第八十六話:へレムの街
ヘレムに到着した翌日。
悠達は星空の下、明るい街を歩いていた。
やはり空は黒いのに地上は明るいというちぐはぐさに違和感を覚えつつも、今は興奮のほうが勝り、はしゃいでいる。
「うおお……! これがヘレムの街の商店街か……!」
「なんとも静かな街だな。露店のたぐいもなく、随分と洗練されている印象だ」
そこはモイラス、地上の街とは違い、露店はない。それ故か静かではあるが、極端に人が少ないわけではなく、人通りはそこそこといったようで、寂しい印象はない。
この辺りで一番騒がしいのが悠達の一行であるのだが、周りのマオル族は彼らを見ては、微笑ましい視線を向けている。これらの視線はバカにしているわけではなく、自分達の文化に触れることで喜んでいる悠達を好ましく感じているものだ。
比べず誇る。どちらも素晴らしいものとしながらも、自分達への称賛は素直に喜ぶ。マオル族の人々の精神性は、非常に穏やかだ。
「でも、不思議だなあ。こんなに静かなのに、なんだか落ち着くよね。地上に居た頃は、こんなに静かな商店街とかに来たら何かあったのかなって思っちゃうけど」
「そう言われればそうね。……なんでかしら」
人々の流れは足を止める要素の少ない通りにも関わらず、緩やかである。落ち着いた人々の流れは、ヘレムの街にも柔らかな空気を満たしているように感じられる。
「見てください、あんなに高い場所にはしがかかっています」
「ホントだ! よく見たら、立体的な街だなあ……」
空気感だけではない、やはりその造形そのものも悠達の興味の対象だ。
ビルと言っても差し支えがない高さの建築物に、それらを結ぶために中空を縦横無尽に巡る橋──歩道のビジュアルは、やはりせいぜいがニ、三階建ての建築物しか無い地上とは大きく違う。
悠にとっても、クララたちにとっても、ここは『未来都市』であった。
ここにはきっと、まだ想像も出来ないようなモノがたくさんあるのだろう。そう思えば、六ヶ月という期間も十分なものかわからない。
再び『アーク』が巡ってくるまでの期間でヘレムを、あるいはネーデを探索し尽くす。そう決めた悠達の最初の目標が──ヘレムの食文化にふれることだった。
「っと、それより順番に目的果たしてかなきゃな。なあシエル、本当にあっちの人探さなくていいのか?」
「いいわ。こっちにいる限りは会おうと思えば会えるでしょうし。私も、ヘレムの食文化が気になるもの」
悠にとっては、『食』というものは旅の一番の目的である。
こちらに来て最初にすることとすることがヘレムの食探訪とは、流石の悠も「本当にいいのか?」と疑問に思ったものだが、まずはみんなが楽しめるものを、ということでクララ達からは賛同が得られている。
いいというのならば悠に断る理由はない。
そうして始まったのが今日という日であった。
「よーしじゃあ本格的な観光は後にして、一先ず資金の確保と行くか!」
「まもののそざいをうりかいする文化がこちらにもあってよかったですね」
何かを買うなら金がいる──その点は、此方でもなんら変わりはない。
幸い、此方でも魔物の素材などは需要があるようだ。
装飾、武器、実用品。より進んだ魔法の技術を持つからこそ、マオルの人々にとっても力を宿す魔物の素材は宝なのである。
まずは資金を得るべく、悠達は換金屋へ向かうのだった。
◆
「金、替えてもらったけど、これどんくらいの価値なんだろうなあ」
「ふむ、流石にわからないな。が、硬貨の量でいえばそれなりなんじゃないか?」
「見たところそれほど種類があるようにも見えないよね。そしたら結構な量なんじゃないかなあ」
換金を済ませた悠達は再び街を歩く。
怪鳥の爪、鰐の革──アークで戦った魔物の素材を渡した悠達は、重くなった財布の価値を推測し合う。
「換金屋さんも、初めて見る素材って言ってたから、高いか低いか極端になりそうね。これだけあれば、良い金額になってそうだけど」
その中で、的を射ていたのはシエルの推測であった。
実際に、悠達の財布はヘレムの中で最も重い(・・)ものだと言っていいだろう。クララの言の通り通貨の種類は少なく、単純に多ければ多いほど金額が上がっていくからだ。
「ですがふしぎですね。アークのまもののそざいをはじめて見る、とは」
「言われりゃそうだな」
しかしアークから来た冒険者が何人も住んでいるはずのこの街で、換金屋が悠達の持つ素材を初めて見るというのは少々おかしな点にも思える。
が、これは少し考えれば当然の話。
「単純に外縁部以外の魔物を倒せた冒険者が居なかったんでしょう。外縁部の魔物だって手練のパーティが全滅しかねない強さなのよ。それを狙うワニや、中央部付近の大きな鳥なんて、普通の冒険者じゃ逃げることだってマトモに出来ないでしょうね」
それらを狩るレベルの冒険者が、ここまで現れなかったのだ。
故に悠達の持ち込んだ素材は換金屋にとって『初めて見る』ものだった。
強い魔物の素材である分当然質も良いので、今の悠達はちょっとした金持ちである。
「けどまあ、フツーに売ってるような食材くらい買えるだろ! いやー、楽しみだな~」
が、悠にとって重要なのは金の価値そのものではない。
それで何が出来るか、ということだ。
「私も今回は特に楽しみだよ! マオルのみんなは、何を食べてるのかな」
「科学者でも興味を示しそうな内容だな。……実際、異世界? 異星? の食材というのは、想像がつかないな」
「豆のお茶をかんがえれば、きたいはできそうですが」
「ああアレ。美味しかったわね」
そしてすっかりそんな楽しみを共有できるようになったのが、クララ達だ。
まだ見ぬマオルの食材に思いを馳せながら、歩く。
最初はどこにしようか。悩みながら歩く悠達がやがて商店エリアの中でも最初にと選んだのが──
「やっぱ料理と言えば調味料だろ! 文化が一番出るのっつったらここしかない!」
調味料の専門店であった。
この世に食材は数あれど、料理の手法と味付けでその味は千変万化する。
逆に言えば手法と調味料こそがその食文化の顔と言っても過言ではない。
クララに読んでもらい、悠は調味料の意を示す看板を掲げた店へと足を踏み入れる。
調味料店の中は薄暗く、ひんやりとしている。ぼんやりとした照明はやはり魔力をエネルギーとしたもので、熱を発していないようだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターのような──事実カウンターなのだろう──場所に立つ店員が、悠達の姿をみとめ、微笑を湛えて言う。
店員の落ち着いた雰囲気を見て、悠はふと地球に居た頃を思い出した。此方の世界にやってきてからというもの、店と言えば基本的に威勢のよい人達ばかりが営んでいたからだ。
穏やかな『いらっしゃいませ』は、日本の生活を匂わせた。
……と、悠は気づかぬ内に浮かべていた笑みを消す。
「どうしたの?」
クララが呼びかけるも、悠は応えない。
──没頭しているのだ。感じた『日本の匂い』は、店員の態度だけではない。
鼻を擽る香りに、悠は神経を集中させつつも、店内を見回した。
薄暗い内装、滑らかな壁、それらはマオルの街では別段珍しくない。
ではこの場所に漂う日本の『匂い』は何か? 単に雰囲気だけではない、確かに存在する香り。ならばその発信源はやはり『売り物』に光が当たる。
調味料の店というだけあり、店の中には樽が並べられていた。ある場所では横倒しになったものが並べられ、ある場所では縦にされたものが存在感を発している。
香りは、正直に言えば様々なモノが混じって、一つ一つはわからない。
だが悠には感じられた。鼻をつく独特なつんとした香り──そして、酸味を混じらせた膨らみのある香りが。
「──まさか!」
浮かんだ記憶に落胆させられないよう、自分に否定を下しながら、悠はカウンターへと歩み寄る。
そんなことあるはずがない──言い聞かせながらも、期待を抑えきれずにいる。
「あの! た、樽の中身、見せてもらってもいいですか?」
「え、ええ。勿論です」
総じて冷静なマオルの人さえ戦慄させる勢いで詰め寄る悠。
表面上で変わらないが、その声は気圧され気味だ。
それでも表立って表情を変えたり、取り乱さないのは流石プロと言ったところか。
淀みのない動きで、コップのような容器を横倒しの樽に付けられた蛇口へとあてがう。
横倒しの樽の中身は、液体のようだ。クララ達はわけの分からぬ悠の変貌に「まあいつものことか」と思いつつも、悠がここまでなる『調味料』の可能性に、その視線は興味深げに樽へと注がれている。
なんだか変わったお客様達だ。『アーク』が接岸する時期なのでその関係のお客様だろうと思いながらも、店員は蛇口をひねった。
この世界では珍しい、透明なコップ。中身がよく見えるそこに注がれたのは──
さらりとした、黒い液体だった。
砂漠をさまよい歩いた遭難者が水を受け取る様に、悠は差し出された器を手に取る。
液体は、薄く透かせば単なる黒ではなく、美しい赤褐色をしているとわかる。鼻を近づけてみれば、つんとするほど濃い、しかしそれだけではない塩気と甘みを感じさせる複雑な深みをもった香りが鼻孔を擽る──間違いない、悠は拳を握り込むように、力強く身を屈めた。
そして──
「醤油だああっ! なんで!? いやでも間違いない……っ!」
今まで溜め込んでいたものを解き放つ様に、叫んだ。
その剣幕に、店員がびくりと震えるも、気にしない。気にしている暇がない。
「ショウユ……!? それがショウユなのか!?」
「ええっ! ずっとユウが欲しがってた、あの!? で、でもなんでマオルの街に……?」
だがそれはクララ達も同じことだった。
醤油──それは悠が時折語った、記憶の向こうの味。遠い遠いどこかにしかないと語られるその存在はクララ達にとっては伝説と相違ない。
それが、まさかマオルの街にあるとは──悠には困惑と歓喜が、クララ達にとっては伝説の街で伝説の調味料に出会った衝撃が、それぞれを支配していた。
「は、はい。今回の『寄港』でいらっしゃった方だとお見受けしますが、よくご存知ですね」
「うお……スイマセン、なんか盛り上がっちゃって。いえ、故郷に同じ調味料があったもので。そっちじゃマオルの人達も居なかったんですけど。……不思議なもんだな」
あまりにも予想外だった出会いに、悠は気分が一周して落ち着いていた。
色も香りも紛れもなく醤油──実際には『醤油』と翻訳される極めて似た調味料なのだろうが、最早悠にはどうでもいい。
……だが、冷静に考えれば、ありえない話ではない。ガトゥムは昨日、豆が食の中心になっていると言っていた。ならば豆の加工品が食文化の中心になっていても、おかしなことではない。
「これがしょうゆですか。どくとくの、つよいかおりですね」
「そうね。なんだかとてもクセが強そうだけれど、これがユウの国ではポピュラーな調味料なんでしょ?」
「ああ! ポピュラーすぎて、宇宙の街で見つかるなんて考えもしてなかったよ。このままだと匂いがキツく感じる人もいるかも知れないけど、料理すれば印象もガラっと変わると思うぜ! 楽しみにしといてくれ!」
醤油があれば、きっと懐かしの味が再現できることだろう。新しい味の探求は悠が最も楽しみとすることの一つだが、それでも懐かしい味が無性に恋しくなるのはよくあることだ。それがもう二度と味わえない物と思っていたのなら、再会の喜びはひとしおだろう。
適当な肉と野菜を醤油で雑に炒めるだけでも、二度と会えないはずの家庭の味が蘇るだろう。
それだけ魂の源流に近い味なのだ、醤油というのは。
当然、此方の世界の食材に合わせて味を調えれば、新たな味が生まれていくだろう。
無限の可能性に想いを馳せれば、きっとそれだけでも一日考えていられるだろう。
「お料理がお好きなのですね」
「そりゃもう! うっわー、マジテンション上がる! 何から作ろうかな!」
まさかのスペース醤油の存在に悠のテンションはとどまるところを知らない。
が、熱心さも甲斐あって店員の瞳は柔らかく、優しい笑顔を浮かべる様になっていた。
しかし醤油を見つけてはしゃぐ悠だが、一つ大切なことを忘れている。
「でしたら、此方の中身も見ていかれませんか。新しい出会い、あるいはこれも貴方に再会を感じさせるかもしれません」
そう、店に入った際に気になった横倒しの樽と、立てられた樽──その、立っている樽の方をまだ確認していないのだ。
「忘れてた……! 是非お願いします!」
ようやく興奮も落ち着いてきたがまだまだ夢見心地で、悠は店員の申し出に応える。
次は一体どんな調味料に出会うことが出来るのか? 期待に胸を膨らませる悠は、店員が蓋を開けた樽から光が漏れるのを幻視した。
まるで、中には黄金がいっぱいに入っているような──勿論、それは幻想だ。
だが悠にとっては手に入れるのが黄金よりも難しい、難しかったという時点で、それの価値は黄金に並ぶほどのものだった。
──味噌。そう、これもまた豆や小麦から造られる、日本人にとっては国民的な調味料の一つ。
「みっ味噌ォ~────ッ!」
卒倒しかねないばかり興奮にふらつきながらも、悠はその調味料の名を叫ぶ。
その声に、店員はまたびくりと肩を震わせるのだった。




