変身!(裸にはならない)
けれど、待っていたのは僕も同じ。
「助かります。壊れたときの鎖の予備とか、本当に死活問題なので」
僕が笑ったことに、相手は驚いたようだ。
僕は小回りが利くのだ。背後の樹木ごと身体を絡め取ろうとする鎖には、あえて対抗するまでもない。
地べたに張り付くくらいに身を低く。相手の鎖を躱したら、こちらも左腕の鎖を放つ。
相手のミスを見逃して生き延びられると思うほど、過信していない。だから、螺旋を描いた僕の鎖は、一気に相手の鎖を纏め上げる。
琵琶は封じた。
すぐさま右腕の鎖を放った。こちらも、三本全て。
「…馬鹿な!」
攻撃のために全ての鎖を出し切り、それも抑えられて無防備な相手。
卑怯なくらいに執拗に、僕は狙いを定めていた。
一つ目の鎖で首をかき切り、二つ目の鎖で胴体を縛り、三つ目の鎖で琵琶に繋がる腕を狙う。どれか一つでも当たれば僕には有利になる。そういう攻撃だ。
こちらに押さえられた琵琶のせいで自由の利かない右腕。相手はもがき、それでも左手でナイフを取り出した。一つ目の鎖の先を、そのナイフで弾き落とす。
続いてタクティカルベストのアジャスターをナイフで裂き、下方から身を抜いた。身代わりの術みたい。二つ目の鎖は相手の抜け殻を抱き込んで地に落ちる。僕の攻撃も残り一本。
しかし、そこまでだった。
鮮血が宙を彩る。
左の鎖が軽くなった。
琵琶の脅威がなくなったのだ。ならばいつまでもそれを捕らえる必要はない。
纏め上げていた相手の鎖を解放すれば、そこに付いてきた腕も地面に転がる。
長く無防備であることは、ちょっと耐えられない。即座に両腕の鎖を引き戻した。
呻き声を上げて腕を押さえる相手を前にしても、僕はまだ次の攻撃に備えている。
小心者なのかもしれない。
「三味線の二刀流だと…。聞いたこともない」
狂暴な表情で、相手は僕を睨みつけた。
二つ持ってはいけないなんて聞いたことがない。こんなことにルールなど有りはしない。
僕らに求められたのは、相手を殺して生き延びる術だけ。
「…聞いたこともない…。それもお前の師の入れ知恵なのか」
「いえ、僕が勝手につけているだけです。貴方だって片腕を失ったときのために、両手で扱えるように練習したでしょう?」
武器も道具も、何だって扱えるように特訓するのに。
利き手を失えばもう何もできないなんて、あまりに諦めが良すぎるじゃないか。
「…ふふふ…ははは…いいや、お前は異端だ、利き手で扱うものをわざわざ両手で扱う練習などしたのか。真面目なのか馬鹿なのか…」
…何だか失礼な人だ。
頬が膨れそうになるのを堪える。
戦闘は終わっていない。まだ油断しない。
「僕らの武器は人の身体を切断する。自分だけは切られないなんて思いません。…貴方が負けを認めるのなら、腕はお返ししますから、琵琶を外すまで少しお待ち下さい。貴方はお金持ちそうだから、武器はまた新品を買って下さいね。予備の鎖が欲しいと思っていたところでしたので、命の代わりに鎖を貰うことにします」
武器の整備は常に付き纏う問題だ。施設から関連組織へ斡旋されていればまだしも、日本において未成年が弾薬補充することの難しい銃など、当然のことメインにはしていない。
だが、三味線も珍しい武器であるため、自力では扱う商人を探せる気がしていなかった。
いつまでも施設を頼ると関係が清算できない。師匠に連絡が取れれば別かもしれないけれど…臨時職員みたいな人だったからな…。
本当はナイフ格闘をメインにするつもりだったし、三味線の消耗は最低限に抑える気でいた。施設を出てしまった以上、どこで三味線のパーツを調達したものかと考えてはいたのだ。
そこに琵琶使いが出てきたのなら…まぁ、両方を問答無用で奪うのは嫌なので、命を助けることの交換条件としてなら武器をいただいても…許されるのではないかな。
「はっはははっ、面白いガキだ! いいや、そんなものは返して要らん。琵琶も結構、戦利品としてくれてやろう」
僕が追撃しない理由を理解した相手は、話す間に右腕の先を布できつく縛る。
仕事中でなければ、正直、目を逸らしたい。
でも、仕事中だ。僕はこの人に油断しないし、周囲の気配を探ることも怠らない。
「割に合わない仕事だった。俺はここで下ろさせてもらおう。小僧、お前の名は?」
獰猛な笑顔が不穏だ。
たまにいるのだ、負けた後に名前を名乗らせようとする人は。
そして大抵、付け狙って殺そうという粘着質な人だったりする。
僕は当然、仕事でないのならこちら側の人々には関わりたくない派なのだが。
「…ぇえ…何だか名乗りたくないです…」
「そう言うな、どうせ調べ上げるんだが、名前くらいはお前の口から聞いておきたい。俺は琵琶法師と呼ばれている。目は見えているがな」
「…琵琶法師さん…ですか…」
目が見えるのって何か名前と関係あるのだろうか。
すごく、耳無し芳一しか浮かばない。ちょっとゾワッとした。
こんなところで怪談に出会いたくなかった。
「ふふ…お前のお陰で改名しなければならないかもしれんがな」
偽名…というか通り名じゃないか。
改名も何もあったものじゃない。
僕には通称のようなそんなものはないから、ただ普通に身元がばれるだけ。
逆恨みされて付け狙われるのなら、名乗るなんて嫌だな…。けれど、相手が一応は名乗っているのに、全く名乗り返さないのも失礼だろうか。
「改名されたら、聞いても仕方ないじゃないですか…ちゃんとその名で通して下さい。僕は盤乃沢と申します…」
「ばんのさわ。下の名前は?」
くっ。フルで名乗らせるのか。
マモレ課の盤乃沢というだけでも十分に特定可能だろう。緑地に来た人物となればもう確定だ。隠し通すなんて無理な話。調べ上げると言うからには、身元を洗う気満々じゃないか。
せめて自分で白状しろという追い詰めなのか、それとも単純な好奇心なのか。
どちらにせよ、躱しきれない。
「…ミチカです」
「また会おう。楽しみにしている」
引き続き、相手の笑顔は…大変に野性味溢れている…。
絶対、次は僕を殺そうと考えているのだと思う。
いや、本当に私怨は困るなぁ…。つい、眉を寄せた。
「敵でなければご挨拶くらいは良いのですが。無益なのはご遠慮したいです。そう、スーパーの特売情報を交換するくらいの仲でお願いしたいです。それなら有意義な関係ですから」
「…全く素直な奴だ」
のけ反るようにして笑うと、琵琶法師さんは白衣の老人に外国語で何かを怒鳴りつける。老人も何かを叫び始めたが、生憎と全く内容がわからない。
だが老人が喚き終わるのを待たずに、琵琶法師さんは走り去った。
内心で、僕はホッと息をついた。
だが、梟と陸衞さんの戦いはまだ続いている。
あとはあの老人を何とかすれば…。
そう思って右の鎖を放った。老人は兵士ではないだろう、大して機敏ではない。何の問題もなく、事を終えるはずだった。
…ふっと、陰った空。
全身に鳥肌が立つ。
「ミチカ!」
陸衞さんの声。
本能的に、僕はその場から飛び退いた。
抜け切れない焦燥感から、引き戻した鎖でがむしゃらに自分の前に網を張る。
鎖が衝撃を受け止め切れず、がしゃりと悲鳴を上げた。すぐさま反動をつけてぶつけられた勢いを殺し、異様な圧迫感から逃れるように距離を取って。
「…ふくろう…さん」
上がりかける息を押さえながら、僕は相手を見つめる。
陸衞さんと戦っていたはずの彼は今、僕の前に無表情で立ち塞がっていた。
「お利口な鳥だろう!」
笑い声を上げる老人に、逆撫でされたような気持ちになる。僕の隣に、陸衞さんが戻ってきた。
「どうやら梟は、あの老人を守るよう指示されているようですね…。困りました」
どちらにせよ、鳥を何とかしないといけないのか。
そしてそれは…僕ではできない。
「さぁ、鳥よ、お前の力を見せてやれ。お前達はどうせ化け物だ、熊も両手両足をもいだところで、何ら問題ないだろうよ」
なんてことを。
聞き捨てならない、と僕が顔を上げると。
梟は、初めて口を開いた。
「…伊式戦闘衣、解放」
「ムゲン!」
弾かれたように陸衞さんが叫んだ。
梟は気に留めた様子もなく、右手を前に伸ばす。右手からみるみるうちに黒い色が広がって、梟の姿を覆い尽くした。
黒い色に覆いつくされた、そのシルエットが変化する。
「…軍服…?」
それが何だったかを頭で認識するより先に、僕の口から、無意識に零れた呟き。
梟は真っ黒な軍服に包まれ、帽子まで頭に乗せている。
先程の迷彩服やヘルメットはどこへ行ったのか…早着替えに混乱する僕の前で、陸衞さんが梟を睨む。
「本気ですか、ムゲン。貴方は僕の事情を知っているはずです。それでも、敢えて戦闘衣で戦うというのですか」
梟は答えない。
老人も知らないのだろうか、興味深そうにこちらを見ている。
僕は陸衞さんに尋ねた。
「戦闘衣って何です…それに、陸衞さんの事情というのは…」
ちらりと、困ったように彼は僕を見た。
「戦闘衣は…先の戦いで僕らに与えられた軍服です。やはり元の姿でなければ本来の力を振るえない僕らが、できる限り人の姿のままで、上手に力を引き出すための道具。しかし…僕の戦闘衣は故障しているんですよ」
「…こ…、壊れてる?」
はい、と陸衞さんは頷いた。
そんな…、それでは向こうのほうが強い状態になるということなのだろうか。僕では鳥には勝てないと言われたのに、どうすればいいのだろう。慌てる僕が何か言うよりも先に、大きな声で老人が笑う。
「ひっひっひっひ! それは良いことを聞いた。さぁ鳥よ、存分に叩きのめせ!」
このままではいけない。
何とか隙をついてあの老人を殺そう。
そう考える僕の頭を陸衞さんがぽんと叩いた。
見上げた先には、眉を下げた、困ったような笑顔。
少しだけ、怯えているような…そんな色を目に瞬かせて。
「ミチカ。怖がらないでくれますか」
「何をです」
「怖がらないでくれますか」
彼は、具体的なことを言わない。
もしかして、熊になるつもりなのだろうか。
声にされない相手の本心はわからなかったが、僕は頷いた。




