第九十八話:魂の旅路
「賢者の知恵……かあ。なんというか、荒唐無稽だな」
『だが君は、その様なものを物語として知っているのだろう。精神の世界を、これほどすんなりと受け入れたのは、君が初めてだ』
悠自身の精神の中という世界で、悠は頭の後ろで手を組んだ。
重力さえない世界で、悠はリクライニングチェアに身を預けるような、リラックスした姿勢を取った。紛れもなく寛いでいる図太さに、抑揚のない賢者の声も心なしか困惑気味だ。
「それで、何の用でしょう? なんとなくは想像ついてますけど」
『話が早いのは良いことだ。『全知』を口にした者として、二三質問させてもらいたい』
「おお……お約束な感じ……ちょっとワクワクするなあ。あ、ハイ、いいですよ」
知恵が語りかけてくるという展開に、ファンタジーを想起した悠は興奮に口調を乱しつつも、敬語を取り繕って答えた。
知恵そのものに年齢があるかどうかはともかく、蓄積される知恵を持っていた賢者は、人類的に先輩とでも言うべき人々だろう。
『畏まらなくても良い。我々に賢者の人格は存在せず、個は最早意味をなさない。むしろ君の言葉で答えてくれた方が良い。それに、君は厳密的に我々の後輩という存在でもない』
「え? ……じゃあ遠慮なく普通にしゃべるけど……それ、どういう意味だ?」
と、そう思っていたのだが、おそらくは考えていることを読み取って、賢者の知恵はそう返した。
素で喋れという要求には従いつつ、悠は質問を投げかけた。
『異なる世界から来た君は、非常によく似ているが我々とは別の生物だ。極々僅かだが、遺伝子の情報も異なっている。厳密には──我々からすると、魔物と表現すべき存在だ』
そうして帰ってきた答えは、悠が魔物である、というものだった。
思い当たるフシは幾つかあった。地球とは異なる生態系を持つ惑星の、地球とは違う法則の下で暮らす人々だ。自身が『スキル』と片付けるには範囲の広い『能力』を持っていることもあり、それはそうだろうなと思いつつも、悠はうなだれた。
「うわー……マジか……いや、わかるはわかるんだけど。ちょびっとショックだわ……」
『言う通り、あまりダメージは受けていないようだな』
だが、賢者の知恵の言う通り、そのダメージは少ない。
前までの悠ならば、己の根底を変えるほどの衝撃となったろうが──
「まあこっちに来たばっかだったら俺はこの世界じゃ化物かよ! ひとりぼっちだー! ってなったんだろうけど、クララ達がいるしな。考え方も似てるし、俺が厳密には魔物だって言っても、軽く流してくれそうだしさ。ゴリラと人間でさえ2%も遺伝子が変わらねーんだし、これだけ似てりゃ変わりモンの範囲内だろ」
今はクララ達がいる。言う通り、悠が自分は明確には魔物という存在になるらしいと打ち明けても、クララ達はさほど気にしないだろう。
仮に生物的に違うとしても、『仲間』だ。今はクララがよりかけがえのない存在となっている、ということもある。
『なるほど。優れた精神性だ。……では、質問の方へ入ろう。まず、君は何を望んで全知の実を口にした? 君の言葉で聞かせてほしい』
悠の口ぶりに満足する様子を見せつつも、賢者の知恵は本題として一つ質問を投げかけてくる。
恐らくは既にそれも知っているのだろうが、自分の口からそれを語るよう願われれば、拒む必要もない。
「今身体が崩壊しつつあるディミトリアスの直し方かな。ついでに、その後で全知の実を──あー、樹に返す? 方法があるならそれも知りたい」
『なるほど。では何故それを望む?』
やはり満足げな色を含ませて、実は問う。
「ん、友達を助けたいのは当たり前だろ? 幸い俺の知る限り、取り返しのつかない事はしてないわけだけど、悪いことは結構やってるっぽいし──なんでも政治家としては優れてるみたいじゃん、だったら反省して償う機会があれば、この世界のためにも本人のためにもなるんじゃないかなって」
『では実を返還したいというのは? 彼──『ディミトリアス』には資格がなかったが、君の食の力ならば我々を存在ごと取り込むことも可能だし、我々が有資格者と認めれば、副作用なく力を使いこなすことも可能だ。我々は君を有資格者に足る存在だと認めているが、それでもか?』
どちらかといえば、こちらが本当に聞きたいことなのだろう。
うなずいてから、悠は答える。
「それでもだ。……いや、嫌味じゃないんだけどな、全知の実っていうくらいじゃん? 全部知ってるってのもあんま楽しくなさそうだなって思って。……やっぱ俺、一番好きなのは知らない食材を食って、美味い! とかマッズ! みたいに驚くのが好きだからさ。アレはどんな味だろう? って考えた時に、これこれこういう味だ、って食いもしないで分かっちまうのはキツいなって。なんつーか、謎解きゲームの最中に隣で解説され続けるみたいな……わかるっしょ?」
悠の答えに、顔がわからない誰かが苦笑いをするのが浮かんだ。
世界を統べるような力を天秤にかけても、悠は自分の趣味を優先した。
当然、満たされているからというのもある。この世界に来たばかりの悠なら、全知全能の力を優先しただろう。
だがクララ達がいて、一緒に食材の味を一喜一憂できる。それこそが悠にとっていちばん大切なことなのだ。
『素晴らしい。君の望むようにしよう。あの青年を助ける知識も、実を返還する知識も、確かに存在する。最低限必要な知識のみを与えよう』
「マジか! やっぱやってみるもんだな!」
賢者の知恵の言葉に、思わずガッツポーズをする悠。
『ただし』
だが前置きをされて、悠は凍りついたように動きを止める。
全知全能、その必要な部分だけを得るというのは、やはり都合がいいのだろうか。とんでもない制約を、思い浮かべたからだ。
しかし、違かった。
「一つだけ『お願い』がある」
背後から、柔らかな青年の声がする。
声に自然と振り返ると、そこにいたのは見覚えのない青年だった。
それが誰かはわからなかったが、推測はできる。多分、全知の実がまだ『全知』ではなかった頃の、賢者の誰かだ。
青年は振り返った悠に微笑むと、ぱちんと指を鳴らす。
すると──悠の左右から、凄まじい量の食材が流れてきた。こちらのものから、地球のものまで。魔物の肉も、スーパーに並ぶカップの納豆までが。
「なにか、作ってくれないか」
圧倒される悠に青年が告げたのは──そんな、ありふれた一言だった。
口を半開きにしてほうけていた悠の顔に、みるみる明かりが差していく。
「おう!」
即答だった。
水を得た魚のように、悠は食材を選んでいく。
ネーデの醤油。スーパーで売っている様な、普通のじゃがいもとしらたき。使う肉は、その料理に合う中で最も質が良いであろうバイコーンの肉。出汁は猪魚の削り節だ。主食となる白銀米も忘れられない。
食材が揃えば、あとは調理するだけだ。
精神世界のことではあるが、調理の感覚は現実のそれと何ら変わりはなかった。自分でも驚くほど良い手際に、思えば料理もうまくなったなと思いながら、悠は炊いた米と合わせるたった一品のおかずを作り上げた。
「出来たぞ! 肉じゃがっていうんだ。俺も一緒に食っていいか?」
「もちろん。食事は、共に食べる人が多いほど美味いのだろう」
「わかってんな~」
それは、肉じゃがと米。ただそれだけだった。
それでも、あまりにも十分に過ぎる『食卓』だった。
「……うん、なんとも柔らかい芋だ。ホクホクとした食感もいいし、汁で崩れた部分の優しい味わいもいい」
「この世界の肉、ホント美味いよなあ。出汁も旨味が半端ねえ」
「シラタキとやらの食感がいいな。味もよくしみている」
「それを追っかけてメシを食うのが、たまらねえよな」
なんとも穏やかな時間が流れていた。
それはマオルの賢者にとっても、悠にとっても同じ──新しくて、懐かしい味。
交わす言葉は少なかったが心地の良い空間だと、生まれも育ちも違う二人が同時に思う。
だが、食事を平らげるまでに、さほどの時間はかからなかった。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「どういたしまして。俺も肉じゃがなんか久々に食ったなあ」
「現実の君の腹の中には、何も入っていないがね」
「そういう寂しいこと言うなよ」
腹をさすりつつも、この満腹感は現実のものではないという。
なんとも無粋な言葉で、悠は苦笑していた。が、愉快だった。
精神世界で大昔の賢者と肉じゃがを食べる、なんてちぐはぐさが、面白かった。
「しかしシミュレーションとはいえ、『全知』による再現の精度は完璧だ。現実でも同じ材料を同じ様に調理すれば、同じものが出来上がるだろう」
これは、全知の力によって再現されたものだった。全知に蓄積された食材の情報と、悠の記憶を再現した食材を、悠が調理し、全知が演算したもの。
そうして出来上がったのが、この肉じゃがだ。
「……つまり、二度と味わえない料理ってわけだな」
「そうなるね」
つまりそれは、現実では再現不可能な料理であるということだった。
この世界の食材と、地球の食材をふんだんに使用した肉じゃがは、決して交わることがない世界が一瞬だけ交わったものだ。
「一応聞いておくけど俺が『向こう』に帰る手段ってあるのか?」
「あるよ。ただし、元の世界であったことは変わらない──君が死んだという『事実』はそのままだし、向こうに行っても、今このままの君が力を持たない普通の人間になるということもない」
「要するに、向こうじゃ本当に化物ってことか」
「そうなる」
ふと気になって、悠はそんな疑問を口にした。
その答えは、予測している範疇の中にあったものだ。
一度死んだ人間が不可思議な力を身につけて帰還する。悠を亡くした人達から見れば、夢のような話だろう。
だが死んだはずの人間が現れ、現実の理を超えた能力を幾つも持っていたら、それはきっとロクなことにはなるまい。気味悪がる人間はいくらでもいるだろう。
「それを聞けて安心したわ。なんつーか、この世界に残る理由ができたっつーか?」
だからこそ、吹っ切れた。敢えて異世界の食材と地球の食材をそれぞれ使った肉じゃがには、最高の料理をご馳走しようという考え以外にも、無限の食材を見て自分自身への決着をつけようという意図もあった。
戻れるというのなら、気にかかる人達がいたのも事実だ。あるいは、それが『正しい』のかとも。
だが、やはり悠はもう『むこう』にいない人間なのだ。
だったら、自分を必要としてくれる人達のいる世界に残ったほうが、よほどいい。向こうはあるべきまま回るだけなのだから。
「それじゃそろそろ戻りたいんだけど、まだなにかあるか? ディミトリアスとかそろそろやべーんじゃないかなって思うんだけどさ」
「心配は要らないよ。現実では、時間はほんの数十秒しか経っていない。とはいえ、外は慌ただしくなっているな。これ以上引き止めるのも悪いし──お帰りはあちらだ」
青年が指を鳴らすと、シンプルなドアが表れて、悠はすぐドアノブに手をかけた。
「最後にもう一度だけ聞くが、全知の実の力を受け入れるつもりはないかい。君ならば、この力を有用に使うことが出来ると思うが」
悠の背中に、声がかけられる。
悠はその言葉に、振り返る。ドアノブには、手をかけたまま。
「さっき、俺が肉じゃがを作った時さ。あんたは、味を知っていたのか?」
「いいや、知らなかった。敢えて、味を先だってシミュレートすることはしなかった」
「じゃあ、さっきの料理を食った時、どう思った?」
問いかけに対して、悠は問いかけで返していた。
質問に質問を返すのは、ともすれば無礼になるだろう。
しかし青年は顔を顰めるでもなく真面目に考える素振りを見せると、愛おしそうに答える。
「美味かったよ。僕も知る材料を使っていたのに、予測できない味だった。違う食材に手を伸ばすたび、新しい発見に驚いたよ」
「だろ~? 結構自信作だったしな……ってそれはいいや。知らないものが美味いって、良かったろ? 楽しいし、嬉しいし。俺はこういう小さな発見を大切にしていきたい、小さな人間だからさ。──それを引き替えにする全知全能ってのは、ピンとこねえや」
「……そうか、つくづく惜しいな。君の『地球』の知識があれば、全知の実はより素晴らしい存在になったろうし、マオルの恩人である君にも大いなる力が与えられると思ったのだがね」
悠の答えに、青年はああ、と納得して頷いた。
「先程、『僕ら』は君を厳密には魔物だと表現したが──訂正する。君は、どこまでも人間臭いやつだよ」
「はは、ありがとう。そんじゃ、またな……ってのは、おかしいか」
「再び実を口にするというのなら、歓迎するがね。……さらばだ」
もうそれきり、問答は行われなかった。
別れの挨拶でドアノブをひねると、開いた隙間から激しい光が溢れ出る。
ドアを開ききると、そこには泣きながら悠を揺する少女たちの姿が見えた。数十秒でも大惨事だな、と悠は苦笑する。
引き止められたのを言い訳にして、クララ達は許してくれるだろうか? カティアなんか、結構無理することに厳しくなってきたしなあ。
怒られる事を憂鬱に感じつつも、悠は勢いよくその世界へと飛び出していった。
悠が、クララ達が暮らす、その現実へ──




