② 私が戦場へ
翌日、アリアンロッドは王とディオニソスの元に、直談判に参上した。
「私は未来を視ました。この戦いに大聖女様が向かうと、命を落としてしまいます」
これは半分がでまかせである。
王は動転した。代わりにディオニソスが冷静にものを言う。
「大聖女も予言された。この戦場に聖女の血があれば、我が国は犠牲者を出すことなく勝利を掴めるのだと」
「ええ……? それってつまり、大聖女様と私の予言を掛け合わせたら、答えは簡単ね! 私が代わりに行けば万事うまくいくわ!」
アリアンロッドはためらいなく言い放った。
それを受け、青ざめていた王が口を開く。
「戦場では何が起こるか分からない……。聖女のほうが未来が長いのだから……、あなたが代わりというのも……」
心優しい王は、大聖女にもアリアンロッドにも、危険を冒してほしくはない、戦場へは行かせたくない、そんな口ぶりであった。
「でも私は未来を視たんです。私はここで死ぬことはない。勝てる戦いなら、私は決して奥から出ずにいます。そして国に勝利を捧げます!」
「……そうか」
アリアンロッドがするするハッタリを口にしたことで、渋っていた王も納得した。未来を視たと言われれば、それに異を唱える理由もない。
「了承した。私のほうから大聖女に伝えよう。しかし、アリアンロッド。あなたの従軍も、大聖女が認められればの話だよ」
その数日後、大聖女から許可が下り、アリアンロッドは自身が軍旗として、参戦する旨の報告を受けた。
王宮は防衛戦の準備に明け暮れた。その間、アリアンロッドがアンヴァルと顔を合わすこともなかったが、もう戦地に向かうという前日、たまたまふたりは出くわした。
「「あ……」」
いったんは揃って互いの存在にためらったが、まもなくじっと見てくるアリアンロッドにアンヴァルは問う。
「なんだ、心細いのか?」
「ま、まぁ……戦場なんて初めてだし。あなたは私のそばにいてくれるのよね?」
「いや、俺の配置は最前線だ。軍功を立ててディオ様の栄誉に貢献しないとな。本陣には官長がいるから大丈夫だろう」
「えっ?」
急速にアンヴァルの身が心配になった。それを彼女の顔色で察し、彼は目をやや細めた顔つきでなだめる。
「このあいだの罠をうまいこと張り巡らせるからさ。簡単には攻め込ませねえよ」
「…………」
アリアンロッドはここでどんな言葉をかけても、彼の兵士としての実力を信用していないように聞こえてしまいそうだと、口を閉ざした。
「お前も早く寝ろ」
神妙な様子の彼女に、それ以上の言葉を掛けられない彼は、後ろ髪をひかれる思いを隠し、そこから離れた。
その夜更け、アリアンロッドは大聖女の部屋に来ていた。
「私は絶対に生きて帰ってきます。安心してください」
大聖女の面前に座する彼女は、深々と頭を下げた。アリアンロッドにはこの機にかこつけて、改めて大聖女に伝えたい言葉があった。
「ただ万が一にでも、人の運命とは分からないものだから、一言だけ言わせてください」
大聖女はいつものように、穏やかな微笑みをたたえている。
「実母を亡くし天涯孤独となった私に、お母様と呼ばせてくださって、ありがとうございました」
「母親らしいことは何もしていませんよ」
「そんな……歌を教えてくださったし、それに、大聖女様の気に満ちたこの王宮にいることで、私はいつも守られていると思います」
「私がそなたを生んだわけではないけれど、私たちには同じ血が流れています。神に愛された血が……」
改めて言葉にされ、アリアンロッドは目頭が熱くなった。
「私に寄り添ってくださって、ありがとうございました」
「一言では終わりませんね」
「お母様とは、本当は話したい事が山ほどあるんです。でもそれはまたにします。私は必ず生きて帰るので!」
翌朝に備えるため、アリアンロッドはまもなく自室に戻った。
◇◆◇
そこは国の東南を出てすぐの平野、両軍が睨み合う戦場。
アリアンロッドは名誉顧問として戦場奥の、陣営テント内に座らされていたが。
いてもたってもいられず、テントから出ていくと────
一瞬アリアンロッドは、鼻と口を押さえたじろいだ。緩やかな丘の下から流れてくる風に血の臭いが溶けている。前方の、兵士らが競り合う光景にアリアンロッドは、守られているだけの自身が歯がゆく、唇を噛んだ。
「そうお気を煩わせずとも。あなた様の御加護は全兵士にいきわたっております」
隣の軍事官長が、厳つい顔立ちながらも精いっぱい彼女をなだめようとしている。
つい先刻、アリアンロッドは高台で、今まさに戦場に立たんとする兵士たちの前で聖歌を披露した。フィナーレまで聞き惚れた男たちの咆哮は、いつにも増して敢闘精神に溢れていた。
「ところで、先ほど兵士たちに掲げて見せておられた書面は……」
「ああ、これ?」
実は気付かれたかった彼女は、後ろ頭に両手を伸ばし、ひとつに束ねた髪の結び目に被せて結んだ“白い紙”を外した。それが髪飾りではなく紙であることに、官長はもちろん気付いていた。
細かく畳んだ紙を広げながら、彼女が得意げに見せつける、それとは──。
「私が本物の聖女だという証です。大聖女様が記されたプレミア付きの書面です」
「……?」
なにから申せばいいか分からない官長だった。
「軍隊のみなさん、私の存在だけでは心許ないと思いましたので、大聖女様直筆の文書という縁起物を用意しました」
先日あの館で使用した聖女の証明書を持参したアリアンロッドは、“願いを記した紙を木の枝に結びつけると願いが叶う”と文献で得た知識により、真似事をしてみたのだった。重圧に耐えられないかもしれない、という緊張感の中で、類まれな聖力を持つ大聖女の恩恵にあやかりたかった。
はぁ、と一息こっそり漏らした軍事官長の返しは。
「あなた様の存在で十分です。あなた様の聖歌を拝聴した兵士らはみな、戦意に満ちております」
「そう?」
アリアンロッドは安心してその文書を畳み、またポニーテールの根本に結び戻した。
「戦況は?」
ちょうど今、アリアンロッドの問いかけをかき消すように、遠くの方から続々と雄たけびが聞こえてきた。
しばらくして前線からの兵士がこの陣営に戻ってきて、その通達を聞いた官長は誇らしげに告げる。
「だいたい片が付いたようです。我々の勝利だ。こちらも負傷者は多いものの、現時点で死者は確認されていない。これもあなた様の、神の加護の賜物ですぞ」
「私は何もしてないわ……」
アリアンロッドは遥か遠くに目を逸らした。
「あなた様はそこにおわすだけで。勝利の女神だ」
「…………」
今そのような賛辞を聞いても、次の戦では我が身が、ここにいるみなが滅びる未来を、思い起こしてしまう。
「戦いはどの地点でも、ほぼ終わっているのね?」
この戦が始まる前、戦場は直に見ない方がいいと言われ、また、兵らより目に入らないよう徹底されている彼女は、そこで官長に申し出た。
「私、戦場の有り様というものを、一瞬でもいいから、この目で見ておきたい。少しだけ、前に出ることを許して」




