第三十二話:極圏探索に向けて
「いやあ……大司教さま、って聞いたモンだからどんな人かと思ったら、面白い人だったなあ」
「はは、聞いてるこっちとしては気が気じゃなかったけどね……」
ディミトリアスとの邂逅を終え、しばらく。
悠達は場所を移し、宿屋の一室で腰掛けていた。
ふと窓の外を見てみれば、石造りの白壁は茜色に染まっている。
じきにもう日が落ち、暗闇が訪れるだろう。こんな時間になってしまったのは、ディミトリアスとの話が少しばかり長引いてしまったせいもある。
「けど、宿の方がスムーズに見つかってよかったよな。まさかこんな面倒まで見てくれるなんて、太っ腹というか」
「恐れ多いっていうのはあるけどね。でも本当、一時はどうなることかと思ったよ」
しかしだからこそ、悠達は今の時間でこうしてゆるりと体を休め、会話が出来ているというのもある。
この宿は、ディミトリアスが手配したものだった。
話し込んでしまった事で時間が遅くなってしまったことを詫びると、ディミトリアスはサポートの一つとして当面の拠点にと宿を手配してくれたのだ。
しかもこの宿、それなりのグレードである。高級ホテルとはいかないが、評判の民宿。地球で言えばそんな具合だろうか。
そんなわけで、悠とクララは非常に上機嫌でいた。
薄々危惧していた悠の能力に対する世間の反応やら、極圏の旅をする上での障害となる様々な問題も解決し、暫くは宿の心配も無いのだ。これからやることが山積みだという途方も無さとでもいうべき漠然とした不安が取り除かれたのは大きい。
「けど、どうしたんだカティア。なんか、さっきから元気ないけどさ」
「ん? いや……君には悪いことをしたと思ってな」
だが、そんな悠達とは逆に、カティアの表情は暗い。
その口ぶりから恐らく能力の事を謝っているのだろう、と推測した悠は一層の笑みを強める。
「俺の力のことなら気にするなよ? 結果的にこうしていろいろ助かったわけだし、一番大事なところは伏せておいてくれたんだからさ」
「……そう言ってもらえるのは有り難いのだが、やはり気にはなってな。それに、私の他に後一名旅に同行する、というのが気にかかっているんだ」
悠が気にするなと伝えてもなお、カティアの顔は晴れない。
はっきりといえば、カティアはもう一名の同行者、というのを不安に思っているのだ。
「私にはこれがどうも、体のいい監視に思えてね。君たちの旅を邪魔する要因になるのではないかと思っている」
「監視、ってディミトリアスが? ……やっぱあの人、なんか怪しい部分があったり?」
「いや、それはない。少なくとも彼の暗い部分は私は知らないよ。悪人を憎み罰し、罪なき人々には迷わず救いの手を差し伸べる、あの方はそういうお人だ。だがなんだか引っかかってな。ディミトリアス様はともかく、同行者を『ザオ教の人間』としてみると潔白を証明できないというか……」
カティアの反応に悠が「あるある」から連想されたディミトリアスの暗い部分を問えば、それはないと返す。
それでもカティアが不安に思うのは、一言で言えば勘だ。
「君たちの──いや、私達の旅の障害になるかもしれない、と思うとやはり申し訳ない気持ちがあってね。心配しすぎといえばそうなんだが……」
「まあ、大丈夫だろ。何かあったら、その時に考えりゃいいさ」
だがそれには根拠がない。悠にそう笑って返されると、カティアもなんとなくだが大丈夫な気がしてくる。
そうして振り返ってみると、自分は何を心配していたのだろうとカティアは苦笑した。
苦々しさが混じっているとは言え、とりあえずはカティアが笑った事を確認すると、悠は膝を打つように勢いづけて立ち上がる。
「さて、それより今後の予定を決めようぜ。第一回極圏遠征会議だ!」
第一回極圏遠征会議。その場のノリと勢いで、悠は高らかにその開催を宣言する。
「うう、ついに始まるんだなあ。あの、本当に、迷惑かけちゃったらゴメンね……?」
「また大仰な名前を……いや、だが正しく冒険だものな。勢いづけも必要か」
二人も悠の唐突なノリに慣れてきたのだろうか、その反応は様々だ。
先程までディミトリアスと似たようなノリをたっぷりとしていたからか、悠も二人には特に不満なく話を続ける。
「最初はやっぱ行き先だよなあ。思えば結構行き当たりばったりでさ、まだ何も決めてないんだよな。なあカティア、極圏ってどんな場所があるんだ?」
最初の議題として選ばれたのは、第一回極圏探索の行き先だ。
この世界には極圏と呼ばれる極限環境が幾つも存在する。そういった場所ではその土地独自の生態系が築かれており、悠の目的は極圏の魔物を食すことだ。
この世界の『魔物』と呼ばれる生物は強ければ強いほど美味いと言われており、悠の目的はそういった強い魔物を食べることにある。だが当然、強い魔物が生息する土地はそれだけでも危険度が跳ね上がる。
「それは、いろいろあるさ。常に濃いマナの霧で覆われた森や、灼けた岩が紅い河を造る地底、空に浮かび雲海を漂う島。詳細さえわかっていないような場所さえ幾つもある」
「空に浮かぶ島はわたしも聞いたことがあるなあ。おとぎ話だと思ってたけど、本当にあるんだ!」
「浮遊大陸……! いいねえ、ロマンを感じるぞ……!」
とはいえ、そういった『場所』そのものにワクワクする気持ちも、またある。
ファンタジーのお約束、浮遊大陸。食欲こそが信条ではあるが、サブカル世代の少年としては聞き逃がせない単語だ。
クララの方も、御伽噺として聞いた存在の実在に、目を輝かせている。
二人からの期待の視線に、カティアは慌ててクールダウンを図る。
「まてまて、確かに実在はするが、大陸という程大きくは無いぞ。魔物も桁外れに強い者が多いらしいし、そもそも空の島はある島に近づく僅かな期間しか乗り込めないんだ」
だから初めての極圏探索に選ぶには適さない、と。
カティアの言葉に、悠とクララは乗り出さんばかりに浮き上がっていた腰を沈めた。
二人の聞き分けが良かったことに、カティアは安堵の息を吐く。
「だから、最初はなるべく簡単な所へ向かうことをおすすめする。私としては『白の砂漠』あたりが良いのではないかと思う」
代わりにと提示したのは『白の砂漠』と呼ばれる極圏だ。
興味は空に浮かぶ島に向かっていたものの、具体的な地名を出されると、悠は否応なしに『ファンタジー』を感じさせられた。
「白の砂漠……! どんな所なんだ?」
「その名の通り、延々と砂原が広がっている場所だそうだ。水も僅かながら発見されており、長期の滞在から帰ってくるものも極僅かに存在する。人が住む事が出来なかった理由としては、水の少なさ、空気の乾燥と寒さが挙げられている。また、冷気の魔力が雪のように降り注ぐ現象も確認されているな。これが積もっている風景から、白の砂漠と名がついたそうだ」
悠の要望に、カティアは知る限りの情報を並べていく。
白の砂漠。それは極圏探索で生計を立てようとする冒険者が最初に挑む様な試しの場所だ。
住むには適さないが極圏の中では比較的穏やかな環境で、住む魔物も同じく、強いものは少ない。
だが、それは飽くまで極圏の中では、という話。
生息する魔物は大陸の魔物とはそもそも比べ物にならないほど強く、環境もシンプルに『人が住めないほど』のもの。
試しの場所とされているが故に、ここで帰らぬ人になった冒険者の数は、他の極圏とは比にならないほど多い。
「要するに、入念な準備とある程度の強さが必要ということだ。比較的危険度が低いとは言っても、油断は禁物だぞ」
そう言葉を締めると、カティアは釘を差すように視線を鋭く研ぎ澄ます。
咎めるようにさえ見える強い眼差しを受けて、悠とクララは息を飲んだ。
「う、それを聞くとちょっと怖いかも……」
「確かに。でも油断をしてるつもりはないぞ」
しかし、ここで引くなら二人はそもそも旅に出ていない。
悠にはこの世の食を制覇するという目的が、クララには自分のルーツを探るという目的が。それぞれ引けない、命を賭けるに値する理由があるのだ。
「でもそうだな、初めてなんだし、自分がどれだけ出来るかってのを知るのは大切だと思う。白の砂漠、俺は賛成だ」
「うん、私も賛成。やれるだけのことは、やっておきたいもんね」
だからこそ、悠とクララに油断はない。自惚れはない。
自分を過大評価することはせず、過小評価することもせず、事に当たろうとしている。
自分の力を見誤って死にかけたカティアだからこそ、二人の考えは嬉しく思えた。
同時に、自分自身も二度と見誤る事無くあろうと思う。
「よし、話はまとまったな。ではユウ、宣言を頼む」
腕を組み、カティアは悠に視線を送る。
その視線の意味を一瞬だけ考えた悠だが、すぐにその意図する所に気がついた。
会議を締めるのは、リーダーの役目だと。そしてそのリーダーは誰か、カティアは暗にそれを語っていた。
「……おお! じゃあ……第一回極圏探索の行き先は『白の砂漠』で決定だ!」
「おおー!」
「腕が鳴るな」
確かに感じる信頼に喜びながら、拳を突き上げる。
悠に合わせて二人が拳を掲げると、悠は胸に熱いものが流れ込んでくるのを感じた。
たった三人の小さな極圏探索隊。その第一歩が、今ここに刻まれた。




