鳥と敵対勢力
緑地探索は最終日。
本日中に再びA16南境界監視舎前付近へ戻り、明日の朝迎えに来るヘリにて東京へ帰還する予定だ。
陸衞さんは実に楽しそうだ。
テントを畳み、器材を背負う僕の横で鮭トバを食む。
気をつけているのだろうか、初回のように熊語が出てしまうということもないようだ。
「ミチカ、僕のお給金が出たら、みんな鮭トバにして下さい」
「…う…うぅん…、もう少し使い道は考えましょうよ? それに今回は時間も押してましたので市場の冷凍倉庫に忍び込んだりとか、打てる手を全て駆使した結果何とかなりましたけれど、常に同じ手が使えるとは限らないですし…また上手くいく保証はないんです。なにせ、あっちは気候が違いますからね」
海産物の腐臭は殺人兵器となり得ることを学んだので、僕は二度とゴミ出しには失敗しない。
干し鮭はたくさん作ったが、実は腐らせたものも多かったのだ。
干すだけなら簡単だと思っていた。うろ覚えでとりあえずチャレンジした弊害だ。
東京は蒸し暑すぎるし、そもそも今時期に寒風で乾かすというのが、結構難しい。同じ魚市場の倉庫に忍び込み続けては足がつきやすくなるだろうし…。
「安定供給したいですね…あ、貯金して鮭トバ工場を建てましょうよ。大きくなくていいので、お給金いっぱいもらったら工場を建てて、ミチカに工場で働いてもらって…」
屈託のないその夢に、つい破顔した。
「専属工場ですか。生産するトバが陸衞さんの分だけなら、鮭は釣りにでも行きましょうか。それならコストも下がるし」
「はい、山ほど獲りましょう。トバがたくさんできたら、美味しいので他の人にも売ってあげます。他の人もたくさん買ってくれたら工場潰れないです」
無邪気な笑顔で語る相手に、ちょっと心が揺れてしまった。
鮭トバ工場ならきっと他人を傷つける仕事はないだろう。それで生きていけるのなら、いいなぁ…。
微笑ましい陸衞さんを横目に通信機をオン。
出発前の連絡を入れようと呼び出しをかけたのだが。
「…ミチカ? どうかしましたか?」
異変を察知した陸衞さんの訝しげな声。
「はい…何かおかしい。少しお待ち下さい」
アンテナの向きを変えたりして再度接続を試みるが、マモレ課は応答しない。
峰さんが出られないのか、電波が届いていないのか。
荷物の中から私物の通信機器を取り出す。
緑地なので当然繋がるものではないのだが、これには妨害電波の発生有無くらいは調べる機能がついている。
「マモレ課との通信が繋がりません。妨害電波を検知しましたので、何者かによる作意と判断。目的は不明。戦闘も予測されます」
さすがに仕事中に、戦いたくないなどと駄々をこねたりはしない。
ただの失敗と評されて、生を終わりたくない。
そして今は、陸衛さんが傍にいるのだ。
彼を、何としても無事に、マモレ課まで届けねばならない。
「少し荷物をお持ちしますよ。それではよく動けないでしょう」
「いえ、このくらいでしたら問題は…」
「持たせて下さい。せめて貴方が、後ろがよく見える程度に」
万一機材が壊れても、陸衞さんを連れて帰れば僕の任務は達成される。
それでも壊さないに越したことはないし、貸与品はきちんと返品すべきだ。
他人に頼るのは苦手だったが、陸衞さんが人よりずっと力があるのは明白だった。意地を張って不利を招くのは決して得策じゃない。
「では少し手伝って下さい。貴方のことは、命に換えてもお守りします」
「ミチカも、僕が守りますよ」
そう答えられて少し笑えた。僕の気負いは独り善がりだった。
そうだった。互いに守るという条件で、来てもらうことにしたんだ。
熊に背を守ってもらえるなんてそうそうあることじゃないな。
「八名いますね。武器は主に銃のようです。ミチカは乱戦は可能ですか?」
八名?
小首を傾げてそう言った陸衛さんは、その数を確信しているようだ。
さっと周囲に目を遣るが、僕にはまだ敵を感知できない。
「特に不得手ではありませんね」
「ならば早く終わらせてしまいましょう」
すいと陸衞さんが一歩踏み出した。片手で僕を庇う。
挑発するつもりだろうか。
場の主導を彼に預け、僕は様子を窺った。やがて微かに葉音に混じる、明確な規則性。
人為的な音。近付く気配に、ようやく目を凝らす。
「ご用件をお伺いしましょう」
陸衞さんが木々の隙間に向けて声を放つと、そこからばらばらと数人の兵士が姿を現した。
迷彩服の四人がこちらに銃を向けている。
遅れて更に現れた三人。一人は白衣の老人。二人は迷彩服の兵士。
陸衞さんが首を傾げた。
「…何をしているんですか、貴方。その服、全然似合っていませんよ」
言葉の意味がわからなくて、僕は陸衞さんを見上げる。
彼の目は…遅れて現れた兵士の一人に向けられている。
知り合い…なのだろうか。
しかし、兵士のほうは言葉を発さない。
「いぃや、良く似合っているとも。あんたにも、すぐ似合うようになる」
白衣の老人が、妙な抑揚と詰まりのある濁音を込めて話した。何だろう。早口で、方言とも違って。
まるで…日本語が、話せるという感じ。
流暢と言うには引っかかる…母国語ではない、外国人が話したみたいに。
こういう話し方の人間に、施設でも関わったことがあるな。
確か、あれは…中国系組織の下っ端だったか。
共闘戦力だったはずなのに、突然こちらの同期の死体から荷物を追い剥ぎしたので、すごく印象に残っている。僕のことも最期まで馬鹿にしていたようだが…彼は生き延びなかった。
「いいえ。それは僕には似合わないでしょう。槙島博士だってそう言いますよ」
「槙島もあんたがこちらへ来るほうが喜ぶ。せっかくの成果が埋もれることを喜ぶ研究者は存在しない」
彼はこの場で唯一返事を返す老人ではなく、知り合いらしき兵士をじっと見つめていた。
「どうやら正気ではないですね。少し、厄介かもしれません。ミチカ」
「はい」
「右から三番目の兵士は梟です」
梟。
目を丸くする僕に、陸衞さんは呟くように告げる。
「貴方では勝てない。ですが僕の言葉に反応を見せないところをみると、彼には自分の意識がないかもしれません。…彼を助けて、いただけますか」
驚いた。けれど。
「もちろんです」
返す言葉に迷う余地はない。
戦闘に備えて姿勢を少し低くした僕に、老人が舌打ちするのが聞こえた。
続けて兵士に放つ言葉は…中国語だろうか?
「他の兵士をお願いします」
言って、陸衞さんが跳んだ。
彼が狙ったのは…梟。
僕は「はい」と呟いて、兵士に向かって突っ込んだ。銃口が幾つもこちらを向く。
怖くはない。
僕の鎖の方が速いからだ。
左端の兵士が悲鳴を上げて倒れ、その隣の兵士が気を取られる。
守る対象もなく、姿を隠す必要もないのなら、僕はただ倒すことだけに集中すればいい。細い鎖を相手の脚に巻き付けて引きずり倒しては、別の鎖の先の武器で急所を突くだけ。
銃口の向きと火を吹いたタイミングで更に別の鎖を出し、銃弾を叩き落とすか弾く。
鎖に当たれば身を守れる、こちらも楽な仕事だ。
接近してしまえば銃口に武器を突っ込んで暴発させてやってもいいし、格闘に切り替えてもいい。三味線は接近武器としては首を絞めるくらいにしかならないが、別に僕にだってこれしか武器がないわけではない。
四人目を倒した頃、一人の兵士が咆哮を上げて鎖の一つを掴んだ。
それは三味線に対して、一番やってはいけないことだ。
冷静に鎖にかかる力を変える。悲鳴を上げた相手が自分の手を押さえ、溢れ出した血に近くの兵士が叫んで下がる。その横に、千切れて鎖に絡まった手首を放り捨てた。
捩じ切っているので簡単にはくっつかないとは思うけれど…一応、返すことにはしている。
「調子に乗るなよ、三味線使い」
六人目を倒した頃、見ていただけの一人が呟いた。
遅れて現れたほうの、梟ではない兵士。
言葉には違和感がなかった。黒髪のアジア人だ。見た目だけでは日本人なのか中国人なのか、もしくはそれ以外なのかわからない。
この人は多分強い…きっと、あの白衣の老人の護衛だから遅れて出てきたんだ。
そう思う僕の目は、無意識に陸衞さんを探す。
老人から少し離れたところで、梟と陸衞さんが戦っている。
老人は逃げる様子もなく、梟に外国の言葉で叱咤激励しているようだ。
僕は少し距離を保ったまま、兵士に尋ねる。
「日本の方ですか」
相手は少し笑い、答えない。
「目的がわかりません」
相手はまた笑い、今度は答えた。
「熊は我々が貰う」
成程。彼らも、僕と同様に陸衛さんを探しに来たのか。
僕が来たことを知っていたから来たのか、それとも鉢合わせたのは偶然なのか。
マモレ課では人員不足で現地に来られなかったのだから、情報自体はもっと前に得ていたはずだ。それが漏れたのか、それとも、彼らは彼らで調べていた結果なのか。峰さんなら何かわかったのだろうか?
妨害電波に阻まれて、盗聴機が正しく機能していないことが悔やまれる。
「既に鳥をお連れと聞きました」
「犬も猫も狼も貰う」
やはり、狙いは陸衛さんだけではないらしい。
同じ人達を探す、別の組織。
それも…日本の組織じゃない?
過去に日本を守ろうとした彼らを、けれど、外国人が連れて行こうというのか。
彼らが納得したうえでなら、僕が口を挟むことではないのだろうが。
梟は正気ではない可能性があると、陸衛さんは言った。
洗脳は、よろしくない行為だ。
「…国外で彼らを扱うのですか?」
「お前の知ったことではない」
答えないのなら、そういうこと。
かつての軍上層部が危惧したように、彼らを欲する勢力というのは他にもあるんだ。
…これじゃあ、陸衛さん達が、未だに潜伏を続けるわけだ。
「ありがとうございます」
蛇のことを口にしないということは、知らないのだろうか。
それとも既に、手に入れたのだろうか。
とりあえずわかったのは、老人がこのチームのリーダー格であること。人ではない皆を集めて、国外へ連れていくのが目的なのだろうということ。
そしてこの兵士は、僕の武器を『三味線』というものだと知っているということ。
ふと、相手が真面目な顔をした。
「お前の師は男か女か」
僕は微笑んだ。
まだまだこちらは情報が欲しい。
マモレ課に害のない、僕の情報で気が引けるなら、安いものだ。
「貴方の知ったことではありません」
「では喋りたくなるようにしてやる」
飛んできたのは細い鎖。
おや、と思った。
珍しい、僕と同じ武器使いか。けれど、だから何だと言うんだ。
鎖は一つ、二つと飛んできて、ついには五本になった。
「琵琶。器用なんですね。羨ましいです」
頬を掠めた細い鎖が、僕の首を捕らえようとうねる。
三味線は反動を付けないと方向を変えられない。すぐには小回りが利かないのだ。
そして僕自身は小回りが利く方だ。
躱した鎖が戻ってくる前に、こちらも右手の鎖を一つ放った。
鎖は頑丈で、人体をも引き千切る。だが、完璧な武器などない。構造的には弱点も存在する。
鎖同士が絡めば結局は腕力の勝負になってしまうから、僕の手には余る。狙うのは先端の武器か、鎖とそれを繋ぐ接続パーツか、人体か。
まずは方向を逸らせるためにと、先端パーツと鎖の接続部に、こちらの武器の先を当てた。
そんなつもりはなかったが、相手の接続金具は壊れたようだ。
カシャンと小さな音を立てて穂先を失った、相手の鎖。
「…失礼ですが…中国製ですか?」
ただの鎖となったそれを引き戻した相手が、楽しそうに笑った。
接続金具がなければ別のパーツを取りつけることはできない。それでも引き千切ることは可能だと知っているから、僕はその鎖が戦力外だとは判断しない。
「ははっ、パーツはそのようだ。お前の武器はどこの製造だ? 切れ味がいい」
「さぁ。中古を改造したものです。僕はまだ、新品なんて買える身分じゃないので」
僕の腕を絡め取ろうとする鎖を避け続ける。
と、相手は五本の鎖に同時に動きを与え、一気に僕の動きを封じようと試みた。
僕の背後には木の幹。
この瞬間を待っていたのだろう。相手の喜色が、琵琶から伝わってくる気がした。




