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第三十九話:水の確保


「ひい……ようやく着いたねえ」


 歩き続けて、ただ歩き続けて。

 ようやく目的の峡谷にたどり着く頃には、日の色が紅く変わり始めていた。

 代わり映えしない光景をただ歩くというのは倦怠感も中々のもので、比較物のない砂漠ではどれだけの距離をどれだけの時間を掛けて歩いたのかもわからなくなってくる。

 思わず疲れを口にしてしまうのも仕方がないと言ったところだろう。


「ハハ、いい感じだし今日はこの辺りをキャンプ地にするか。この辺りの調査で、もう少しだけ、歩く必要があると思うけどな」

「いやー……それでも砂漠をひたすら、ってよりはいいかなあ。ここにはまだ色々ありそうだし……」

「その色々の中に、水があるといいんですけどね」


 いつもより少しだけ早く言い切るアリシアの言葉に疲れを感じつつ、悠は峡谷の中を覗き込む。

 峡谷の底からは緑の葉を付ける木々がまばらに顔を出していた。

 やはり、近くに水が流れる場所がある可能性は十分に存在する──僅かでも水を得られる可能性が上がったことで、悠は息を吐いた。


「何かおもしろいものはありましたか?」


 と、そこへアリシアが隣に顔を出し、峡谷の底を覗き込む。

 危ないぞ、と悠は叱る意味を込めて強い語調で戒めようとする──が。

 その瞬間、アリシアの身体が傾いた。


「……っ!」


 言葉を途切れさせて息を飲むアリシア。

 自分の身に何が起こったか──自分が谷の底に向かって落ち始めていることに気がついたようだ。


「ばっ……!」


 バカヤロウ、そう叫ぼうとするも、言葉を続けることは無く。

 ただただまずいという思考のみに支配されて、悠は手を差し伸べた。

 だが突然のことにアリシア自身も反応出来なかったのか、差し伸べられた手を取ることは出来なかった。


「くっそ!」


 思わず悪態を吐いて、悠は強引に身を乗り出して、アリシアへと手を伸ばす。

 俊敏な動作でなんとかアリシアの腕を掴むと、悠は即座に『硬質化』の力を発動した。もしもこのまま落下した時にダメージを防ぐためだ。

 だが、かろうじて落下は防げたようだ。

 体勢を崩し、軽い衝撃が悠の体を襲う。

 地面に寝るような体勢で峡谷の底へと垂らされた腕には、幼い少女の姿があった。

 アリシアを吊る悠は安堵の息を吐き出し、アリシアは宙ぶらりんの状態で峡谷の底を見て息を呑んだ。

 高さにすれば十数メートルと言ったところだが、このまま体勢を崩したまま落ちてしまったら、最悪は『死』だったろう。


「あ、あの……リーダーさん……」


 震える声で自分を呼ぶアリシアに悠は、今度はため息を吐き出した。

 毒気が抜けるような気分である。

 慎重にアリシアを引き上げると、力が抜けたのかアリシアはへたりと座り込んだ。

 所謂『女の子座り』が妙に似合っているアリシアに、悠はまた毒気を抜かれた。


「……いいよ、何言いたいかはわかってんだろ? だったら、次から気をつけてくれりゃそれでいい。説明が遅れたのもあったしな」

「いい、んですか?」

「わかってることを怒鳴ってもしゃーないだろ。俺ももう怒っちゃいないしな」


 クララとカティアが駆け寄ってくると、悠は誰一人欠けていないことを実感して、仰向けに倒れ込んだ。

 地面に背を付けると、心臓が跳ね回っているのをより強く感じる。

 耳障りにさえ感じたが、それは生きている証のように感じられた。


「一応言っておくと、この辺の地面も乾いた砂岩で出来てるみたいだ。崖際は崩れやすいので注意すること。わかったか?」

「それは、はい……すみませんでした」


 上体を起こしてアリシアの眼を見据える。

 流石に眠気が飛んだのか、その瞳には色濃い心苦しさが映されていた。


「ユウ、大丈夫か!?」

「アリシアちゃんも、平気!?」


 駆け寄った二人がそれぞれに寄り添うと、悠は静かにうなずいた。


「はい……だいじょうぶ、です」


 一方で、アリシアはまだ滑落しかけた恐怖が抜けきらないのか、白昼夢でもみたかのような反応だ。

 とはいえ無事だとわかると、クララは大きくため息を吐いた。


「よかったよぉ……私もこの間落ちちゃったから心配で……怪我がなくて本当によかった」

「しんぱい、してくれるんですね」

「当然だよ。もし怪我をしてるなら、なるべく早く治さなきゃいけないしね」


 どうやら本当に自分を心配していることがわかると、アリシアは先程身も凍るような思いをしたばかりにもかかわらず、胸に温かいものが訪れた事に困惑した。

 しかし、それよりも治すというクララの言葉に、疑問を抱く。

 治癒の魔術は、高等だからだ。

 それこそ、その道を究めんと研鑽する者が、中年と呼ばれる年齢になってようやく実用に漕ぎ着けるほどの──


「……!?」


 そんな知識を持っていたからこそ──アリシアは困惑した。

 血が滲む腕の擦り傷。クララが手をかざすと、みるみるうちにそれが消えていったからだ。


「私、治癒の魔術は得意なんだ。怪我したら、教えてね?」


 はにかむクララに、アリシアは言葉を返せなかった。

 血が滲む傷を一瞬で治す。治癒の魔術をどう優秀とするかはひとえに規模と速度だ。手をかざして、離したと思ったら治っていた。規模自体は大したことはない、しかしその速さは、一生を治癒の魔術に捧げた一流の魔術師でも実現できるか否かというレベルのものだった。


「あなたは……いいえ、ここはおれいを言っておくにとどめます」

「あはは、まあそのうち話すよ」


 『食の力』に『英雄騎士』、そして『治癒の力』。

 ディミトリアスから聞かされていた二人はともかく、一見して珍しい髪の毛を持つ以外に特徴のないクララまで特異な力を持っていたことに、アリシアは混乱しかけた。

 しかし、すぐさまそれらを考えるのが面倒になって、目を閉じる。


「ユウさん、ありがとうございました」

「……!? お、おお。無事で良かった」


 突然名前を呼ばれたことに驚くも、悠はとっさに冷静を装う。それが出来ていたかはどうとして。

 立ち上がったアリシアを見送るように見上げると、悠も正気に返って立ち上がった。


「じゃあ、気を取り直して水を探そうか。重ね重ね、崖際は気をつけろよな」

「はい、わかりました」

「ああ」

「はーい」


 ある意味で実践を伴って乾いた砂岩の危険性をしっかりと実感した一行は、水を求めて周辺の探索を開始する。

 時折寒さに白い息を吐きながら、最悪落下しても無傷で済むであろう悠が率先して峡谷の底を覗いていく。

 悠の記憶だと、こういう地形をゆくのは中々大変なことだったと記憶している。

 峡谷を渡るにはつながっている部分を探したり、挟まった岩を渡ったりとそれだけでちょっとした運動会だ。


 だが、悠達の身体能力なら、ある程度の幅ならば軽々と飛び越えることができる。

 悠とカティアに限っては、クララやアリシアを抱えて跳んでも余裕があるほどだ。

 そうして暫く辺りの探索を進めていくと──


「あった! 水! 流れてる!」


 谷底を覗き込んだ悠が、嬉々とした叫びをあげる。

 その声に、急ぎつつも慎重に、クララ達が谷底を覗き込んだ。


「ホントだー! 水!」

「ひとまず安心と言ったところか?」

「いや、まだわからねえ。ちょっと下に降りてみるか」


 谷底に流れる川に沿う様に歩いてゆき、降りられそうな場所を探す。

 幸い、そちらはすぐに見つかった。地球の常識で考えればしっかりした装備と時間が必要になりそうな場所でも、悠達ならある程度は障害にならない。


「……うん、流れもあるし、見た目にも──能力の反応も問題はなさそうだ」

「流れが無いとダメなのか?」

「ああ、流れが無いと水が腐っちまうんだよ。厳密には水に溶け込んだものが腐るんだけど。そうなるともうダメだな」


 水をすくい上げて、観察する悠。

 この分ならそのままでも飲めそうだ。

 一口水を口に含むと、味や匂いには違和感がないことが確認できた。

 何より──冷たい。岩場の影になっているこの場所は上よりも寒く、水は凍る寸前まで冷やされていた。

 体温を下げてしまうのは得策ではないが、疲れた身体にはこれ以上無く心地よい。


「くっはー! 冷たい水はたまらないな。こんな冷たいモン久々に飲んだ気がするよ」


 どうやら此方の世界では飲み物を冷やしておくという文化はないようで。

 久方ぶりの感覚に、悠は思い切り快感の息を吐き出した。


「おお……疲れが取れるな」

「飲み過ぎには注意しろよ。水質的には平気だと思うけど、冷たさで腹壊したら良くないし、こんな寒さだと体温を下げるのも問題になるからな」


 とはいえ、いくら心地よくてもこんな場所での冷たさは命取りだ。

 谷の上と比べて、ここは気温にして氷点下にも達するだろう。


「でも水があってよかったねえ……今日は此処でキャンプにするの?」

「ほんとにな。でもテントはこの上に張ろう」

「上ですか。水をとりにくるのがめんどうになるのではないですか」


 話が今日の寝床へ移ると、悠はすぐにこの場にテントを張ることを否定した。

 理由としては、もちろん寒いというのが一つ。


「面倒は面倒だけど、川じゃ鉄砲水って現象がたまに起きるんだ。今は穏やかな流れだけど、もしかしたら穏やかなのは木や岩なんかが上流で水をせき止めてるからかもしれない。それがなんかの拍子でせき止めてるダムが崩れたりしたら、細い峡谷に一気に水が流れ込むことになる。それも岩やら砂やら木やらがたっくさん混じったやつがな」


 もう一つは、鉄砲水の危険性だ。

 今悠達がいる川は穏やかに流れているが、その上流では木や岩が天然ダムを形成している可能性があり、穏やかな流れでいるのはその為である可能性もある。

 それが突然崩れる事によって急激に増水する。それが鉄砲水である。

 実際には、鉄砲水にも予兆はある。

 河川が濁っている、葉っぱなどが多量に流れているなどがそれだ。

 澄んだ水が流れる川を見ればその可能性は低そうだと悠は思っていたが、自然は何が起こるかわからない。増してここは『極圏』だ。急激な雨の可能性だって無いとは言い切れない。


「こんな場所でいきなり水が押し寄せてきたらどうしようもないからな。注意だけはしておきましょうってことだ」

「自然って怖いね……」

「……なるほど、べんきょうになりました」


 兎にも角にも、水辺の危険性は重々に承知できたようだ。

 クララはわかりやすく慄いており、アリシアは表情こそ変わらないものの、心なしか青ざめている。

 ある程度の知識はあるといっても、悠自身サバイバルは素人だ。警戒はしてしすぎということはない。

 水を採取して谷の上にあがった悠達は、落ち始めた陽を望んで野営の準備をすることにした。

 しかし、それはカティア達に任せ、悠には悠の仕事がある。

 それは、生きるために必要なことでもあり──ここに来た、目的の一つでもある。


「よーし、じゃあ俺は食料を探しに行ってくるからな!」


 それは、食料の調達。

 極圏の魔物を狩って食べる──悠はこの『白の砂漠』、極圏にやってきた最大の目的を、果たそうとしていた。



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