⑫ アリアンロッドの機転
ルミエールはこのような兄の思いを露にも知らず、言葉を失くし、立ち呆けている。そこに、畳み掛けるようにルシオーレの真剣な声音が伝う。
「人望や羨望などいくらあっても、愛する人を得られないのなら意味がないのだ。それとも王の地位を譲れば、代わりにグローアを譲ってくれるのか?」
ルミエールはハッと息を呑んだ。
「兄様はまだグローアのことを……。なりません! グローアだけは渡しません! それならば私は自力で王の地位を得て、彼女を死守します!」
妻を奪われるのではないかと冷静さを失った彼は、兄の持つ槍を取り上げ、ワイバーンの面前に咲く花を摘みに向かった。
「待てっ!」
ルシオーレも急いで追い、ワイバーンの面前で弟の腕を掴み、引っぱりこもうとする。
そうして兄弟で取っ組み合いを始めるのだが、ワイバーンはとうとうそれを鬱陶しがり、その首を大きく振り回した。
「危ない!!」
「兄様!!」
その時、振り回されたワイバーンの鱗から、大量の粉が飛び散った。それをルシオーレがルミエールの前に立ちはだかり、すべて受けたのだった。
「兄様!? 大丈夫ですか!?」
「粉を被っただけだ、大事ない」
「なぜ私を庇うのですか、私はあなたの恋敵なのに」
「敵ではない。可愛い弟だ、大事な家族だ。そのつもりがなくとも身体が動く、当然だろう」
「兄様……」
ところでアリアンロッドは、ワイバーンが怖くていまだ岩陰から出ていけない。卵を狙われていると危ぶんだワイバーンは、続けて威嚇している。
しかしワイバーンの威嚇を前にしても冷静なルシオーレは、弟を根気よく宥めていた。
「誰よりも私がお前を認めている、お前の努力も。だからその空回りな頑張りは無用だ。王宮へ帰ろう」
「いや、まだ帰らなくても良い」
その時、洞窟の入り口に立つ大きな体躯の男の輪郭が、ふたりの瞳に映った。アリアンロッドも何事かと岩陰から顔を出す。
「そこをどけ。助太刀する」
アリアンロッドは見た。浅黒い肌の、いかにもな武人様の見目の男が、大槍を振りかざし構えだす。
兄弟は何が何やら、移り変わった状況が掴めずにいるが、その男の気迫に押され両脇に寄った。すると男は「はああああっ!!!」の気合と共に大槍を突き出し、アリアンロッドには本当に打ち込んだかどうかも目に止まらなかったが、その打撃によりワイバーンの首は振動のような音を出し、その場に横たわった。
「殺してはいない。無闇な殺生は好まぬ」
男はルミエールに言う。
「即刻、花を摘まれよ」
しかしルミエールにはさっぱり見当のつかぬことで、どうにも行動に移せない。そして間髪を入れず男は、なんとその槍先をルシオーレに向けたのだった。
「!?」
「恨みはないが、主君の依頼だ。お前を不能にする」
「……何だと?」
アリアンロッドも目を丸くした。急展開だ。正体不明の、だが強い男が、彼らを助けてくれたと思いきや、今度はルシオーレの敵として立ちはだかる。
「駄目だ! 兄様に手出しはさせない!」
ルミエールは兄を庇うように彼の前へ出て両腕を広げた。すると男はそのみぞおちに拳で一撃食らわせ、彼はあっけなく落ちる。それを見たアリアンロッドは、「敵うわけないのに前へ出た~~!?」と口が半開きになった。
(まさに、これが“そのつもりがなくとも身体が動く”というものね)
美しい兄弟愛に涙も禁じ得ない。
(大丈夫かしら、エールさん……)
男は気を失った彼を抱え上げ、
「ワイバーンが目を覚ます。長居は無用だ」
とルシオーレを外へ促した。
アリアンロッドが洞穴の外へ出た彼らの後を追っていくと、武人の男はルシオーレに対し、槍先を真っ向から向けていた。
「お前の主とは誰だ。私を狙っているというなら、どうしてあの状況を助けたのだ」
「助けたのはお前ではない。そこで伸びている男だ」
「エールを? エールを助け、私を狙う? ……お前は我々が王の血を継ぐ人間だと知っているのか?」
「国の政には明るくない。私はこの地方で生まれ育ったが、神の使いである大聖女が治める国ということしか知らぬ」
ルシオーレは男をじっと見た。
「先ほどの技……。聞いたことがある。気合で敵を威嚇し仕留める、東国の最強秘伝古武術。そしてその武術を操る者の子孫が、彼の国との交易が失せた今も、この国の山岳地域で暮らしているという」
アリアンロッドはそこまで聞き耳を立てていて、とある会話を思い出した。アンヴァルの言っていた──古武術の話だ。すると、解答がするする出てくるのだった。「お前の主とは誰だ」の答えが──。
アリアンロッドは声を大にして言いたい。「こんな、いかにもな武人も、やっぱり可愛らしさを備えた美女に弱いの!?」と。
「先ほどからその木の陰に隠れているのは何者か? 邪魔立てするなら容赦はせぬぞ」
(あ、あらら……)
気配ですっかりバレていて、指名されてしまった。
(なら、もう隠れている意味もないし、この武人と戦うのはいくらオーレさんでも荷が勝ちすぎるから、力を貸さなきゃ。──私の陣地に引き込んで──。)
アリアンロッドは勇んで前へ出た。
◇
クシャと草を踏む音を立て、アリアンロッドは姿を現した。
武人から一定の距離を保ち彼女は、怖気づくことなく彼に言い放った。
「私は……天から舞い降りた、あなた方国民が尊ぶべき、国の象徴、“聖女”よ」
「なに?」
アリアンロッドは悠然とした眼差し、少し上がった口角で余裕を見せる。
「遊山中の、通りすがりの“聖女”なの」
武人は訝しんだ。この聖女を名乗る娘は、邪魔者なのかどうなのか、と。
「あなたは我が国の政には詳しくないようだから、教えて差し上げるわ。聖女は国にとって大聖女の次に大事な存在なの。次の大聖女という意味では、現大聖女よりも重要かもしれない。もちろん替えは効かない」
武人は困惑しているが、それはルシオーレもだ。しかし彼は敏い。彼女に任せればここは切り抜けられると、その彼女のテリトリーにさりげなく身を置いた。
「あなたの主とは、あの美女でしょう? 国の三大美女に入るかもしれないわね。えーっと、彼女と、お母様と、……まぁあとひとりは適当に」
「……どうしてそれが分かった……? その……我が主が、美しい方だと」
武人は骨ばった顔をぽっと赤らめ、小声で尋ねた。
「ふふっ。聖女はすべてお見通しなのです、神の声が聴こえるので」
侍女の噂話でも知り得ることができそうだ、と思いながらの発言だ。
「今すぐ引きなさい。先ほど私は……、もし私に、またはこの者らに危害が加えられるようなことがあれば、首謀者であるラーンを処刑せよ、と書いた文書を、供の者に持たせ放ちました」
「何だと!?」
アリアンロッドはニヤリとした。
「聖女のお忍びに供を連れていないわけがないでしょう? 私、この山に詩を詠みに来たのだもの。筆記用具も紙もちろん持参していたので、もうパパッと書いてパパッと行かせましたわ。もし私たちが怪我の一つでもしたら、ラーンは……ギロチンの餌」
次は首に平手を当てて煽った。一度やってみたかったらしい。
「くっ……しかし、そんなもの誰にでも言える。お前が本当に聖女だなんて誰が信じられる? こんなところに聖女だと? だたの、この男の情人ではないのか!」
「聖女の名を騙ったら十分に不敬罪ですけどね……。でも聖女だって証明しろと? それ、“悪魔の証明”って言うのよ」
説明すると、「私は悪魔です」と言っても誰も本当の悪魔を知らないのだから証明しようがない、というものだ。しかしアリアンロッドは、「まぁそう言われるんだろうなぁ」と分かっていた。
「なら見せてあげるわ!」




