② 余興の主役に抜擢
申し出が受け入れられることはないと分かっていた。長きにわたり実権を欲しいままにしているのは大聖女ではなく、王族貴族の男たちだということは知られるところなのだ。
「お願い。国を取り込んだ後も、民を捕虜にはしないで。東から諸侯が移住してくるようになっても奴隷にはしないで。日常をただ懸命に励んでいる人々よ。今のまま、変わらない生活を保証して。それはあなたの願いでもあるでしょう?」
ユングは、自分について彼女がまるで見知ったような言い様をする、と感じた。
「建国より継がれる為政者の血は、ここで絶たせてもらう」
「…………」
アリアンロッドはここで決まるのだと理解した。先代大聖女に急に連れてこられ、この機会は青天の霹靂のような気がしないでもないが、敵国の大将と話をしているのだ。正念場だろう。
形ならぬ唇で、ふぅと吐息をもらしたら、ここで彼女の宣言とは──
「なら、決戦をしましょう」
二人は視線を、寸分も逸らさず、重ね合わせた。
「それに権力を握る王家の諸侯を漏れなく参戦させるわ。国の成り立ちの時、力で支配権を勝ち取った男たちの末裔よ。この血を絶やしたいなら戦いの中でそうすればいい。だから一般の民だけは、どうか……」
ユングは彼女の心を疑うではないが、やはり腑に落ちない面もあるようだ。
「お前は勝ち目がないと分かっているのだろう? だったら最初から引き渡せばいいじゃねえか」
「……私は愚かな王だから。どうせ死ぬなら愛しい人の傍らで……。たとえ、他の命を巻き込もうとも」
「ほう? いいと思うぜ。それが上に立つ者の利権だからな」
彼は少々考え込む。
「三月の後だ。前哨戦は今後一切なしでいく」
アリアンロッドは固唾を呑んだ。しかしこれで小競り合いによる民への生活阻害は止まる。
「あと、私はそのために一切国民を徴兵しない。だからお願い。あなたの国の民も、できるだけ巻き込まないで」
おかしなことを言う彼女を、彼はいったん睨みつけるが、話を聞く意思はあるようだ。
「日々食物を作り家屋を作る、そんな生を生む人々に殺し合いなんてさせたくない。為政の一族と、戦う覚悟のある兵士のみを参戦させる。騙し打ちではないわ。あなたのところの密偵が、準備する我が軍の大きさを測ることもできるでしょう。だからそちらも、むやみにこの戦いのための徴兵をしないで」
彼の覇道もまだ途半ば。人口減や取り込む土地の荒廃を防げるなら、彼にとっても損のないことだ、という前提で彼女は訴えている。
「……考えておこう」
再び彼は黙り込む。アリアンロッドはただ彼を待つ。
「三月後、満月の夜の翌日、陽が真上に来たら開戦だ。場はそちらの国の北東を出た先のミーミル盆地。詳しくは書状を送らせる」
それが命日か、と彼女は目を伏せた。
「お前も兵隊を鼓舞するため、参戦する気概はあるんだよな」
「もちろんよ。どうして兵士たちを盾にして私が逃げられるの」
「噂に聞いている。貴国の現大聖女はあまねく認められた弓の名手だってな。その命中率は国で一、二を争うんだろ?」
「へ?」
いったい誰がそんな噂を流しているのだろう? と、アリアンロッドには不思議な話だ。
「それはぜひ見ておかないとな」
そんなのたいして興味ないくせに、と即座に思った。
「ちょっとした余興を行う」
「余興?」
「女だてらに戦場で弓を引くというお前に、開戦の合図を任せる」
「合図……」
「その、今お前が寄りましに使っている密偵の女。お前が命乞いの書簡を寄越した奴だったな」
アリアンロッドはイナンナの目で再度、彼を睨みつけた。
「スパイなど捕えられれば処刑に決まっている。そうだろ?」
「そうね」
「決戦の日の正午、この女の首の上に戦斧を振りかざし待機しておく。その斧を正面から弓矢で吹っ飛ばしてみろよ。見事当てたら女の命は保証してやる」
「……!」
「そしてその一矢が開戦の合図だ」
「そんなことしなくても、私は逃げも隠れもしないわ!」
これで大聖女の影武者を戦場に送る道も断ったつもりなのだろう。アリアンロッドは苛立った。
「ただの洒落込みさ。まぁお前が逃げたら、この女の首の落ちた瞬間が開戦の合図になるな」
彼はそう言いながら、指先で彼女の首に触れた。そのままソロリ撫でるような仕草をする。
首筋を攻められながら、アリアンロッドはスゥ─と息を吸った。
「吹っ飛ばしてやるわ!! 必ずイナンナを無事に解放しなさい!」
その言葉を最後に、彼女は自分の寝床で瞳を見開き、覚醒した。
◇◆◇
夜が明け、すぐにディオニソスの元へ走った。
彼は書斎でひとり、歴史書を紐解いていた。
扉を開けたら、静かに歩み寄るアリアンロッド。彼の目に映る彼女は、覚悟を決めた、戦歴の乙女のごとき冷静さを目にたたえていた。
「決戦の日が決まったわ。私たちの命の期限は、あと三ヶ月よ」
「……分かった」
ここから最後の戦いの準備が始められた。大聖女の厳命でもって、王族の男、官に就く者はひとりも例外なく、戦場に立つべしと伝えられる。当然該当する者らは震撼した。王族・貴族であるなら文官ですら駆り出されるというのだ。それも国民を徴兵しないというではないか。納得いくはずもない。そしてこれは異常事態だと、とうとうみなが知ることになった。
文官の彼らは、国全土の諸侯と軍兵すべてを合わせても、敵国軍の数に敵わないことを理解している。しかもなぜ国民を徴兵しないのかは聞かされない。理知的な彼らとしては、これは勝機のない戦いだと騒ぐのも憚られる。しかし命がかかっているとなれば、大聖女がなんだ、神の力がなんだと、激しく反発もしたくなる。
信仰が揺らいでいる。国が成って以来初めての、深刻な局面だ。
最終的にその反抗はディオニソスのもとで止められた。アリアンロッドはこの間、大聖女の住まいから出ることを控えていた。
しばらくして敵国から宣戦布告の書状が届く。戦場の通達だ。即、兵らを現地に遣わし策を講じることを始めた。
ディオニソスにとって、アリアンロッドの参戦を余儀なくされたことは不覚の極みであった。女性の、または女性に近い体型の男子に限定して弓の名手を用意することは、不可能に近い。
「陛下。決戦日までにどうにか大聖女を国外まで逃がす、というあなた様の目論みは、これで実現不可となりましたね」
率直な言葉と共に参上したルーンに、漏れる弱音が止められないディオニソスだった。
「彼女が自身だけ運命から逃れるなど受容するはずもないと、いかに強行すべきか考えあぐねて遅れをとってしまった。私は己の、決断力の無さが恨めしい」
「こうなれば開戦してから逃がすしかない……ですが」
言いながらルーンは机上に地形図を広げた。
「この本陣営を囲む森に入り、敵陣の逆方向、北西へ向かうのが定石です。が、周囲は深い森。それを見越して敵方も、真っ向からの、北西への追っ手の他に、森の北へもそれを手配するでしょう。敵兵より早く突っ切ることができるか……。またはその裏を掻き、東に逃げて潜むか……」
戦場で逃がすしか方法はないのだから、その道を選ばざるを得ない。しかし道を切り開く以外の、何の策も立てられない。劣勢の中、追っ手を振り切りひたすら逃げるに関してなど。
「それとも、失敗を承知で影武者を立てますか? 実際、アリアンロッド様とてこの使命は荷が重いことでしょう」
地形図の二ヶ所を順に指差す。
「命中率以前に、女性の力でこのあたりからここまで、弓矢の飛距離を延ばすことは容易ではない」
ちょうどそこにアリアンロッドが入室してきた。
「影武者とか、何を言ってるの?」
男ふたりは聞かれてしまったが、慌てることもなかった。
「私が必ず撃ち飛ばすわ」




