第九十六話:最後の戦い
翌日。
疲れを感じさせないシャンとした足取りで、悠達は『世界樹』付近を歩いていた。
もはや、そこは草原とは呼べまい。厳かで雄大なモニュメントが鎮座するそこは、宇宙空間に漂うこの星辰の世界の中央にして、核となる場所だ。
いいや、もはやネーデの中心でさえない。
──今ここは、世界を分かつ分水嶺なのだ。
「あー……一応聞いとくけど、準備はいいか?」
目的の場所に、あと一キロもないこの土壇場で、悠が問う。
世界樹まではもう起伏もなく、ただ歩くだけの道だ。ここからはもう十分もかからないだろう。準備だけではない、覚悟をも確かめる問いかけをするタイミングにしては遅すぎるが──問われたものは、全員がとうに持ち合わせていた。
「うん」
「当然」
「ええ」
「さすがに?」
簡素ながらも同時の返答に、俺は聖徳太子じゃないぞと思いながら悠は苦笑した。
だがまあ、答えは予めから知っていた。旅に出る前に荷物を確認するよりもずっと気軽な、世間話の一環のようなものだ。
「ん、だよな」
だからそれ以上確認することもなく、悠も簡単にそう返した。
そう──これは、喧嘩なのだ。向こうも言いたいことがある、こっちも言いたいことがある。
幸いまだマオル族の人達には決定的な──取り返しのつかない被害は起こっていない。ぶっとばして、頭を下げさせる。ただそれだけの話だ。
悠達の足取りに、淀みはない。思ってたとおり、目的の場所はすぐに近づいてきた。
……巨大な樹だ。近づくほどに、そう思う。
直径がどれくらいかなどわかるはずもなく、高さは数えるのがばかばかしいくらいだ。だというのに、葉の先々まで若々しさを保つエネルギッシュさ。なるほど、世界樹という名前がふさわしい。
ガトゥムの話によると、こんな巨大な樹にたったひとつだけ実るのが全知の実だという。
近くだと天辺が見えないほど大きな木に一つだけ実る果実というのは、一体どんな味がするのだろう。食べてみたかったなあと思う悠と、半開きの口からそんな考えを察したクララ達が、穏やかに笑った。
だが、朗らかな空気も今この瞬間までだ。
尋ね人を見つけると、悠の目は研ぎ澄ました刀の様になり、口は一文字に結ばれる。
「よう、来たぜ」
その声は、飽くまでも気軽に。
しかし声の調子から表情にあって然るべき笑顔は、野生の鷹の様に鋭いものであった。
樹に上体を預けて、瞑想するかのように座り込んでいたディミトリアスが瞳を開け、ゆっくりと立ち上がる。
その様は菩提樹の下で悟りを開いた覚者のようで──
「うん、来てくれると思っていたよ」
人懐こい笑顔を浮かべる、ディミトリアスその人、そのものだった。
人を食ったようにも見える笑顔は、決して挑発的な意図ではなく、悠達が自分の下を訪れたことを心から喜ぶためのものだ。
ひと目見て──外見にあまり変化はない、と意外に思った。
だが、混ざっていた。陽気な青年としての快活さと、公的な聖者としてのディミトリアスの、柔和な笑顔が──
それに、その顔からは眼鏡がなくなっていた。
「あんま、変わらないんだな」
「僕も少し意外だったよ。言っては何だけど、絵画に描かれる神の様な姿になるのかなと思ってた。……完全に『実』が馴染めば、姿を変えるくらいは出来るのだろうけどね」
まるで世間話でもするように、二人は言葉をかわす。
が、どこか冷たい空気が流れている──と考えたアリシアの直感は、間違ってはいなかった。
「それ、言ってよかったのかよ。まだ『全知全能』じゃないんだってよ」
「それでも十分な力があるってことさ。その上で君と戦わなければ、『試練』である意味がない」
静かではあるが、冷たい、一触即発の空気が流れていた。お互い直接は口にせずとも、戦いを避ける気はないと明言しているのだ。
出来ることなら戦いたくはない。悠はもう、そう言わない、思っていない。
必要だと思っているからだ。世界のためではなく、ディミトリアスと分かり合うために。
だから、クララは説得する代わりに──手に持つ魔本を傷めないよう気をつけながら、拳を握りしめた。
「……『ディミトリアス様』。考え直すことは出来ませんか? 貴方なら、もっと穏便に、よりよい世界を導くことも出来たはずだ」
それでもカティアは納得できず、問いかける。
アリシアほどではないが、カティアもディミトリアスとはそれなりに付き合いが長い。返答はわかっていたが、そう聞かざるを得なかったのだ。
「うん、無理だね。理想の世界を実現するまでには、多くの善人が悪人の割を食って死んでいくだろう。そんなのは我慢ができない、だったら僕が、悪人と共に人柱を打ち立てる」
「……まあ、わかってはいました。やはり相容れないようだ」
引き抜いた剣が音を立てて、ディミトリアスは微笑んだ。
「……いせいしゃとしてのあなたはすぐれていました。わたしたちこじをまきこんだじっけんはゆるされませんが、それでもいせいしゃとしてのさいのうをふるうことがゆいいつ、あなたのつみをつぐなっていくほうほうのはずです。それでもですか?」
「だからこそだよ。今ここでやめたら、犠牲になった人の意味がない」
アリシアのそれもまた、確認だ。
この中では一番付き合いが長いからこそ、温和なようでいてやってきたことの黒い部分と、本人の頑固さは知っている。
「やっぱ一遍ひっぱたいてやらなきゃダメみたいだな。……そろそろ始めようぜ。それともまだ引き伸ばしが必要か?」
「んー……厳しいねえ。いいよ、やろうか。実のところ、戦うだけなら十分だろうと思っているんだ」
だから、戦いが避けようがないことは、知っていた。
気がつけば、全員がそれぞれの戦闘態勢を取っていた。
悠は紅刀を抜き放ち、カティアもまた剣を正眼に構えている。
シエルは戦局を見通せる位置を取っていたし、クララは魔本に手を添え、いつでも最善の魔法を扱えるようにしていた。アリシアは、クララの補助に入る。簡単な魔法で、クララのサポートを務める。
「正直にいえば、心が痛むよ。親しい友人に刃を向けられるというのは、結構悲しいものだね。だがこれが選んだ道の縮図だというのなら、僕はそれを乗り越えよう」
ディミトリアスの言葉は、自分に陶酔しているかのようなものだったが、それは本心からでた覚悟である。
だから、悠達にはそう聞こえなかった。
信念をぶつけ合って、打ち破る決意を固めた。
「行くぞ……ディミトリアス!」
「来い、ユウ」
世界を、ヒトという存在を決める戦いが始まると同時──この世界で有史以来最大最強の喧嘩が、幕を開けた。
◆
「たあああぁッ!」
裂帛の気合を込め、カティアが駆ける。
剣が地面に擦れるほどの低姿勢。その速度によって、名剣が石畳に火花を散らす。
小柄故に、カティアの剣は変幻自在だ。肉体を使って戦う以上小柄であることはデメリットにもなりうるが、カティアは弛まぬ訓練で小柄であることを活かした剣術を編み出している。
本来熟達と、幼さは相反するものだ。だが体質的に幼い見た目のまま成長し、技術を磨き続けたカティアには、剣の達人であることと小柄であることが共存していた。
それは、魔物と戦うよりもむしろ人間と戦う上で、有利に働くものだった。
基本的に人間というのは、レスリングにおけるタックルの有用性が示すとおり低姿勢の攻撃に反応しづらい。
高速で低く沈むような動作は、近距離ならば消えたようにさえ見えるほど、人間の目に強い動きだ。
しかし距離があったこともあるが、ディミトリアスはカティアの動きを捉えていた。──ディミトリアスは、戦闘の訓練などしたことはない。
だが──
「シィッ!」
地面から龍が飛び出すかの様に鋭く、剣が振るわれる。それを、ディミトリアスは最小限の動きで避けていた。
その動きは、剣の達人に勝るとも劣らない技術でもって行われた。瞬時に剣の軌道を予測し、柔道の体捌きのように効率的かつスムーズな動きで、かつ最小限で行われる回避。
これはいくら身体能力が優れていたとしても、長年の修練なしに出来る動きではない。
それに──
ディミトリアスは避けた動きで流れるように、上空を見やる。
飛び上がったシエルは、カティアの動きに合わせてナイフを投擲していたのだ。
上下をついた同時攻撃も、ディミトリアスは飛来するナイフを指で挟むようにして受け止める。
──完全に、戦いの定石を知っている、戦い慣れた戦闘であった。
ディミトリアスは争い事なんかしたことがない、というのは彼を知る者にとって公然の事実であった。性格だけではない、勉学と政に全てを注ぎ込んできた故、ある種『お坊ちゃん』の様に扱われていた面もあるのだ。
しかしこの一連の動きは、幾つもの修羅場を潜ってきた熟練の戦士そのもの。
「──『氷閃』!」
この程度で終わると思っていなかったのは、しかし悠達も同じだった。
真横に薙がれる氷の魔力の一閃。綺麗にディミトリアスの上半身と下半身を別つ軌道で振るわれたそれは、必殺の威力を最速で伝える、悠が最も得意とする攻撃技だ。
悠がその能力の名を告げるよりも早く、カティアがバク宙をするように飛び上がる。
だがディミトリアスは何でもないことのように手のひらを差し出した。すると、魔力で出来た、半透明の盾が現れる。
薙ぎ払われた氷の魔力はディミトリアスの盾に当たり、金属球を落としたような音と共に、砕けて散った。
「やはり──ユウ」
身を翻し、悠の下へと着地したカティアが、呟いた。
悠が頷く。
「『戦闘の知識』ってトコか? ……ズリぃな」
「ははは。苦労そのものに価値はないよユウ。苦労をしたことによる『評価』の価値は認めるが、僕の『無駄な努力』に価値はないからね」
悠は、ディミトリアスのその熟練の動きをそう表現した。
──ここに至るまで、悠はディミトリアスの得ているであろう力を、推測としてカティア達に話していた。
発端は『知識』だけがあってもどうしようもないのではないか? という疑問である。だが現代人として様々な物語に触れていたからだろう、悠はSF映画で知識を『インストール』された主人公が、達人顔負けの武術を使えるようになるというシーンを覚えていた。
それに、もう一つ。
「さて、ではこういうのはどうかな」
手をかざしたまま盾を消すと、ディミトリアスの手に赤い魔力が集まる。
悠達は、その魔力の大きさを確認して瞬時に後ろへと引いた。
「『イラプション』」
その魔法の名を呼ぶと、ディミトリアスの手のひらから、小山ほどもある炎が放出される。
だが、距離を取る悠達と入れ替わるようにして、氷山が奔る。
「『アイシクル』っ!」
炎の魔力を確認すると同時、クララが対抗の呪文を放っていたのだ。
赤と青、相反する魔力がぶつかり、せめぎ合って大爆発を巻き起こす。
石畳の地面に大きな爪痕を残し、後には水蒸気の煙だけが残り、それも風に吹かれて消えていく。
「……すごい魔力ね。これも読みどおり」
「さえてますね、ユウさん」
「いやあそれほどでも……って言ってる場合じゃねーな。できればもうちょいマシだと良かったんだが」
クララの魔力を知るが故に、それと相殺したディミトリアスの魔法の強さを思い知る。
想像通りの凄まじい力に、思わず悠達は軽口を叩いた。
「こんなに大きな樹が付ける、たった一つの実……想像してたけど、凄い魔力だね」
答えを口にしたのは、クララだった。悔しそうに噛み合わされた歯は、マオルの人々が拠り所とするものを奪うようにして得た力に向けられている。
「なるほど、知っていたのか。通りで統率の取れた動きなわけだ、いいチームだよ。そう、知識だけじゃあない。巨大な魔力の塊を食べた僕には、それを実行するための魔力も備わっている」
おそらくは悠がそれを彼女らに伝えたのだろう。悠達の会話から自分の能力が割れている事に気がついたディミトリアスは──むしろ、嬉しそうに笑みを作った。
「そう。知恵の実を食べた僕の、戦うための力。それは──『完成していること』だ。武術の、魔術の知識を、実行するための力を伴って得ることができたんだよ」
まるで、いいや。誰かに言いたくて仕方がなかった。もはや隠すこともないと、ディミトリアスは文字通りに大手を振って、その力を明かした。
『能力を奪う』スキルを持っている悠でさえ、反射的に『狡い』と考えてしまった。
だが、これはヒトのあり方そのものとも言える。ディミトリアスはそれを奪うという手段で手に入れたものの──苦心して生み出した技術を次代へと受け継いでいく力は、ヒトの身につけた最大の力に他ならない。
「この知恵の実は、食べた者がその生命を亡くした時、その者が持つ全ての知識を継承してまたこの樹に結実するという。生み出した力を継承していく、まるでヒトのあり方そのものだとは思わないか?」
ディミトリアスの言葉に、悠達は押し黙る。
それを肯定と見て、ディミトリアスは続けた。
事実、そのとおりだと思ったからだ。マオルが生み出した、人類の叡智の可視化。悠達は、全知の実という存在をそう考えている。
「だが、雪玉の様に膨れ上がる力はいずれその自重で潰れるだろう。行き過ぎた力が、自らを押しつぶすんだ。だが僕がその力を扱う、僕がそうさせない。この力は、僕が背負う人々の業──『シン(罪)』だ。絶対的な抑止力として僕が在り、人々から欲という業を取り除いた先にこそ、手を取り合えるより良い未来がある」
だからこそディミトリアスと悠達とは、相容れなかった。
だが、ディミトリアスの言うこともあるいはわかると、悠は思う。
悠のいた世界の地球には『ドゥームズデイクロック』という概念がある。
世界終末時計とも訳されるこれは時計の零時丁度を世界の終末と設定し、世界が零時の何分前にあるかを時計の針で表した概念だ。
世界が滅びる危険があれば時計の針は進み、逆に危機が遠ざかれば時計の針は戻る。実物の時計とは違い、時計の針は戻ることもあり、またその時刻を設定するのは設立された委員会だ。当然、その設定には主観が入ることだろう。正確性を疑問視する声は、幾つもある。
──だがこの時計が生まれたのは、原子爆弾が投下された二年後、冷戦状態にある一九四七年のアメリカだ。そして、その時の時刻は──零時七分前。悠が生まれる五十年以上も前には、人類は自らを滅ぼしうるほどの力を手に入れていたということになる。
それでも、と悠は思う。
「……絶対にないとは言い切れないけどさ、そればっかじゃ、人間に『未来』はねーよ。人間、そんなアホでもないぜ。いつかヒトは自らの身を滅ぼすってお前は言うけど、俺のいたところじゃ、何度もついに滅ぶんじゃねーかって言われてきたのを何度も持ち直してきたぞ。そりゃあ私利私欲とかなんやかんやの醜さで、世界まるごと巻き込んで殺し合いおっぱじめようって、一瞬でも思っちまうバカがいるのも否定しねえ。けどさ、なんだかんだ、そうならないんだよ。それは多分、人間が損得とか、そういうの考えてギリギリ踏みとどまれる様にできてるんだと思う」
悠の言葉を、ディミトリアスはただ黙って聞いていた。
これを言えば、後戻りは出来ない。そう思いながらも、悠は続ける。
「いいカンジに人間って臆病なんだよ。安全を求めてきたからこそ今がある。道を間違えても、誰かが止めてくれるんだ。……それに、人間が未知を求めてきたからこそ今があるって、お前も言ってたじゃねえか。これ食ったらヤバいとか、アレ美味いぞとか、ソレとコレを一緒に食べたらもっと美味いとか。現状に満足しない『次』を目指すからより良い世界ってのが今ここにあるんじゃねえのかな。だから、『罪』なんかじゃない。マオルの人達が作った、その力の名前は──」
すう、と息を吸って、目を閉じる。思い起こすのは、今までの道のり。
一人ひとりのそれはヒトが暮らしてきた歴史から見たら短いけれど、そうして誰かがつけた足跡の、その先に足跡を記してきたヒトの──
「……『歩み』だ。美味しそうなあの実が『欲』しい。もうちょっとで手が届くって。おっかなびっくり歩いた足跡を次の人への印として残す、ヒトのあり方そのものだ。まあ、完全な善意だとは言わねえよ。でも高いところにある実が欲しいから、協力して取って分け合おうぜってので世の中が回ってたのも、事実なんじゃないのか。……欲のない世界じゃ、誰も歩こうとなんてしないぜ。ただただ停滞して、それでオシマイだ」
悠の言葉に、ディミトリアスは口元を覆い隠す。
その手の奥の歯が食いしばられていることを、誰ともなく理解した。
業があるからこそ人は足を引っ張り合うと考えたディミトリアスと、欲があるから手を引く事が出来たと考える悠。
その考えは、やはり相容れることはなかった。
「そうか、残念だよ。わかってくれとは言わないけど、賢い君なら理解し合えると思っていたのも事実だからね」
「あいにく、頭は良くないんで小難しいことは苦手なんだ。今まで大丈夫だったから大丈夫だろって、ある程度はいい加減にやるのもウチの民族の性分でね」
フグの卵巣の糠漬けみたいに。そう締めくくる悠の言葉に、クララ達は脱力した。それがなんなのかはわからなかったが、間違いなく食べ物のことだと思ったからだ。
が、ここからが本当の戦いだということは、誰もが理解していた。
長い沈黙の後、一陣の風が吹く。それが合図となった。
悠とカティアが、反発する磁石のように左右へ別れ、ディミトリアスを挟み撃ちする形に陣形を取る。
より高い脅威度を振り分け、ディミトリアスの狙いを絞る作戦だった。
カティアはその機動性で、悠は高い防御力で、ディミトリアスの攻撃を防ぐ心づもりがある。今のディミトリアスには、その作戦が手に取るようにわかった。
だが、だからといってクララとアリシアを狙う旨味はない。クララはどんな呪文が来てもなるべく早く対応できるように魔力を練り上げている。生半可な魔力の魔法は、全て防いで見せるという気概があった。
ならばシエルを狙われた場合はどうするか? この場合はより単純だ。機動性ではカティアに劣るシエルだが、距離がある分回避行動を取るのはたやすい。
「鬱陶しい!」
両手の魔術を開放し、ディミトリアスが叫ぶ。
悠には高威力を追求した地獄の炎が、カティアには最速の疾雷が、それぞれ迫る。
だがカティアは腕を向けられた時点ですぐさま回避行動に転じていた。悠は、その体を泡に包む。雷を超えるほどだと錯覚するほどの速度でカティアが肉薄し、悠は止まることさえなく炎を突き破った。
炎と雷、それぞれが古代種最大の技に匹敵するほどの魔法だ。が、今の悠達には、個でそれらを凌ぐ力がある。それがチームとなれば──この世に困難と言えることは殆ど無いだろう。
ディミトリアスが究極の個だとするならば、現在の悠達はまさしく最高のチームだと言えるだろう。
戦局は、悠達が有利と言えた。
だが──
「『氷閃』ッ!」
「喰らえッ!」
振り下ろされる氷閃と、胴を薙ぐ斧のような重さを持つ疾風の剣閃。
その何方もが、竜の首さえ断つ一撃だ。
だがそれも、ディミトリアスには届かない。
これだ、と悠は思った。重い金属音が響き、防がれてしまう。
強大な魔力で生み出される防御魔法は、鋼鉄で出来た砦のようだ。
「下がってっ!」
声が響き、悠とカティアが同時に回避行動を取る。悠達が攻撃を加えることで、ディミトリアスは防御魔法を使わざるを得なかった。
フリーになったクララが『タービュランス』を解き放つ。
渦巻く風が一点へと集中し、ドリルの様になって要塞へ風穴を開けんと突き進む。
悠も背後へと飛び退きつつ、その光景に表現どおりのビジョンを見た。
……しかし、魔法の壁は強固であった。
耳をつんざくような掘削音が、周囲へ響く。その音が破壊力を、魔力の盾のダメージを物語る。
が、駄目だ。
「再生、している……!」
思わず、カティアが呟いた。
そう、魔力の盾は砦の様な防御力を持つ。一点集中で削り進むという『タービュランス』の性質は、強固な盾を打ち破るには最適のものだった。
それでも、盾の再生の速度が上回っていた。
ぎり、とクララが歯を鳴らす。隣のアリシアが、普段のクララからは想像出来ない仕草に、一瞬だけ目を丸くした。
「クララさん」
それでも、虚を突かれただけだ。すぐさま冷静さを取り戻したアリシアがクララの名を呼ぶと、クララは食いしばっている歯を緩めて、口を開く。
「ありがと、アリシアちゃん」
「いえ。こういうたたかいでは、サポートくらいしか出来ませんので」
これ以上。この魔法を続けても無意味と判断したからだ。明らかに、向こうよりもこちらの魔力の方が消耗が激しい。
このまま続けて、カウンターに魔法を使えなくなってしまえば、戦力の瓦解が近いと判断したのだ。
「流石──いいチームだ、本当に」
結局、一連の攻防に置いて、双方無傷という結果だけが残った。
それは、悠達にとって最も避けるべき結果だったと言えるだろう。
「……ちっ、なるほど、そういう事かよ」
意図を察した悠に、ディミトリアスは満足げに微笑んだ。
細かく収支を出せば、今の攻防は悠達側に理があったと言えるだろう。
体力や魔力の消費を計算すれば、単純にその様になるのだ。このまま(・・・・)このやり取りを繰り返せば、いつかはディミトリアスの方が先に魔力が枯渇し、動けなくなる。いくら個人として最強クラスの力を手に入れても、それぞれが高水準で構成されたチームを相手にすれば、その総合力が勝っているという結果の現れだった。
だが、言ったとおりにそれはこの状況をこのまま繰り返すことができればの話だ。
悠が舌打ちをしたのは、そこにディミトリアスの思惑を感じたからだ。
「時間稼ぎだろ?」
「正解だ。やはり君は愚か者ではないよ、ユウ」
その目的こそが、時間稼ぎだ。言い換えるのなら──
「……『スキル』の完成だろ」
続きを促されるような苦々しさを覚えながら、呟くように解答する。
その答えは、ディミトリアスにとっての合格点だったようだ。
手まで叩きそうなくらい愉快そうに、ディミトリアスは補足した。
「このままでは君達に勝つことは出来ないだろうけど『進化』の時はすぐそこまで来ている。本当に驚嘆に値するよ。マオルの賢者たち、その全ての知識を集めた力と、同格だなんてね。いや、わずかに君達の方が上回っているか。だが──!」
自分の戦術的優位性を語るディミトリアスの言葉に、悠は歯噛みする。それらがまったくもって、事実だったからだ。
しかし──段々とボルテージを上げるディミトリアスに、違和感を覚えた。それは悠だけではない。大なり小なり、ディミトリアスを知っている者は、皆が同じ感覚を覚えるだろう。
……これが、ディミトリアスか?
行く先を間違っていても、歪んでいても、ディミトリアスは『善人』だ。彼は大真面目に争いがない世界なら誰も涙を流さないと思っているし、そのために自分が悪行を行っていることに心を痛めているし、その罪を背負う覚悟も決めている。
だが、だがその姿は、その言葉は。
「『知恵の実』──いいや『全知の実』か! この実に眠る賢者の知識は教えてくれたぞッ! 『スキル』という力の全てを! 『業』の進化しうる本当の力を!」
最早、ディミトリアスとは別の何かに見えた。
事実、それはもうディミトリアスとは言えないなにかだというべきだった。
──異常事態。だからこそ、どこか引いた視線でその有様を眺めていた悠は考えていた。
マオルの賢者達が受け継いできた膨大な知識。その『容量』はどれほどのものなのだろうか、と。
あんな小さな実に収められているとはいっても、それは見た目だけだ。人間何人分、じゃ効かないほど多くの情報が詰め込まれているだろう。……じゃあ、頭の中にそれが一気に流れ込んだら、どうなる?
そう考えた時、最初に思いついたのはパンクだ。膨大な情報量に脳が耐えきれず、破壊される。そんな作品を、見たことがあるのを思い出す。
だが悠が目にした現実は、違かった。多分、ディミトリアスは詰め込むことが出来てしまったのだ。不要なファイルを消して、その余った部分に。
「はは、ははははは! 夢が、叶ったよ。僕はね、昔一度だけ思ったことがあるんだ。現実に押しつぶされて消えたはずの夢が思い出せるってのは、愛おしいものだねえ」
完全に消えたわけではない。ただ、大切な何かが塗りつぶされてしまった。
ディミトリアスの体に亀裂が走り、亀裂からは激しい光が溢れ出す。光はだんだん強くなってディミトリアスの体を包むほどになると、悠達は腕で影を作って、目を保護した。
──やがて、光は収まる。
「そう、神になりたかったんだ。全部の争いを消すには、それくらいじゃなきゃね。念願、叶ったよ」
それは孵化だった。ディミトリアスという殻が温め続けた、生き方の顕現──スキル。『業』の誕生だった。
「天が僕を選んだ、という感覚はもう捨てなきゃいけないね。これからは僕が道を選んでいかなきゃいけないんだから、さ」
誰が聞いても一言でわかる、増長。
それでも、いっそ滑稽でさえある彼の言葉を笑うことが出来るものは、誰ひとりいなかった。




