第七十二話:潜み、食らう者
近辺の林の探索を開始した悠達。
海が広がる外縁部とは違い、来い緑に溢れた薄暗い空間は密林といってもよいほどだ。
また、その環境も海際の地形とは大きく変わっている。
外縁部では波の音が静かに流れていたのに対して、密林の中はちょっとしたオーケストラだった。
木々が風に揺れる音、生物たちの鳴き声──その音に、悠は今までの極圏とはまた趣が違う、と感じた。
ここには『生命の気配』が満ち溢れているのだ。
白の砂漠や輝きの台地と違い『音』がある。それは最も明確に感じられる異質さであった。
「意識してみると、結構色々な音が聞こえるもんだなあ」
「それは、これだけ自然に溢れていれば色々な生き物もいるだろう。私としてはただただ虫が気がかりだよ……」
「といっても、小さな虫が苦手なんでしょう? これだけ魔力に溢れた場所なら、剣で斬れる程度には大きいのが出てくるわよ」
「比較的、というだけで生理的な嫌悪はあるのだが……」
悠の感想に苦々しい答えを返したのはカティアだ。
虫が苦手というのも最近では中々聞いていなかったが、それも単純に虫があまり居ない環境を訪れていたからというだけのようだ。
しかし小さな虫よりも大きな虫の方がまだマシというのは、面白い話である。
「けど、こんだけ生き物が多い土地ならなんで人が住めない『極圏』なんだろうな。他の原因があるんじゃないかって、怖いんだけど」
「単純に魔物が強いだけでも極圏になるからねー……私みたいな後ろでサポートするタイプだと、一人でいるときに襲われたら大変だもん。安心して歩けないような場所じゃ、やっぱり暮らしづらいんじゃないかなあ」
クララが、熱で浮かされるようにふわふわとした回答をする。
それを聞いて、悠はなるほどと頷いた。
自分だけならばともかく、単純な物理的戦闘能力ならば自分よりも強いようなカティアがいるので、どうにも野生動物の驚異というものに疎くなっていたようだ。
「かんきょうそのものにもんだいがあるかのうせいもまだありますが。もしものみ水にどくなどがあったらどうしますか?」
とはいえ──悠やカティアがいればある程度の魔物なら問題ないというのも、また事実。
そうなると問題になってくるのはやはり、それ以外の問題だ。
外縁部の果物もそうだが、先程から見る限りでも、毒のある──というよりは食べられない植物の割合は通常の山林と変わりないように思える。
懸念事項が潰れてきた段階で考えつく問題として、水というのは最も大きく重要なファクターだ。
「うーん……まあ、困るよなあ。でも一応はそれも考えてる。海水には毒も無いみたいだったし、最悪飲める水も作れると思うけど──」
それに対しても、悠はいくらか対策を講じてきた。出来るならば披露する機会がないのが理想的だが──
「飲み水を……作る……? 貴方、そんな力まで持っているの……!?」
飲み水を作る。何気なく言った悠の言葉に、シエルは飛びかからんばかりに食いついた。
その勢いに若干引きつつも、悠はなんとなくシエルの驚きも理解が出来るような気がした。
ヒトの手が入っていない土地に長く滞在するなら、飲み水は避けては通れない課題になる。
水場やその近辺を拠点にする冒険者に限らない話で、ヒトは綺麗な水の側に文明を築く。それほどまでに水は重要な存在なのだ。
魔力で生成した水は飽くまで魔力だ。一瞬だけ喉は潤っても、術式の消滅と共に魔力になって消えていく。一時のごまかしは聞くだろうが、効果が切れた後に待っているのは急激な脱水症状だ。
「能力じゃなくて技術だよ。仕組みを知ってれば出来る。といっても完全じゃないし、量は少ないし、飲水を作るってよりは比較的安全に飲めるようにする処理っていうか……あー、機会があったら話すわ」
「……軽く言うわね。もしもそんな技術があるなら冒険者に革命が起こるわよ」
遅れて、悠もその重大さに気がついた。
最も簡単な煮沸を始め、ろかや蒸留──そのいくつかはこの世界にも伝わっているが、それらは経験則の域を出ない知識だ。
無事に帰ることができれば、是非広めるべき知識なのだろう。
「っと、ひとまずその知識は使わなくても平気そうだな」
しかし、やはり水を作れるとは言っても満足できる量を自由自在に作るわけにはいかない。
人数分の水を用意するとなると、他の場所に回す時間が相当に少なくなってしまう。
大量の水が、容易に手に入るのならば、もとからある水場を使うことが出来るに越したことはない。
水場を見つける事の効果は、何をおいても水の確保にきたという行動順が物語っているだろう。
だから、それが無事そこにあったのは、幸運だった。
十分な水量をもった湧き水の泉──そこからは美しい水が滾々と湧き出ていた。
「おおー! み、水だあ!」
「ど、どうです。のめそうですか?」
ここまで冗談混じり以外には文句を言わなかったクララとアリシアだが、その泉を見つけた時の喜びようは残りのメンバーよりも大きな物だった。
アリシアからの問いかけに、悠は第三の目に集中する。
感覚的なものが捉えるには──
「……ああ、やっぱり毒なんかは感知できないな。少なくとも人間が摂取する上では問題がないモノ……だと思う」
有害物質の感知なし、であった。
わっと声を上げ、クララとアリシアが手を組み飛び上がる。
だが今にも駆け出しそうな彼女たちを、悠は手で制した。
そう──水は重要だ。
摂取しなければ生命はその活動を維持していくことが出来ない。
だがそれは何も人間に限った話ではない。
「ここが『極圏』になってる理由の一つが、お出ましだぜ」
動物、魔物にとってもそれは同じ話だ。
水場から顔をのぞかせたのは、鱗に包まれた皮膚と、感情を感じさせないぎょろりとした瞳──
次の瞬間には、炸裂弾でも投げ込んだかのように水は爆ぜて、その巨体が姿を現す。
「……っ! ワニか……!」
その姿を一目見た悠が叫んだのは、地球でも捕食者として有名だった生物──鰐であった。
体長はかるく五メートルは超えるだろう。……巨大生物との戦いを幾つも経験してレベルアップした悠の動体視力は、凄まじい速度で飛びかかる巨体の大きさを瞬時に把握する。
カティアに目配せしてから、悠はクララを抱えて強く地面を蹴った。
柔らかな地面に蹴りづらさを感じるも、瞬時に踏み固められた地面はクララを抱いた悠の身体を弾き飛ばした。
同じ様にアリシアを抱えて跳んだカティアとの間を、巨体が駆け抜ける──!
すれ違いざま、悠はその生物の『特徴』を見た。
「手ェ、長っ!?」
それはワニの胴体に雑に付けたような、長く発達した四肢である。
悠達へと突進したワニはその勢いを殺さぬまま離れた場所まで駆けていき、やがて一本の巨木へとたどり着けば、鋭利なツメを食い込ませて垂直な木を駆け上る……!
「なんだか、不安になってくるフォルムだな……」
「でも厄介よ。あの巨体で木まで登るなんて。それに素早い」
冷静な『性能』の分析に入るは前衛班のカティアとシエルだ。
一歩遅れて、悠も敵の姿をよく観察する。
こちらを窺うワニの姿は、率直に言って不気味であった。それほど強く木を掴んでいるようには見えず、ツメを刺して身体を固定していることが分かる。
やはり何よりも注目すべきはその長い手足だろう。水や壁登りなど特定の目的に特化していると言うよりは行動範囲を広げるためにより広い状況に対応することが目的だろうか。
結果としてあのワニは『地を駆ける』。先程の素早さを見れば、なるほど厄介そうな相手だと悠は口を尖らせた。
それにしても──改めて見ると、不安になるフォルムだと悠は苦そうに口を動かす。ファンタジーというほどファンタジーではなく、地球で見知った生物とも違う。一言で言うのならば違和感とでもいうのか──不協和音のような居心地の悪さ。
だが、実は長い手足を持つワニというのは地球にも居た生物だ。
尤も『居た』。過去形にはなるのだが。
見る者が見れば、この魔物の姿を白亜紀後期に生きていたワニの祖先に例えた筈だ。
残念ながら、悠はそれほど古代の生物に詳しいというわけではない。少し興味があるという程度の知識からは──その生物の名は、出てこないだろう。
「来るぞ!」
それでも、悠はこの場で十分な知識を知っている。
魔物が身体に捻りを加えた瞬間、悠は情報を共有するためにいち早く叫びを上げた。
デスロールという行為がある。ワニが獲物の肉を食いちぎるときに行う回転運動の通称だ。これは大体は既に仕留めた獲物の解体などに使われるが、現代の日本ではある種の『必殺技』の様に語られることもある。
ワニ。回転。デスロール。必殺技──攻撃。
連想ゲームが、ひらめきを生んだ。
後衛組に一人の前衛が護衛に当たり、中衛とでも言うべきポジションのシエルが単独で──三手に別れて、散開する悠達。
広がる散開の動きが、獲物の観察を行う程度の頭脳をべたつかせた。
瞬時に鰐が選んだのは、最も近くに居たカティア・アリシア組だ。だがそれは、狭められた思考によって選ばされた選択肢に過ぎない。
果たして、悠の読みどおり、長足のワニは回転を伴ってカティアたちへと向かう。
その様はまるで緑の竜巻。
「中々の速度だが、この程度といったところだな」
しかし、来る方向がわかっていれば回避はたやすい。
アリシアを抱えたままに、カティアは軽やかな動きでワニの突進を飛び越える。
その後方で、稲妻が落ちたような音が弾ける。
魔物のデスロールが、巨木に当たったのだ。
木に触れた瞬間、ワニは開いていた口を閉じ、回転の勢いのまま木を食いちぎる。
そうして勢いよく弾け飛んだ木が、破裂するような音を立てていた。
「威力の方もすげえなあ、どうする?」
「ユウ以外は防げないだろうな。だが、見たところ腹の方は鱗が薄そうだ。問題にはならないだろう」
「余裕ね。中心部に近づいたからか、イグラパルドとかよりずっと強いわよ、こいつ」
「もちろん込みさ。おそらく、魔導組の力もいらんだろう。せっかくだし、少し実力を見せてみるか? シエル」
「焚き付けてくれるわね。いいわ。でも、トドメは私向きじゃないみたいだからどちらかに任せる」
半ば挑発の様なカティアの言葉。それを受けるシエル──余裕だな、と思いつつも、悠はそれを咎めることはしなかった。
あの魔物からは『圧』を感じない。魔力を肌で感じ取れるようになったからこそ、より野性的な力を持つ悠は魔物の強さを測る感覚を身につけていたのだ。
サポーター。それがどの様な力か興味があったのは事実だ。
それに──シエルの方も、燻っていたのだろう。今の所、彼女は悠達に助けられたという以上のことはほぼしていない。
腐っても『凄腕の冒険者』として称えられるからには、彼女にも意地があった。
悠達を観察してた魔物だが、話をまとめた悠達が戦闘態勢を──魔力を燻らせたのを見て、自らも臨戦態勢を整える。
狙うのはデスロール、一撃必殺だ。当たれば勝てる、というよりかは、悠達から感じる脅威の多寡を見ての判断だった。
すなわち、当てなければ勝てない。一撃必殺のみに頼るというのはどの様な判断だろうか。少なくとも、ここで逃げるという選択肢を取ることが出来ないのが、肉食獣としての『ロール』を与えられた彼の頭脳の限界なのだろう。
しかしこれには問題があった。
一撃必殺。確かに強力だ。だが、大きな力を引き出すにはそれ相応の代償が必要になるもの。特にそれは、自分の持てる力よりも大きな力を引き出そうとしたときにより大きな形で襲いかかってくる。
この魔物の場合、それは『タメ』として支払っていた。力を溜めて、解き放つ。それを、引き絞った弓矢のように解き放つのだ。
本来ならば、それは代償というには大げさな、ちょっとした欠点だったかもしれない。
だがこの場ではそうはならなかった。
「させないわ」
一度既に見た技は、既に対処を終えている。
シエルの起こした行動は、口に語るよりも雄弁に、シンプルにその事実を突きつけた。
淀みなく、素早いナイフの投擲。シエルが行ったのはそれだ。
威力は、殆どないといっていい。一枚ごとが小型の盾のような鱗は、地球にあるものと大差ないような金属のナイフ程度物ともしない。
だがそれが放たれたのは眼に向けてだった。
すべての生物はほぼ等しく、目は急所である。いくら堅牢な鎧に身を包んでいても、レイピアを鎧の隙間に刺されれば意味がないように、強固な毛皮や鱗に身を包んでいても、目への攻撃は防げない。
故に、魔物も対応を強いられる。いくら長い手足を持つとはいっても、所詮は四足歩行の獣。高速度で飛来するナイフをはたき落とすような真似はできない。
防御が不可能となれば、次は避ける他ない。これは、たやすい。狙いが小さいため、わずかにでも身体をズラせばもう対処を完了させたと言っていいだろう。
……しかし、そうするとタメた力を、螺旋状に引き絞った筋肉を解き放たねばならない。
四足ワニは躊躇なく、構えを解除して回避行動を行う。地を蹴る速度は、駆ける速度は中々速い。が、シエルもまたスピードを信条とした戦闘者だ。
ナイフを投擲しつつ距離を詰めていく。多角的な攻撃に、たまらずワニは木を駆け上り、距離を取った。
地面、壁、そして飛び跳ねまた地面。あるいは壁から壁へ──多角的な動きはシエルに的を絞らせず、かつほぼ常に強固な背中を向けている戦い方は、当てたところで致命打を防ぐ。硬直状態が、生まれつつあった。
……だがそうしている間に、悠やカティアも安全に距離を詰めてきていた。
そして──悠は、紅い刀に魔力を込める。
さほどの力ではない。ワニの魔物の鱗は硬く、背面を向けている状態では一刀のもとに命を断つことは出来ないだろう。
力を込めれば話は別だ。やろうと思えばそれも出来る。だが、燃費を気にして後衛組を下がらせたくらいだ、まだやることが多い以上は、節約していかなければならない。
悠の目的。それは──
「行くぞ。飛んでくれ」
鞘に込めた刀──そこから凍てつく冷気が漂ってくる。
込めた力がわずかと言っても、その破壊力は甚大だ。
悠の声が届くよりも先にカティアは飛び、カティアの初動を捉えたシエルもまた倣う。
二人の回避を確認した悠は、水指から水を垂らすような、流麗な動きで刃を薙ぎ払った。
氷閃──古代種グランキオーンの切り札たる凍の一閃が、迸る。
しかし、真横に薙ぎ払われたそれは木の上にいる魔物には当たらぬ高さを駆け抜ける。
……これでいい。口の中に言葉を転がすと、悠は紅い刀を鞘へ収めた。
瞬間、辺り一面の風景が傾いた。──否、木が、数多の木が崩れ落ちた。
ワニの口から、サンドバッグを殴ったような音が漏れる。
驚愕だった。樹上のワニには、まさしく世界が傾いたようにしか見えなかったのだ。
木が落ちるというよりは地面が起き上がるかのような感覚。視界の木が一斉に倒れるこの風景を見れば、視覚に頼る生物の多くは誤作動を感じるだろう。
それほどまでに、現実離れした光景だったのだ。
一拍遅れ、重力を感じ始めてようやくワニは今起きている事を理解した。
このままでは大木ごと地面に打ち付けられる。悪くすればそのまま下敷きだ。
そこまでを考えたのかはわからないが、魔物は不器用な手足で木から跳ねた。
……だがそれは、反射の行動。あまりにも単調すぎる動きだ。
「では、トドメは私が」
「任せたわ」
完全なる死角から鳴き声がした。
何年も生きてきてはじめての経験に、ワニの思考は停止する。
腹の下とは逆の方向──身体から突き出た刃が首と胴を分かつのを確認して、四足のワニは命の役割を終えた。




