないはずなのだが、付近で生き延びている大きな市が札幌しかないから、そうなった。

 そして緑の脅威に競り負けた周辺住民は、全て札幌に雪崩れ込んだ。札幌は領土を広げて巨大になり、大札幌と揶揄された。

 市長の手腕か、潤沢な労働力と金の力か。上手に人員と機材を適所配備し、大札幌は今も無事に存在し続けている。


「…仕方…ないです。赤字の市を抱え込めば、その補填のせいで植物の駆除費用が減る。予算は植物だけにかかるわけじゃない。集落が緑に飲まれて巻き込まれるのは病人、怪我人、老人…自力では逃げられない者達です。健康な避難民なら転入後に税金が取れますし駆除労働に雇えますから、住居さえ不足しなければ流入先の市でも駆除にかけられる人と金が増えます。本当に…自然が多いから。どこから襲われるかわからない。冬は冬で雪から身を守らなきゃいけないし…薄情かもしれませんが、皆、自分のことに必死です」


 何となく、窓の外を見た。

 無機質な都市だが、管理は行き届いている。

 ここでは街路樹さえ『もしも』に備えて強化ガラスの箱の中。標本箱のようなそれは、有事には中の街路樹を焼却できる機能を備えているらしい。


 生きるのに必死で、北海道から離れたことを、あまり実感したことはなかったけれど…。


 東京は暖かいし、植物は圧倒的に管理されている。

 周辺地域にだって自然があったはずなのに、そちらも主要な地域は既に対応を終えたようだ。

 首都を守るために陸続きのどこまで力を入れるのか、そこは今すぐ対応が必要な地域なのか。そんなことが国会でのらりくらりと答弁されていて。


 緑の脅威は…少し、対岸の火事的な部分があるな。

 首都が緑に飲まれなければ、それでも国は回るから。


「ミチカ君。君は、北海道のどこの出身か…覚えているの?」


 ハッとした。

 いけない、仕事中なのにボーッとしていた。


「…いえ、あまり詳しくは…。出身地域がA16に含まれることだけは聞いていますが、元の集落の名も覚えてはいないんです」


「A16」


 その声に含みを感じて、僕は峰さんを見た。

 彼は目を細めて、地図を見ている。

 右手を口許に当てているけれど、笑っているのかどうかはわからない。


「…特施は何か情報があって、ここに君を推薦したのかな。推薦時に何か言われた?」


 意味がわからずに、僕は相手を見つめた。

 それでも問われたことには何か言葉を返さねばならない。

 というか、そもそもあれは推薦と言えるのだろうか。


「いえ。僕が…その、人を傷つけないところへ行きたいと、言ったら。こちらへ紹介してくれると…それだけでしたが」


「へぇ。君が希望したの」


 峰さんは、いつもの調子でにっこりと笑う。

 少し安心して、僕も肩の力を抜いた。


「パンフレットを見たときは、ちょっと僕に勤まるのか不安だったんですけれど…」


「あぁ、わかる。あれは広報が悪いよねぇ。警察だって自衛隊だってもっと上手く作るよ。僕も就職前にあのパンフ見てたら、ここに来なかったかもしれないもの」


 どう見ても体力的に無理だ、と彼は笑う。

 それからまた、すうっと目を細めた。


「ミチカ君」


「はい」


 しばし無言の峰さんは、急な変化に戸惑う僕を見て、少しだけ表情を緩める。


「探索先はA16だよ」




 息が止まった。




 次の瞬間、聞こえた自分の動悸と、震え出した指先に驚く。

 自分で思っていたよりもずっと、僕は、故郷に関心があったんだ。


「ほん…とですか? 行きたいです僕!」


「知らなかったね?」


「あ、はい。それはもちろん。ここがどんな職場かも事前には知りませんでしたから」


「…うん。あのね。本当は、君を疑うべきところなんだ。特施にどこかからスパイ要請でも出たのかと…いわんばかりの、あまりにイイ人材とタイミングでしょう」


「…あ…」


 そうか。だけど。

 今更施設から情報を渡せなんて言われても、僕はマモレ課に所属している以上、そんなことはしない。孤児の僕には取られる人質もない。


「…行くの…、無理であれば、他の仕事でも構いません。個人的には故郷を見てはみたかったですけれど、それは仕事とは全然別の話ですから。ここに置いていただけるのなら、疑いが晴れるまで何の仕事でもします。掃除夫でも文句は言いません。もしもクビであれば…それも仕方ないです…」


 スパイなんてしないけれど。

 それを信じてもらえるかどうかというのは、別の話だ。


 沈黙には少し悲しくなるだけで。長くも思わなかったし、潔白を訴えようとも思わなかった。ここはいい職場だと思えたから。僕の我儘でそれを乱したいとは、思えない。

 峰さんは地図を畳み、僕に差し出した。


「…うん。やはり君にお願いするよ」


「でも、もし課長が今の話を」


「僕は新人を見極める役目だよ。ちょっと気に入ったからって盲目になるつもりはない。正直に言うとね、使えない新人の他、諜報員も幾らか紛れては来たよ。有能無能も敵味方も、全部見破るのが僕の仕事だ。君は特施出身にしてはびっくりするくらい、素直なんだよねぇ…。僕は君に幾つもトラップを用意していたんだよ。でも、これだけスルーされちゃうとね。有能無罪だと言うよりないよ」


 笑って、峰さんは僕の肩を叩いた。


「君に騙されたんなら、僕の目がその程度ってこと。そうでないと言うなら、君が証明して見せて。とりあえずは無事に探索を終えてくれたら、それでいいからさ」


 何だか泣きたくなった。

 トラップなんてかけられた覚えはない。明らかに怪しい僕を、始めからパスワードを見ちゃうようなミスをした僕を、敢えて信じるというのは多大な勇気を必要とすることだと思う。


「…僕…、頑張ります。『熊』に会えなくても、痕跡の一つでも手に入れられるように頑張ります。全力で頑張りますから!」


「うん。ふふ。…あぁ、もう。君を見てると、僕は何だか自分が凄い悪人な気がしてならないよ…落ち込んじゃうな」


「とんでもないです、峰さんはいい人です。初日からそう思ってます」


 峰さんは「初日ぃ?」と笑った。

 そんなに、おかしなことを言っただろうか。


「初対面で、今日明日で分厚いファイル覚えろとか言うような先輩だよ?」


「それは必要な業務指示です。峰さんだって、あのファイル作るの大変だったはずです。新人のためにあれだけ資料を揃えるのは、とても時間と手間のかかることです。表現はわかりやすかったし、馴染みのない語には注釈とかいっぱいついてて親切でしたし、だから覚えやすかったんです。用紙だって真新しくて。あれは僕用に作られたファイルです、使い回しじゃない。それに、最新の資料なんて僕が来る二日前のものでしたよ。何人も新人が入っては辞めたなら尚、大変だから前のを使い回していいくらいなのに。ここまでしてくれる先輩は、絶対にいい先輩です」


「…ミチカ君…。やばい、僕泣きそう。そこに気づいてくれてるだなんて、君はどれだけいい子なんだい…。そうだよ、次の新人こそはと思って、どこがわかりにくかったんだろうって見直しては作り直してる。なのに前のガキ共は一目見てうわ厚いだのクソ重いだの無理だ出来ないだの…。あれ、僕にだって重いよ。そんなのわかってたよ。でも必要な情報を詰めるとそうなっちゃうんだもの…」


 ふぅ、と溜息をついて峰さんは立ち上がった。

 ゆっくりと窓辺に近づくその背を、僕はぼんやりと見つめる。


「全く。こんな人材、どうやって手放せって言うのさ…。あぁ、研究の成果なんてねぇ、そんな即日出るようなもんじゃないんだから。探索で気負って死なれたら困るからね。何も手に入れられなくたって叱らない。A16内で機材を持ち込んで作業できること自体が、まず大きな一歩なんだ。それを分析するのはまた別の仕事。君に疑いをかける人がいたら、僕に言って。誰も反論できないくらい、資料集めて理詰めで綺麗に論破してあげるから。安心してマモレ課の子になんなさい」


 振り向いた峰さんはいつも通りに、にっこりと笑った。




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