⑨ 大聖女同士の邂逅
求愛者に返事は? と尋ねたアリアンロッドに、ラーンはそっけない表情で、ボソボソと言葉を返す。
「返すつもりはないのだけど、使えそうな人はキープしておこうと思って、そういった旨の返信はするわ。それでも良いという人だけ、侍女が適当に相手をするの」
「キ、キープ……?」
「エール様の役に立てることがあるなら、ね……」
可愛い少女の放つ、その闇深い眼差しにアリアンロッドはゾゾゾっとして、身を縮こまらせた。
そして、ここに泊まらせてもらうことにしたアリアンロッドは、夜中も何度か世話してやる羽目になり。
夜の明けた頃、ラーンは夜中の吐き疲れのおかげで、ようやくぐっすり寝付いた。アリアンロッドは彼女にそっとブランケットを掛け、そこを後にする。
この時代にいる意味もピンとこず、とりあえずは、ルミエールに手配を命じられていた侍女の采配で馬車に乗り、王宮に戻った。
◇◆◇
部下の案内を受け、宮廷に隠された通路を通り、執務室へ──、朝早くから実務に勤しむルミエールの元に辿り着いた。
「おはようございます。エールさん。忙しそうですね」
アリアンロッドが話しかけたら、彼は寝不足をものともせず、爽やかな、人懐こい笑顔を向けてくる。
「おはようございます。いえ、実はそれほど忙しくないのです。昨日兄が私の部下までもうまく使ってくれていたので、普段よりよほど。……もしかして、朝までラーンの相手をしてくれていたのですか!?」
「ええまぁ」
「さぞかし骨の折れた事でしょう。ゆっくりお休みになってください」
そう言って彼はいったん手を止め、アリアンロッドをふかふかのソファに横たわらせた。
アリアンロッドはすっかりくつろぎ、寝転がったまま、彼の業務を眺めていた。子どもの頃はこんなふうに、ディオニソスの仕事を隣で眺めていたこともあった。
(よく見ると、仕草がそっくり……)
うっとり微睡み、胸に灯るぬくもりを自覚する。しかしこれでは本当に眠ってしまうので、おしゃべりな口を開けずにいられない。
「ねぇ、どうしてラーンに男児がいいなんて言ってしまったの? 男でも女でもいいじゃない」
「えっ? 私、言ってましたか。口が滑ってしまっていたかな」
「王族や貴族の男性はみんな、そんな考えなの?」
アリアンロッドは非難の気持ちを口調に隠さなかった。
その質問を受け止めた彼は、一度はぽかんとした顔をしたが、次の瞬間には、きりっとした表情になり──。
「だって、男児でもあれだけ可愛いんですよ? 女児なんてもう胸の中をグイグイえぐられるような可愛さですよきっと!」
そう早口で主張しながら拳で机を叩いた。
「……ん? 可愛ければいいのでは?」
「だって女児は、他の男の元に嫁してしまうではないですか! “私、17歳になったらお父様のお嫁さんになりますぅ”などと言っておきながら!」
アリアンロッドは、「嫁に出すのは大抵父親の所業だと思いますが……」という指摘はまず、口に出さずにおいて、自身の眉間を押さえた。
「嫁に出さなければいいのでは?」
「そういうわけにもいきませんよ。私の妻にするわけにもいかないし。二方塞がりだ」
「では娘の幸せを陰ながら祈りましょう」
「そう割り切れる気がしないので、男児がいいです」
真剣そのものな彼の眼差しを見てアリアンロッドは、「どうしようこの人……」と思った。
「我々王族は特に……女子は国内にすらいられなくなる可能性が高いのです。厳しい運命に見舞われるのだろうと。それは心苦しいので……。それに男児なら成長した後もずっと共にいられる。結局、私自身のためですね」
今度は深く恥じ入るような面差しの彼を、共感力の高い、なかなかに女々しい男だと感じた。しかしとても嫌いにはなれない。
「まぁとにかく、もう奥様にそういうことを言わないでください」
「はい、気を付けます……」
叱られた彼はしゅんとなった。
「ほんとにもう、なんというか……」
邪気のない彼の顔を覗いて、アリアンロッドは眉間にシワを寄せ、真剣に尋ねてみる。
「あなたは乙女なの??」
「やはり頭がお疲れですか? 寝床をご用意しましょうか?」
そのとき彼の配下が、大聖女が呼んでいると連絡に来た。
「ふぅ……。では参るか。今日も忙しくなりそうだ」
アリアンロッドも彼についていく。しかし、大聖女の部屋の前で、いったん待つよう言われる。
(それはそうよね。いま私、ほとんど身元不明の怪しい人物だもの)
壁に耳をそばだてても、話の内容は聞こえてこない。近くのソファで休むことにする。
それからしばらく待った後。ギィと緩やかに扉が開き、ルミエールが出てきたと思ったら、彼は脇目も振らずまっすぐに、自身の縄張りに戻っていった。
「えっ、あっ、エールさん……?」
一瞬だけ垣間見た、彼の何やら思いつめた表情に、アリアンロッドは声を掛けることができなかった。
「そこの者よ」
(へぇっ!?)
彼は一体どうしたのだろうと案じていたところ、少し開いたままの扉の隙間を抜ける、その唐突な声に、びくりとするアリアンロッドだった。
叫ぶでもないのに、よく通る、気位の高さを思わせる声で呼びかけられた。隠れているつもりはなかったが、扉口にいる自分はまったく疑わしき者だろう。
この先におわすのは先々代の大聖女だ。
(恐れ多いけど、私だって大聖女なんだから、毅然としなきゃ)
アリアンロッドは奮って扉を開けた。
「失礼いたします」
扉を開けたアリアンロッドは、少し眩しさを感じ、景色をよく目にする前に、まず深々と礼をする。
そして見上げると、大きな窓に、シックな調度品は多く置かれない、さっぱりした部屋の風景。
両脇にまとめられたカーテンより奥の間の、ソファから立ち上がった女性は、壮齢の、長く伸びた赤髪が力強さを思わせる、たいそう威厳に満ちた大聖女であった。
長身でスレンダー、それだけでなく、まとう紅のオーラゆえに大きく見える大聖女に、今にも気圧されそうなアリアンロッドは、奥歯をぎゅっと噛んだ。少し歩み寄り、背筋をぐいっと伸ばしたら、手は腹の前で組んだ。
(こんな機会に恵まれるなんて。何を話せばいいのか分からない。まずは自己紹介すればいいのかしら……)
「そなたはただの侍女にも思えぬが……。この王宮に聖女以外の女は無用。なのになぜ王子に連れられて、こんな王宮の奥深くまでやって来られた?」
アリアンロッドは、「あ、まずい」と固唾を飲んだ。ここで胡乱な輩と捕えられるより、早々と身分を打ち明けた方が、と、猛スピードで頭の中の歯車を回転させた。
が、そんなアリアンロッドを前に、大聖女はクスクスと忍び笑った。
「恐れる必要はない。私には分かっている」
「…………」
案外親しみやすい大聖女かもしれないと思った。
「そなたは私のために王宮にきてくれた、救いの女神……であれば良かったが、そなたはすぐに、そなたの世に帰ってしまう。私には視える」
大聖女の視線はアリアンロッドから逸れて、遠いところを望んだ。
「救い? ……どういうことですか?」
「私は“もうひとりの若き聖女”を切実に探している。そなたが聖女であることは確かだろうが、そなたではない。なんと不思議なことよ。そのような神の力の現れ方もあるのだな」
この大聖女には、アリアンロッドが他の時代からやってきた者だと、勘付かれていた。
そのように冴える大聖女であったが、ここでひとつ、大きな溜め息をついた。
「今、そなたの来訪で私は、大聖女としてのプライドが揺らぎつつある……」
次に、切ない、不安げな表情を見せ、零す言葉がこれであった。
「……?」
「もし叶うなら、あなたに跪いてでも温情を乞いたい……」
「温情?」
アリアンロッドはその単語の違和感に不安を催したが、目の前の大聖女が、自分から何かを引き出したいということは伝わってきていた。
「聖女を探しているって……」
「……もう長らく、この王宮には私しか、聖女がおらぬ」
「!」




