第八十七話:故郷の食卓で
「全く、先程は流石に少し驚いたぞ」
「ははは……いや面目ねえ。まさか味噌と醤油がまた味わえると思わなかったもんで」
マオルの街の食材を手に入れ、悠達はガトゥムに貸し与えられた住居への帰路に付いている。
醤油と味噌に興奮し、振り切れたテンションで暴走していた悠も今は先程の自分を思い出しては苦笑いで冷や汗を浮かべるなど、冷静を取り戻している。
「でもここまでなるのは珍しいね。それだけ、嬉しかったんだよね」
「ン……まあ、そうだな。やっぱスゲー嬉しいよ」
だが──そう。それほどまでに、嬉しかったのだ。
海外へ出た人が日本の味が恋しくなって、というのはよく聞く話。二度と会えないと思っていた故郷の味に会えたというのは、食いしん坊の悠でなくとも感涙にむせぶはずだ。
「でもわたしもうれしいですよ。みなさんもそうでしょう」
「それを言われると、同意せざるをえないな。まさか本当に『ショウユ』に出会える日が来るとは思わなかった」
「見つかったのが伝説の街っていうのが出来てる(・・・・)わよね」
しかし醤油の発見を喜んでいるのは悠だけではない。
時には生きる糧として、時には心を奮い立たせ、時には楽しみとして──様々な形で悠の料理に心身を満たされてきたクララ達もまた、悠がしみじみと語る醤油の存在を求めてきたのだ。この世界の果て、星空に浮かぶ伝説の街でそれが見つかったとあれば、期待もどんどんふくらんでいくというものだ。
「でも悪いな。クララなんか特に、食べ歩きとかにも興味あったんじゃないか?」
「ううん、確かにマオルの料理にも興味はあるけど──どっちかっていうとそれは興味だから。期待してるって意味では、やっぱりユウの料理が一番だよ! もうマオルの街も見つかったんだもん、売ってるような料理は食べようと思えばいつでも食べられると思うから、ずうっと気になってたユウの料理が早く食べたいなって!」
外れはない、という安心感は絶対だ。そこまで信頼されている事に嬉しくなりつつ、悠はその腕を振るう意欲を高める。
「オッケー! 手を抜いた事はねえけど、今日はもっと頑張るからな!」
やる気を込めて、ぐっと力こぶを出すようなポーズをして見せて、にかっと笑う悠。
だがその瞳の奥には、ふとした感心があった。
「(いつの間にか力こぶなんか出来るようになったんだな。……昔はこんな風にやってもちょっと膨れる程度だったんだけど、わかんねえもんだ)」
身体能力の大部分を魔力で補うこの世界の人々とは違い、悠の身体能力は『食』の力と筋力、僅かな魔力のハイブリッドだ。それ故に、悠の身体はこの中でも一番変化が大きい。
気がつけば、悠の身体は細く絞られた筋肉で覆われていた。改めて見ることのなかった変化に、なぜだか今更『遠くに』来たという実感が湧いてくる。
地球ではないこの世界に来て、自分は変わった。だからこそ、変わらないモノが、懐かしい味が恋しくなるのかもしれない。
折角、そんな昔を懐かしむ機会が得られたのだ。今日は腕によりをかけよう。
開く自動ドアをくぐり、買い込んだ食材を整理していく。冷蔵庫のようなモノは地上にもあったが、洗練されたデザインが昔懐かしい地球を思い起こさせる。
最新鋭の道具を見て懐かしさを感じる不思議に、悠は笑みを浮かべた。
雑談などしつつ、備蓄食料のあまりの『白銀米』を炊く。
吸水の時間を雑談などして過ごすと、どうやらそろそろ良い具合。
「よし、じゃあ今日は──『丼』言ってみようか! 煮ても炒めても美味い醤油だけど、最初は生の醤油を味わってもらおうと思う」
キッチンに立って気を引き締めると、悠は今日の献立を宣言した。
かつて台地の頂上で食べた『丼』。多岐にわたるそれの中でも、今日は醤油がなければ成り立たない海鮮丼を選択したようだ。
「生の? っていうと……」
生の醤油と相性抜群の丼──といえば、多くの人はこれを連想するのではないだろうか。
「海鮮丼だ! ……いや、宇宙の水場を何ていうのかはわからないけどな」
海鮮丼。即ち、生魚を使った丼である。
かつては生の魚に抵抗感を持っていたクララ達も、その言葉にはぱっと表情を明るくする。
悠が醤油を語る際に欠かせなかったのが、魚という存在である。山で、奇妙なことに砂漠で、浮島で魚を食べるたび悠が想った組み合わせ。それがついにベールを脱ぐ時が来たのだ。
「と、ついでに味噌汁でも作るか。ああ、まさに日本の食事って感じだ……」
そしてもう一品、味噌汁。
今回の具は海藻のみとシンプルだが、魚の骨やアラ等を使用してダシを取るつもりだ。使っている材料的にはアラ汁とでも言うべきなのかもしれないが、そこは悠が少しでも昔の日常気分を味わってみたかったからだ。
とはいえ──
「……しかし、これもすげえ魚だよなあ。妙に宇宙的っつうかなんつうか……『混沌魚』とかって名前だっけ?」
「きれい……とは言えませんね。どくどくしいかがやきです」
今回の昼食の主軸となる魚が、どうしても日常感を味あわせてくれないのだが。
混沌魚。そう呼ばれた魚の外見は、一言で言って『レインボー』。それに尽きた。
フォルムそのものは鯵などにもよく見られる流線型なのだが、その色がとにかくスゴい。混沌の名にふさわしく、体表の色は見る角度によって無限に変化する。赤や青、黄色にはたまた緑やとんでもないのは紫等──とても食欲をそそる見た目ではないものの、味は保証するというのが魚屋の言だ。
なんでも、この色はあらゆる属性の魔力が集まるネーデの土地の力を存分に取り込んで育ったから……ということらしい。
それって余計に大丈夫なのかと思った悠だが『食』の力は安全であることを示すばかりか、興味をグングンと引いてくる。
どうしても生の魚と醤油という組み合わせが食べたかった悠は、近辺で採れる──刺身にできるほど新鮮な魚がこの混沌魚だけだったという事もあり、購入に踏み切ったわけだ。
とはいえ──
「皮を剥げば、身は綺麗なものね」
「アークの鰐もそうだったな。美しいピンク色……脂のノリが実にそそる」
皮一枚の下は普通の肉とさほど変わらない──というのが基本的な生き物の構造だ。
皮の下の肉は、言う通り脂の乗った桜色。てらっとした皮下脂肪が艶かしく、なんとも期待を掻き立てる。
悠のナイフは滑らかに、素早く混沌魚の身と骨を切り分けていった。音もなく滑るナイフに、クララ達の歓声が響く。
むず痒くも慣れたこともあり、悠の手は止まらない。
あっという間に刺し身の状態になった混沌魚の身は、滑らかな断面に薄い油の膜がコーティングされており、なんとも美しい。
「申し訳ない、少し邪魔を──と、これは。料理の最中でしたか」
さあ刺し身を御飯の上に。今回のクライマックスとも言える瞬間に、ふとそんな声が聞こえる。
突然の声にドアの方へと視線をやると、そこにはガトゥムが居た。
「機会が悪かったかな。出直しましょうか」
「あー、むしろグッドタイミング? 良ければ一緒に食べてきませんか?」
出直すという言葉を聞くと、様子を見に来ただけではないようだ。
ガトゥムから自分達へ用事があることを感じると、悠はどうせなら今話してしまえばいいという考えも込めて、ガトゥムを食事へと招く。
「む、それは嬉しいお誘いですが、しかし悪くはありませんか」
「いえいえ。量には余裕ありますし、また訪ねてきてもらうのもナンですから」
「ユウの料理はとても美味しいんですよ! ガトゥムさんも是非食べてみてくださいっ」
遠慮から一度は断るガトゥムだったが、悠とクララによる波状攻撃で、ガトゥムは揺らいでいるようだ。
食事そのものへの興味よりも、招待を断る事を非礼と考えているのだろう、わずかに逡巡してからガトゥムは頷く。
「わかりました。私も、地上の食文化には興味がある。ご一緒させていただきましょう」
「わっ! やった! ありがとうございます!」
「ユウの料理は地上ともまた違うものですが、味は保証しますよ」
喋り方や、客人の応対を任されているという事からも予想できるが、ガトゥムは真面目な性根のようだ。
結局断りきれず、あれよあれよという間に席へとつかされる。
「……ふむ、良い匂いですな。これは味噌汁……? だが、我々のものとも違う香りだ。これは、ユウ殿の生国の料理なのですか?」
「あ、やっぱこっちにも味噌汁あるんスね。そうですそうです、味噌とか久しぶりに見たんで、懐かしくなっちゃって。香りが違うのは、ダシの違いですかね?」
が、異文化の味が気になるというのも本当らしい。
芳しく、強烈な魚のダシを感じさせる味噌汁の匂いに、ガトゥムは控えめに鼻を鳴らしている。
味噌があるのだ、やはり味噌汁もあるのか。異界の地が自分の生地と同じ文化の発展を遂げていた事に嬉しさを感じる。
しかし──
「……? ダシ、とはなんでしょうか」
この世界ではまだ足を踏み入れていない場所もある。
「えっ、いや味噌汁作る時ってダシとったり、入れたりしません?」
「ふむ? その分ではダシという食材そのものがあるわけではないのですか。ええ、我々の文化にはまだその『ダシ』というものはありませんな」
味噌はある、醤油はある──だが、まだこの国には『出汁』の概念がない。
とはいえそれ自体はおかしいということもない。日本においても、明確に出汁という技法が生まれたのは味噌の後という考えもある。
悠がここにやってきたのが、その空白の期間の間だったというだけだ。
「なんていうか、色んな物を煮出した汁なんですけど。旨味とかを抽出して、料理に風味とか旨味を足すためのスープって感じですかね?」
「ほう……! なるほど、勉強になる。これは実食の方も楽しみです」
うまい説明ができないもどかしさを感じつつも、悠はガトゥムに出汁の概念を説明する。
ガトゥムは悠の説明を熱心に聞いており、悠もやはり自分の話を真面目に咀嚼するガトゥムの様子には好感を持つ。
クララ達もまた、かつて自分達が悠の話を聞いて同じような反応をするガトゥムを微笑ましく見守っていた。
「さて、そんな話をしていたら出来ましたよっと! 今日は混沌魚の海鮮丼と、味噌汁だ!」
ガトゥムが来た頃にはもう八割がた完成していた事もあり、昼食の準備はすぐに完成する。
配膳していくにつれ目が輝いていくクララやアリシア──と、困惑するガトゥム。
「……失礼、魚が生のままのようですが」
「あっ」
しかし、悠は失念していた。この世界ではまだ、魚や肉の生食が一般的ではないことを。
冷蔵庫に代わるものや、醤油の存在などから当たり前にその存在を結びつけていたが、技術の発展しているネーデにおいてもまだ生食は禁忌のままであるらしい。
「これで完成……なのでしょうか?」
「まあその、そうなんですよ。一応弁明させてもらうと俺って『食』の能力があるんで、アレルギーとかじゃなきゃ百パー大丈夫って保証できるんですけど……あー、理屈とか説明させてもらっても?」
ノリノリで、食事に招いて生魚を出す──というのは、この世界においては好ましくないことだろう。
ガトゥムも悠が悪気を持っていないことはわかっている様子だが、その顔にはありありとクララへの哀れみ。悪く言えばこんな食生活を送ってきたのかという同情のようなものが見て取れる。
だが──
「絶対大丈夫です! 悠の能力はとってもすごくて、料理はとっても美味しいんです。ウソだと思うなら、ミソシルの方からでも一口食べてみてくださいっ!」
身を乗り出すほどに、クララは語調を強めてそう詰め寄る。
怒っている、というわけではないが、その剣幕は見る者によっては怒りに見えても仕方がないもの。それでもクララが『怒る』という事はこの場のものには想像しづらかった。
どちらかと言えば、悲しい。信じているものを貶められた、という程ではないにせよ、否定的な意見を耳にして辛いという色の表情だ。
ガトゥムも、一日前にたっぷりと時間をとって悠達と話したからか、クララの表情の意味には気づく。
「……申し訳ない。我々の理念にも反する言葉でした。では──味噌汁からになりますが、一口頂いても?」
「ど、どうぞどうぞ! でも無理はしないでくださいね」
頭を下げるガトゥムに、身振りでそんな事はしないようと否定しつつ、同時に無理もしないよう進める。
視線の集まる中、湯気の立つ器に口をつけるガトゥム──
味噌の優しい慣れた味が染み渡る。だがそれだけではない。波立つ──本物を知らぬ──海を想起させる、激しい風味。出汁が味噌の味を引き立て、海産系の出汁の与える深みがその懐の深さがまた得も言われぬ感覚を生む。
「……美味い。圧倒的に。日常の味が少しの手間で、これほどまでにハイレベルに変化するのか……」
美辞麗句ではない、心の底からの声が、温まった息に乗ってゆっくりと吐き出された。
「やった! ユウの料理、美味しいでしょう?」
何故か一番嬉しそうなクララに、ガトゥムは夢見心地で頷いた。
「美味しかったからって安全ってわけじゃないんだけど……少なくとも、私達はユウの料理を信頼していて、安全だっていうのもウソじゃないって思ってるんです。ガトゥムさんにもユウを信じてとは言えないけど、私達はもうユウの料理を怖いって思わないから……楽しくて、美味しくて、元気が出る料理だって思ってるんです」
だから──とはあえて続けなかった言葉に、ガトゥムは頷いた。
これが、長い旅の楽しみであり支えになってきたのだろう。一口の深みは、不思議なほどの説得感を持って、クララ達の旅路を思い起こさせた。
「重ねて、謝罪しましょう。申し訳なかった。貴方の料理は、本当に素晴らしいものだ」
「あ……ハイ。なんか、そうやって言われるとテレますけど……ありがとうございます」
クララの言葉と悠の料理に経緯を持って、ガトゥムは頭を下げる。
悠も生魚がこの世界でどう扱われるか知っているため、それほど気にしている訳ではなかったが、その謝罪は否定するほうがガトゥムの真摯な態度に対して失礼だろう。そう思い、正さなかった。
「此方の海鮮ドンも、頂いてよろしいでしょうか?」
「そ、そりゃ是非!」
ガトゥムの言葉に、悠達は湧き上がる。
自分のルーツを、自分達の信じる者を否定されるのが悲しい様に、文化の違いを乗り越えて歩み寄ってくれるというのは嬉しいものだ。
明るくなった空気に悠が「いただきます」の宣言をすると、また一つガトゥムは意外そうで、納得をする様に息を漏らした。
「んん、美味しいっ!」
「ぷりぷり食感と濃厚な脂の味! そして驚くほどに臭みがないな!」
「ショウユがうまく隠しているのかしら。……ううん、それだけじゃない、これはむしろ引き立てあっている?」
「おみせでかいだショウユのかおりのいがらっぽいぶぶんがかんじられないようになってます……! きひんのあるこうばしさが魚のくさみをおさえ、おこめのあまみを引き出しています!」
一気に賑やかさを増した食卓には、喜びの声が行き交っている。
だがやはり、今日一番喜んでいる者と言えば──
「うおお……! 醤油! 刺身! 味噌汁ッ! まさかまた食えるなんて……!」
二度と会えないはずの味に再会することが出来た、悠にほかならないだろう。
涙までにじませて食べる海鮮丼の味は、新しい体験をしたクララ達よりもなお大きな感動で打ち震えている。
そんな悠を見て微笑むクララ達と──一行を見て、笑みを浮かべるガトゥム。
「よい友人関係ですな」
「あ、ごめんなさい、騒がしくて……」
「いや、謝ることはない。同胞が──クララ、君が心の底から彼らに受け入れられているようで、そして君が心の底から彼らを信頼しているのが感じられて、私は嬉しい」
ガトゥムの言葉は、さほどの抑揚を感じさせない穏やかなものだったが、暖かだった。
クララの目頭が熱くなる。色々な種類の嬉しさが混ざって、溢れそうになった。
気持ちを零さない様に瞑った瞳は、輝く虹のような曲線。
「はいっ!」
思い切りの笑顔で、クララはそう答えた。
「ユウ殿も──本当に、素晴らしい食事でした。これほどのものを惜しまずに分け与えられるのは、素晴らしいことだと思う」
「い、いやいや! そんな大げさな……フツーに売ってるものを料理すれば良いんだから、大したことじゃないでしょう。まあここじゃないと買えないって意味じゃ醤油とかは貴重ったら貴重なんですけど……」
「謙遜なされるな。少なくとも私はこれ以上の食事というものは想像が出来ません。とはいえそれは主題ではない。……貴方の様な方がいたからこそ、クララはここまで来られたのだと、実感しました」
「ええ……? いや、俺は──」
予想以上の反応に、今度こそそれは違うと反論しようとする悠だが──当のクララが、悠へ向けて首を振っている。それを、否定しないで、と。
「……俺だけでも、無理だったと思うんスけどね。ただまあ──メシはみんなで食ったほうが美味いっていうのが、モットーですから」
だから悠は、そこだけを付け足した。
ふてくされているようにも見える、照れた悠を茶化すこともせず、ガトゥムは満足げに頷いた。
これならば。小さな呟きが聞こえると、ガトゥムは真正面から悠を見つめる。生真面目さが伝わってくる揺れのない眼光に、思わず悠も態度を正す。
「もう直にアークは出航してしまいますが、ユウ殿達はしばらくヘレムに滞在なされるので?」
「そのつもりです。あー、後で色々聞きたいんですがいいですかね」
「それはよかった。用事の一つは此方での過ごし方などについての説明でしたので。本来ならばもう一つの用事を先に済ませようと思っていたのですが──少し前後してしまいますが、此方での過ごし方についてお話させて頂いても?」
「大丈夫です。むしろありがたいかも」
悠への質問、そして返ってきた答えを聞くと、ガトゥムはまた頷く。
「では、まず滞在費のことですが、此方はある程度は支給されます。日常生活を送るにはこれだけでも問題ないでしょう。より多くの嗜好品や物産が欲しい場合は、地上の物や魔物の素材などを金銭と交換されると良いでしょう。宿泊施設は此方をそのままお使いください。アークがもう一巡りしてくるまでは、貴方達の他に外の人が来ることもないのでお気になさらず。此方は綺麗に使っていただければ、対価を要求することもありません──と、ここからがお話の肝なのですが」
ヘレムでの滞在に関する話を聞かされ、その予想以上の好待遇に驚く悠達。
だがガトゥムは話の肝と前置きをして、息を継ぐ。
「良ければ滞在中、我々にユウ殿の料理の技法を教えていただきたい。無論、無理にとも只でともいいません。お教えいただけるのならば、相応の対価をお支払いしましょう」
それは提案だった。
料理を教える代わりに、対価を支払う──単純な話だ。
だがそこに気軽さはなく、射抜くような真面目な視線が悠から離れずにいる。
どうやら、ちょっとした料理教室というモノでもないようだ。思わぬ展開に、たじろぐ悠。
「ちょ、ちょっと待ってください。俺の料理って所詮趣味くらいのもんすよ!? 適当でやってる部分も多いし、そんな金もらって教えるほどのもんじゃないです。軽く伝えるくらいならタダでもやりますから……!」
人様に教えるほどのものではない。そこそこ料理の腕には自信があるが、それは飽くまでも趣味としてのもので、料理教室を開けるようなものかと言えば否だろう。
「そういうわけにはいきません。価値には正当な対価を。それが当たり前というモノです。たとえ『かけら』だとしても貴方の技術と知識には非常に高い希少性と価値がある。現在の我々に必要な知識を相応の対価で受け取る、それだけの話です。」
しかし、行き詰まった何かを軽い助言の一つが大きく推し進めることもある様に、優れた知識というのはその一片でさえも大きな力を持つ。
ガトゥムは、マオル族が地上と比べ進んだ技術を持つが故に、知識の持つ価値に対しては譲る気はなかった。
「我々は地上の人々に比べ、優れた技術を持っていると、自負しています。それは数百年、数千年に渡り穏やかな世界を目指して研鑽を積んできたからこそ。……しかし、それゆえに他の文化が未発達であることも事実です。日々を穏やかに暮らす余裕を手に入れ、ようやく我々は料理や音楽などの豊かさを学び始めましたが、それはごく最近のこと。まだまだ我々の『文化』は未熟だ」
それは、決して大げさなことではない。
言われてみればと、悠にも思い当たる節はあった。ヘレムに辿り着いた悠が最初に感じたのはいわゆる『SF』的な完成度、そして合理性だ。極限まで無駄のない『機能』に特化した街というのは、生物的な感情の介在しない──無機質であるとも言い換えることが出来た。
「ユウ殿の味噌汁には、それを痛感させられました。ただ味噌を溶いた水に具を入れただけの我々のそれとは違い、旨味を煮出した『ダシ』を作り加えるという一手間。それは正しく、豊かさの表れです。これから文化を発展させていく我々にとって、その知識はかけらでさえも大きく物事を推し進める賢者の石が如き存在だ。どうか、その知識を我々に分け与えてはもらえないでしょうか」
だからその知識が必要なのだと、ガトゥムは再び頭を下げる。
大真面目に言われ、悠は混乱している──が、真摯さは伝わった。
それに、言っていることは分かる。何より料理の一手間を豊かさと表現するのは、悠の心に大きく響いた。
「……わかりました。それが、手伝いになるって言うなら、必要だって言うなら喜んでやります。報酬とかっていうのはまだちょっと重いけど、そう言われて嬉しいってのはありますし」
これほどの文明を築いた人々に、自分のルーツである国の技術を──先人たちが積み上げてきたものをこうまで言われると、やはり嬉しい。
文化を築く、その手伝いが出来るのならば、悠としても誇り高いというものだ。
「引き受けてくださいますか。……誠に、ありがたい。他にも我々の力になれる事があれば、なんなりとお申し付けください。クララをこの地まで連れてきてくださったことといい、悠殿達は我々の恩人です」
差し出された手を握り交わす。
本当に真面目な人達だ、と思いつつ、不思議な温かみに悠は微笑んだ。
しばらく友好を確かめてから手を話す。
「さて、ではもう一つの話をしましょうか。此方はクララへの確認が目的なのですが」
「私ですか?」
そうすると、気分と同時に話を切り替えるガトゥム。
淡白な切り替えの速さに、妙な面白さを感じて、くすりと鼻を鳴らしてしまう。
が、どうやら真面目な話らしい事を感じると、悠は姿勢を正す。
「実は、君に会いたいという人がいる。地上から此方へやってきたマオルの者なのだが、地上に姉を残して来たそうでね。其の者は既に四十を越えている。年齢的にも時期的にも、関係者である可能性は低いと思うのだが、彼の心の決着のためにも、一度顔を合わせてやってはくれないだろうか」
地上からやってきたマオル族──自分とも似た境遇の人物の存在に、クララは息を飲んだ。
姉を残してきた四十代の……確かにガトゥムの言う通り、クララとの関係性は薄そうだと悠は思う。
「その人が会いたいって言ってるなら、私は大丈夫ですよ。きっとその人も、色々な思いがあってここに来たんでしょうし、私に会いたいって言うのも、その人にとって大切な意味があるんだと思います」
それでも、会わない理由にはならない。
極圏で見てきたマオルの絶望が、そうさせた。それがその人にとっての救いになる可能性が少しでもあるのならば会いたいと、そう思う。
「君ならそう言ってくれると思っていた。では、そうだな。また明日にでも訪ねてきていいだろうか?」
「はい!」
「ありがとう。では、皆さんも正午に此方にいてもらっても良いでしょうか?」
「大丈夫ッスよ。時間ちゃんと見ときます」
「助かります」
昼夜のないネーデで「昼」に約束をすることに、不思議な高揚感を覚えつつ、承諾する。
見れば、クララの表情からもわずかに興奮が伝わってくるが、これは地上から来たマオル族という自分と同じ立場にいる人と会えるからだろう。
挨拶をして去っていくがトゥムを見送って、悠達はガトゥムがいなくなって空いたぶんのスペースを詰める。
「地上から来たマオル族、か。クララ以外にもいたのだな」
「苦労したでしょうね。アルパが居たあの時じゃ、中央の施設は使えなかったでしょうし」
自然と話題に登るのは、明日会うであろう地上から来たマオル族のことだ。
自分達でも相当苦労し──少なくとも悠がいなければここまで来ることは出来なかっただろうと考えているカティアやシエルにとっては、その道程の困難さが思い起こされる。
凄腕の冒険者なのか? あるいは、より優れた魔法の力があるのか。
冒険者としての観点から、戦いの技術について話すカティア達は、楽しげだ。
「……どうしましたか、クララさん」
「あ……うん、やっぱりどんな人かなって気になって」
「そのわりには、うかないかおですが」
一方で『同じひと』を思うクララの表情は複雑だった。ワクワクしている──しかし、緊張? いいや、心配を感じさせる、喜びきれない表情。
「うん、ユウやみんなが居ても、大変な道のりだったと思うから。その人もここまで本当に苦労したんだろうなあっていうのがやっぱりあって──そんなに大変な思いをしても、思い残すことがあったんだなって。地上にもまだ大変な思いをするマオル族の人達がいるんだなって考えたら、ちょっとね」
それはここへ来た『同じひと』だけではなく、地上にいるであろうマオル族の人達への思いだ。
ここが幸せな場所だからこそ、地上に残された人の事を思うと少しだけ寂しくなる。
しんみりとした感情の吐露に、静けさが訪れる。
だが、それも僅かなこと。
「だったら、下に戻った時にでも探してみようぜ。どうせ極圏巡り自体は続けるんだから、一緒に探せば効率いいだろ?」
悠は、当たり前にそう提案した。
そんなのは何でも無いと軽い調子で言うのは、一見して空気が読めていないかのようだ。そんな調子でも、クララ達にはそう映らない。
無理難題を『やればいいじゃん』というのではない、出来るのだからやってみようと、提案する。
「ユウ……」
「あー……その。なんだ。まだまだみんなで色んなところに行きたいと思ってたからさ。当たり前みたいに言っちまったけど、平気だったか? やっぱずっと探してた場所だし、ここに残りたいっつーなら、尊重したいとも思ってんだけど……」
「そんなわけないよ! 私だって、みんなと一緒に旅をして──美味しいものを食べたいって、そう思ってるよ」
「ん、よかった」
わざとらしい咳払いでほっとした息を隠して、悠は顔に入れていた力を緩めた。
カティア達がにやにやとしているところを見ると、カッコつけるんじゃなかったと後悔する。
けれど、悠の気持ちがクララにはありがたい。
「いや、ちょっと気になってたんだよな。……まあ、これからもヨロシクってことで……」
「うんっ!」
だから敢えてそれを指摘するようなことはしない。
照れくさそうに差し出される手を力いっぱい握ると、悠は真っ赤になる。
こんな時間が続けばいい──と、そう思うのならば、続けることにした。それだけの話。
なんでもない時間をなんでもなく楽しむ悠達の時間は、過ぎていく。




