第二十七話:市場
加工屋を出て、少し歩き。
日の当たる通路に出た悠とクララ。
そこで、悠は興奮に立ち尽くしていた。
広い通路を、人々が行きかっている。
ただそれだけの光景ではあるが、そこにある建物や、そこを行く人々の服装など。
それらは決して日本では見ることのできない光景だ。
そして何よりも、通路を縁取るように立ち並ぶ露天の数々。
悠の食材に対する『嗅覚』をもってしても嗅ぎ取れないようなすさまじい種類の食材が、そこら中に溢れかえっていた。
「ここがモイラスの市場か……!」
食材があるぶん、悠の興奮はモイラスに到着したときをも上回っていて──ふと、悠はなぜこんなに心が躍るのか、というのを考えた。
恐らくファンタジーの光景というだけではない。知らない食材や料理で溢れかえっているのも、一因に過ぎない。
ならばなぜかと考えると、少しして気づいたのはそれが日本の『お祭り』に似ているからなんじゃあないかと思い至る。
この世界では、この街では日本の特別が日常なのだ。逆もまた然りではあるが、悠はそうして、今自分が毎日の『特別』の中にいることに気づいた。
「ふふ、気に入った? 私も久々だけど、この活気は好きだなあ」
そんな悠に、優しく微笑みかけるクララ。
恐らく、彼女の存在もまた、悠の心を躍らせる要因のひとつだろう。
お祭りの空気を可愛い女の子と、ともなれば思春期の少年が有頂天になるのも無理はないだろう。
「ああ! 早速見て回ろうぜ!」
「うん。でも、カティアを訪ねにいくのも忘れずにね?」
「お、おう。わかってるよ、たぶん……」
それでも、結局一番は食べ物であるのは悠らしいところだが。
ひとつ釘を刺され、苦笑しながらも悠は歩き出す。これは多分忘れてたなあ、なんて思いながら、クララはその後を追うのだった。
しかし。
普段たいした娯楽もないような田舎に住んでいるクララにとっても、この空気は非常に魅力的なものだった。
久々の都会。露天並びのお祭り的雰囲気。そして気も合い、気になる男の子もいるとなればやはり楽しいものは楽しい。
気がつくと、二人は市場を堪能していた。
なにせ未知の食材、料理のオンパレードだ。
片っ端から体験してみたい悠だったが、残念ながら腹のキャパシティは普通の人間と比べても多めくらいだ。あれもこれもというわけにはいかない以上、ある程度は厳選する必要がある。
「おお! これは、面白い味だなあ」
「見た目はお肉なのに、海の香りがするね」
最初に悠達が食べたのは、海獣の串焼きだった。
見た目は焼くと茶色くなるタイプの肉──牛肉などに近いが、その匂いは魚類のような海の香りという、まさに魚と肉の中間のような不思議な味わいの肉が串に刺されて塩を振られたものだ。
店先のお兄さんに聞けば、海獣はひれのついたずんぐりとしたものだという。アザラシの様な姿だろうか? と悠はイメージする。
本来海獣の肉というのは鯨の様な味になるらしいのだが、これは完全に魚と肉をあわせたような味で、悠には初体験のものだった。
「おじさん、これひとつ!」
「んんー、すっぱいけどさっぱりする!」
こってりとしたものを食べた後は、みずみずしい野菜で口の油をぬぐうように。
次に買ったのは洋ナシのような形をした艶やかな緑色の野菜だ。
これは水分量が非常に多く、まるでトマトのような味わいだった。悠は煮込めばトマトソースのようなものができるかもしれない、と記憶にとどめる。
「おじさん、これ何すか?」
「これはナグの実だよ! 甘くて濃厚で美味いよ!」
デザートが欲しくなっては、不思議な色合いの木の実を買って食べてみる。
ころころとした小さく丸い木の実はナグの実というらしい。
「んん、優しい甘みだな」
「ほんと! ねっとりしてて、じわって広がっていく感じ!」
「酸味もあるな。あの、これ干したりしてないんですか?」
「してないよ! 何でも水分が少ない所に生えてるみたいだけどね」
食べてみると、やわらかく、それでいて絡みつくような濃厚な甘みが口中に広がる。
近い味覚は干し柿だろうか。悠が干しているのかと聞いたのもこれが原因だ。
実際には干し柿と比べると少し強めの酸味もあり、濃厚なのに食べていて飽きが来ない。
「いやー……結構食べたなあ。俺は後一品くらいなら入りそうだけど、クララはどうだ?」
「私もそろそろお腹いっぱいだよ。でも、確かにもう一品くらいなら入るかなあ」
そうして市場を周っていた二人は、腹の限界が近いことに気づく。
量が少なめな物を選んで食べていたのだが、上に挙げた物以外でも結構な種類の料理を食べていたのだから仕方がない。
そんなわけでここらで〆と行こう、という意見が一致し、二人は最後の一品に相応しい店を探し始める。
あまり脂っこいでもない、本格的な食事。
奇しくも、二人が欲している料理は同じだった。
あれはちょっと脂っこそう。あれは最後の一品には冒険すぎる。
様々な店があるのに、いやむしろ様々な店があるからこそこれだと言う料理が見つからない。
だが、そんな二人の目にある店が留まる。
「芋煮……芋煮かあ」
どうやらその店で扱っているのは、ごくシンプルな芋を茹でただけの料理らしい。
少しばかり地味なせいか、店には客が少なかった。目を引く匂いとビジュアルもなく、変わり映えということもないド定番では仕方がないのかもしれない。
しかし、だからこそ惹かれた。
クララと顔を見合わせて頷くと、悠は芋煮の店に近づいていく。
「おじさん、二皿ください!」
「ん、ああ……ありがとうね。はい、どうぞ」
代金を渡して芋煮を受け取ると、どこか懐かしいようにさえ感じる魅力的な香りが立ち上る。
何処か漂う日本の香りは、ガルムを使っているからだろうか。魚介出汁にも似た匂いが、故郷を思わせる。
芋は、日本でよく見た品種とは少し違う様な気がした。が、翻訳が『芋』と拾っただけあってよく似ている。色合いが少し濃く、さつまいもに少し寄っているだろうか。
「いただきます」
食材への感謝を述べて芋に歯を立てると、丁寧に煮込まれている芋がほっくりと割れ、中から蒸気が吹き出した。
「あふ、あっふぅ……!」
見れば隣でクララが予想以上の熱さにあえいでいる。
笑いだしたくなるのを堪えながら、悠は押しつぶすように優しく口の中の芋を割っていく。
「(おおお……!)」
その味わいは、やはり日本を想起させた。
魚醤で丁寧に煮込まれた芋は芯まで味が染みていて、塩辛いというのにほくほくとした食感のおかげで優しい味わいに昇華している。
口の中で細かくなっていくほどに広がっていく穏やかな土の香りと、潮の香り。
シンプルであるがゆえにその完成度は高く、シンプルであるがゆえ、食の好みに染み込んでいくような味わいだった。
「うんまい! なんか落ち着く味だなあ」
「あふいけど、おいふい!」
クララはまだ熱を冷ましきっていないようで、はふはふと口の中から蒸気を逃しながらも、顔を綻ばせた。
「ははは、君たちみたいな若い子にそう言ってもらえると嬉しいなあ」
そんな二人を見て、中年よりも少しいったくらいの男性は穏やかに微笑んだ。
その言葉に嘘はなく、本当に嬉しそうだが、どこか寂しさを感じさせる笑みだった。
「いや、ホント美味しいです。しっかり中まで味が染み込んでるのに、崩れてないし……ガルムもちょうどいい塩梅です」
「おお、わかるかい? 詳しいねえ、料理はするのかな」
「まあ一応は。趣味の自炊程度ですけどね」
悠の言葉に機嫌を良くしたのか、少しだけ店主の顔から寂しさが消えた。
が、それもすぐに戻ってくる。
「それでも嬉しいねえ。最後に君たちみたいな子に食べてもらえてよかった気がするよ」
「ええ? お店、畳んじゃうんですか?」
店主の言葉に反応したのは、熱々の芋に息を吹きかけていたクララだ。
クララの言葉にこくりと頷いた店主は、何処か遠い風景を映し空を見る。
「見ての通り、売上がイマイチでね。やっぱり若い人には地味すぎるみたいで……味には自信があるんだけども。売れないもんで、芋も余らせちゃうしなあ」
語られる理由は、この市場ではおそらくありふれた物なのだろう。
店主の言葉には節々に悔しさがにじむ。悠は、なんとなしにそこに料理への思い入れを知った。
それは、絶妙な味わいの芋煮を見れば判ることだ。
「それは……ううん、難しいっすね」
しかしこればかりは、どうにもならない。
華々しい市場では確かに目を引かないのは確かだ。
だが悠には宣伝はわからない。食べてもらえさえすれば、きっと芋煮の旨さも伝わるだろうに。
なにか、若い人向けの料理でも出せれば違うんじゃないか。
ふと、そんな考えに思い至るのは悠が食いしん坊だからか。
……だからこそ、悠にはふと考えが浮かぶ。
「なんか、目を引くサイドメニューとか出してみる気はありません?」
何か目玉になる商品でもあれば良いんじゃないか? と。
市場でも今の所見ずに、大量の芋の在庫もなんとかなる。
そんな料理に悠は心当たりを持っていた。
ただ、市場に並ぶようなモノではないだけで、もうすでにこの世界に存在しているかもしれない。
それほどまでに簡単でさえある料理──
確認を込めて、悠は呟くようにその名前を口にする。
「ポテトチップスって言うんですけど──」
生まれはおそらく1800年台のアメリカ。
いまや日本ではメジャーもメジャーな、親しみ深い菓子の名前を。




