第九十四話:ルビーを散りばめて
「いやあ……一日の終わりにまさかこんな大物が来るとはなあ」
激しい戦いのあと──そうは思えないほど朗らかに、ひと目見てわかるほど機嫌がよい悠が、鼻歌でも歌いそうに弾む声で呟いた。
反面、クララやカティアは困惑気味だ。馬肉を食べるという文化がないため、馬を前にしてテンションを上げる悠の気持ちが、理解しがたいためであった。
「うーむ、馬肉とはそんなに美味いものなのか? 食べ物としては馴染みがないのだが」
そんなクララたちの気持ちを代弁するように疑問を口にしたのは、カティアだった。
この世界にも馬──地球のものとは『極めて似た生物』になるが──はいる。この世界でも家畜として扱われており、草食。品種改良により気性も比較的穏やかで、人を乗せて走る程度には懐くなど、その性質も地球にいるそれと概ね同じだ。
地球においても、馬は人類と長きに渡り接してきた。
やはり家畜として利用される事が多い動物で、今では野生のウマは存在しないとされるほど、その関係は人類と密接だ。
だが意外な事に、馬を食べる文化というのは、国によってまちまちだ。
アジア圏は古くから食されてきたようだが積極的なものではなく、ヨーロッパなどで馬を食べるようになったのは比較的最近のことだ。日本においても牛馬の肉は薬として扱われていた期間が長く、一時期は獣肉食が禁忌とされていた時期もあることから『食肉』としてのキャリアは意外なほどに短い。
そもそも、馬食をタブーとする国や民族は意外なほどに多い。
カティア達の国もまた、馬を食べるものとして扱う文化はなかった。
悠のテンションの高さが理解できないのはそのためだ。
「美味いぞ~! しかも、馬の肉は栄養満点なんだぜ!」
だが馬の食肉としてのスペックは、非常に高いのだ。
低カロリーかつ低脂肪、かつ高タンパク質。栄養素も多く含み、運動の味方となるグリコーゲンもたっぷり。
しかも何より、美味い。ソーセージなどのつなぎに使われることから安価な肉と思われがちだが、それらは廃用乗用馬を再利用する目的などがあるためだ。実際には食用として馬を生産するコストは高く、高級な肉として扱われることも少なくない。
本来ならば『野生馬』のバイコーンも筋肉質なのだろうが、この世界の魔物は強いほど美味い。馬肉が好物の悠にとって、食感センサーの反応するバイコーンは紛れもないご馳走なのだ。
「ユウさんがおいしいというのなら、そうなんでしょう。わたしはきたいしていますよ」
「そうなんだが……やはり、どちらかというと乗る動物というイメージが強くてな。尤も、私を振り落とそうと必死だったヤツを考えると、この魔物は乗用には向かないのだろうが」
ユウが美味いというのなら、アリシア達もその言葉を信じる──のだが、やはり騎士のカティアは乗る機会もあった動物を食用として扱うことに違和感を覚えるようだ。
そんな気を知ってか知らずか、悠は華麗にドラゴンナイフを滑らせていく。程よく筋肉のついた肉を切り分ける際の、吸い付くような感覚が心地よい。
「わあっ」
「む、これは」
……こうなってしまうと、やはり肉だ。その美しさに先入観を打ち砕かれるのは、いつもと同じ。だが特に食肉として優れたバイコーン肉は、その美しさでクララたちを魅了する。
「ん! やっぱサイッコーの肉質だな! どこをとっても上質だァ」
好物故に、悠にはその肉質の良さがわかった。
赤みはルビーの如く美しく、汚れないタテガミの綺麗な事。霜降り部分はもはや芸術品だ。
「この部分、白い脂肪は綺麗ね。赤によく映えるわ」
「タテガミだな。コイツは生が美味いぞ。……うん、今日は桜鍋と馬刺しの盛り合わせと行こうか!」
これだけどこを切っても上質となると、やはり素材の味を活かしたいと言うもの。
刺身という悠の言葉に、もはや肉の生食への抵抗をなくしたクララ達はわっと湧き上がった。
「でも、獣のお肉って生で平気なのかな? やっぱりこれも新鮮さが関係してたり?」
「まあな。それもあるけど、馬は獣肉の中じゃ、生食の安全さも高めみたいだぜ」
安全さが高い。それは、馬の食事の方法にある。彼等は牛の様に食べたものを反芻しないからだ。それでも絶対に安全というわけではないが、悠の食感センサーと併せて判断すればその安全性もお墨付きである。
クララ達の不安もなくなったところで、早速悠は調理に取り掛かった。
少し大味だが、太いネギのような野菜、キリ。低い気温で育てられてたっぷりと甘みを蓄えた葉物野菜、ベージャ。そして味噌をベースとしたスープ。キノコがあればより完璧だったなと思いつつも、火の通りづらい野菜たちをセットし、鍋は準備万端に。
一方で肉質の違う各部位を切り分け、刺身にしていく。
タテガミは純白で美しく、脂肪分が少なく鮮やかな赤のももと交互に重ねることでなんとなく目出度さを感じる紅白盛りに。
ヒレは歯ごたえの厚め、気温で溶け始めるほど上質な脂を持つ霜降りの部分は、適度な薄切りに。
「同じ魔物の肉でも、部位でこれほどまでに違うのか……!」
「ど、どんなあじかたのしみですね……!」
もはや、カティアでさえその美しさには魅了されていた。
無理もない。こうして並べても生臭さのかけらもない──甘ささえ感じさせる上品な芳香が、凪の草原に柔らかく漂っているのだ。
桜鍋のがつんと食欲を煽る香りでさえ、宝石を散りばめたような盛り合わせの一皿に比べると気品が落ちてしまう。
「……よし! 肉も煮えたので完成! これで全員分だけど、肉は足りなかったらどんどん追加するから、遠慮するなよ~!」
それでも、鍋とて最高の一皿には違いがない。
並んだ料理に、思わず涎が垂れてくるほどだ。
粗野ながら豪快な鍋と、シンプルながら卓越した技術によって彩られる馬刺しの盛り合わせ。
一日の終わりにこれほどの料理が並ぶ嬉しさに、クララ達が歓喜した。
「馬肉は栄養満点! でも太りにくいはずだから、ガンガン食ってエネルギーつけとけよ! それじゃ、いただきます!」
「いただきますっ!」
栄養満点で、太らない。その一言が、クララ達にさらなる火をつけた。
やはり皆が気になるのは──刺身だろう。悠においては、馬肉の一番美味い食べ方が、馬刺しだと思っている。
「タテガミは一緒に重ねてるモモと食っても美味いぞ。単品と併せとで、違いを楽しんでみてくれ」
こくこくと頷きながら、悠達は全員で馬刺しの盛り合わせへと箸やフォークを伸ばした。
悠が最初に手に取ったのは、赤身の部分だった。脂肪分は少ないがついていないわけではない、ニュートラルな肉質だ。
しっとりと箸に吸い付くような感触に期待しながら、醤油へ端を垂らす。
「……ん! 美味いっ!」
その味は、文句なしといったところだろう。
攻撃的ながらも純粋な草食で育った肉にはくさみがなく、しかし豊富なアミノ酸から旨味は十分。くさみがない故に、上質な醤油の丸みのある味が、ベストマッチだ。
またしっとりシャッキリとした食感の心地よいこと。
「タテガミとは、この様な味か! 美味いのは勿論だが、なんと楽しい食感!」
「ももといっしょに食べると、タテガミがねっとりとしたしぼうぶんを、ももがあまみだけではないうまみをおぎなってさいこうですよ!」
タテガミの上質な脂はさらりと解けて口の中にミルキーな味わいをとどけ、ももの強い歯ごたえと旨味は赤身よりも更に野趣あふれる美味だ。それを合わせれば、潔い食感が脂の濃厚さを絡め取り、実に完璧な調和をもたらしてくれる。
「このヒレ、見た目に反してすごい柔らかさ……! きめ細やかな食感と、旨味が素敵ね。私は、これが一番好きかもしれない」
希少部位のヒレは、これまた素晴らしい肉質だ。脂肪分はないのに旨味はたっぷり、歯を合わせるだけで切れていくような、きめ細やかな柔らかさは筆舌に尽くしがたい。
「し、霜降りの部分もすごいよっ! ショウユが美味く付かないくらいの脂に包まれてるのに、全くクドくなくてサラリとしてて……! 一番柔らかくて、一番甘いよ!」
そして霜降りは──まさしく極上。
自然に溶け出す脂は醤油を弾くほどで、しかしその脂の融点の低さから口の中で残ることなく、雪解けのような食感は未練さえ感じさせる愛おしさ。また特に上質な脂は甘く、赤身部分の旨味とのバランスは奇跡と言うにふさわしいほどだ。
擦ったザビィを乗せれば、脂肪分がザビィの辛さを抑えつつ、香りはむしろ爽快と言えるほどの爽やかさを生み出す。
一切れごとが全く違う味と食感を持つ、美しい盛り合わせは七色の宝石が並ぶジュエルショップの如くだ。
「これは、きけんですね……あきがこず、いくらでも食べられてしまいそうです」
「低脂肪って言っても、タテガミとかは流石に、ね。美味しいって怖いわ」
どれもが逸品で、かつ品目が多く飽きが来ない。
アリシア達は冗談めかしながらも、恐ろしいというのは痛感していた。
しかし、まだ追撃は終わらない。
「はふっ……んぐ。この鍋も実に素晴らしいな! ミソというやつは、何と合わせても美味いな!」
「具材の味が出てるミソスープって点ではアラ汁と変わらないのに、野菜とお肉がベースってだけでこんなにも変わるんだね! それに、お刺身と一緒だとこの温かさがすごく嬉しいよ~!」
鮮烈な旨さをこれでもかと見せつける馬刺しに対し、染み渡るような鍋の旨味は食事に緩急を生み出し、より飽きを遠ざける。
また温かいというのが良かった。なんだかんだと言っても温かい食事という満足感は替え難く、栄養満点の滋味は体の芯から活力を生み出してくる。
もしもここに生卵があれば、悠の人生における食事の中でも文句なしのトップだったろうと言い張れるほどだ。
逆に言えば、それだけバイコーンが強力な魔物だったということもある。これほどの大物を狩ることが出来た達成感というのも、またひとしおだ。
うまい肉をガツガツと食らう心地よさは、万人共通のもの。時折鍋に追加の肉を投入しつつも、いつの間にか料理は綺麗に平らげられていた。
「ぷっはー……大分食ったなあ……」
「食べたばっかりなのに、なんかもう元気が湧いてきた気がするよ~」
「でもおなかいっぱいなので、さすがにねむくなってきましたね」
なくなった料理の代わりに悠達を満たすのは、筆舌に尽くしがたいほどの満足感だ。本当に美味いものを腹いっぱい食べれば、もう何も言うことはない。
気がつけば、食べたばかりで良くないと知りつつも、誰もが仰向けになって星空を仰いでいた。
言葉は発さなかったが、皆心地は同じ。充足感に身を任せ、目をつむりたくなってくる。
だが、悠だけは他に思うことがあった。
それは敵となってしまったディミトリアスのこと。
あそこまで考えをこじらせるに、ディミトリアスにもきっと何かあったはずだ。それは、今こうしている悠達のように、美味いものをたくさん食べても払拭できないようなものなのだろうか?
いいや、悠とてそれはわかっている。ディミトリアスにも譲れない信念というのはあるのだろうし、そもそもディミトリアスがああなったのは──こういう当たり前の幸せを奪う人々に、怒りを覚えたからだ。
しかしそれでもまだ、悠はディミトリアスとわかり合うことが出来たらいいと思っていた。
「よっ……と」
上体を起こすと、悠の動きにつられてクララ達も同じ様にして起き上がってくる。
なんだかその様子がおかしくて、悠達は笑いあった。
「よし、寝るか!」
今は英気を養おう。十分に食欲を満たし、たっぷりと睡眠をとれば活力は湧いてくる。
迷わないと決めたのだから、あとは全力で走るだけだ。
この夜、悠は自分でも驚くほど早く眠りにつくことになる。朝起きてみなぎる力に手応えを覚え、最後の場所へと向かうのだ。




