① 王と王の真夜中の会談
今宵も王城の上空に暗雲が立ち込める。
戦況が厳しくなりつつある────。
アリアンロッドは憤りを隠せずにいた。彼女は宮廷の政務官や、東方から戻ってきた兵士らの様子を垣間見るのみだが、じわじわと国が侵略されていくのを肌で感じている。軍兵の出撃だけでは間に合わず、東の国境付近に暮らす成人男性は指令により、小競り合いや警備に駆り出されている。その地の民は暮らしがままならなくなり、いくらかの者は避難を始めた。残された民の生活は更に圧迫される。
「“国”はその地に生まれた人々が穏やかに暮らしていくための土台なのに……! どうしてその“国”を造るために、こんなことしてるの……」
その理を、アリアンロッドは国の王であるのに知らない。
それを知る人物は誰なのか。存在するのだろうか。
悲嘆してうずくまる彼女をディオニソスは支えながらも、こうこぼす。
「書状もおそらく受け取られていない。遣わせた使者は一人として帰ってこない……」
敵国にしてみたら話し合う理由はない、それはこちらも理解っていることだ。
「抵抗するにはやはり、全土からの徴兵が必要だ」
「ディオ様、それは待って。東では市民までも巻き込んでいるのでしょう? 一般の民が負傷しているのでしょ!?」
ディオニソスは官人らに大聖女の意向を余さず伝えている。しかしこの状況だ。それにすべて従っていたら、いつかここ王城まで攻め込まれることを、彼らは危ぶんでいる。
「私は、歴代大聖女が当然のように持っていた未来透視の術が使えない……。占いも呪いもできない、星の報せも読めない!」
アリアンロッドは思いつめた表情で叫んだ。
「アリア……」
「でも、なんとかするから。今のこの状況をどうにか変えてみせるから! だからお願い、もう少しだけ待って……」
ディオニソスはそんな彼女を労わった。彼も彼女の思いに何としてでも応えようと、右往左往の時を送っているのだった。
それからアリアンロッドは朝から晩まで聖堂にて祈りを捧げた。心を込めて聖歌を奏でてみた。それでも先代大聖女のように、神の依巫にはなれなかった。
彼女は毎晩、失意のなか就寝する。そして毎晩夢にうなされる。この日もまた戦いの夢であった。
無辜の民が次々と殺され、自分も恐怖に耐えかね逃げ出すが、すぐに敵兵に捕らえられ剣の刃を向けられる。
もうだめだと思った瞬間、彼女の立っていた地は崩れ、地底に吸い込まれていく感覚が――――。
(ああ、これが、私の運命、だったのよ、ね……)
気付いたらそこは、暖かい花畑。
「え? ……ここは?」
そこでアリアンロッドの目先に見えてきたのは、夢でみた美少女、無邪気な先代大聖女の少女時代の姿だった。このたびも花冠を作っている。
「お母様!」
アリアンロッドは久しぶりの再会に胸を躍らせた。しかし、すぐに気付くことになる。
「まさか、もう、あの世……? 私を迎えに来たのですか?」
たった今、自分が生きているのか死んでいるのか分からない。どういう時点にいるのかも。ここは彼岸なのだろうか。
――――だからお母様がいる? これは戦いの終わった後? だとしたらみんなは? 死んで離れ離れになってしまったの?
『ずいぶん混乱しておるようじゃな』
少女は立ち上がり、アリアンロッドのもとに寄ってきた。
『そなたは死んではおらぬ。私がそなたの夢枕に、立っておるのじゃ』
「夢枕?」
夢だったのか……と一時は安心するが、すぐに何も終わってはいないことに思い至る。戦いの夢はこれから起こる現実。再び憂鬱に沈む。
『久々にそなたと語りとうなってな。この花畑、気持ち良いじゃろう? 我らの借り切りじゃ! ……と、言いたいところではあるが、そなたは今それどころではないのよの』
「ええ。今は楽しく過ごせる自信がないです……」
先代大聖女は暗い表情のアリアンロッドに対し、明るく努めようとしている。
『実を言うと、このたび私は、そなたの手助けにきたのじゃ』
「手助け?」
『そなたの連れ合いとの約束でな』
「連れ合い??」
『そなたのために、一肌も二肌も脱ぐぞ! 来い来い』
ふわっと浮かんで先代大聖女は、無邪気にアリアンロッドの手を取った。その手は温かく、アリアンロッドは安心して身を任せた。
夢が暗転した。目が慣れると、そこは屋内だろうか。
周りには立派な調度品がベッドを囲んでいる。寝室のようだ。その大きなベッドには人がふたり見える。
ぼんやりした視界がだんだんと明瞭になり、目の前にいるふたりの人物が裸形であることにアリアンロッドは気付いた。
「!!」
ベッドのふたりは下半身に掛け物をかぶっているが、アリアンロッドにも大体の状況は掴めた。
「この場面は……、この雰囲気は……」
奥の女性が横たわり目を閉じている。隣の男性は上半身を起こし何か読み物をしている。そして顔立ちすらはっきりと見えてきて、それが誰であるかを知った。
「イナンナ!? 今助けっ…」
『手出しはできぬ。安心せよ。眠っておるだけじゃ』
「この男は……獅子王・ユング」
そちらもまったく見覚えのある顔だった。
こちらは視えているが向こうから自分たちが見える様子もない。
(そう、これは夢の中だったわね……)
『話してみとうないか?』
「話す?」
『おお。あれらのどちらかと。そなたと私、ふたりの神の力を合わせれば可能じゃ』
「どういうこと!?」
先代大聖女は強気な様子で提案する。ふたりの力を合わせて片方に乗り移り、片方と言葉を交わしてみるのはどうかと。
「乗り移るって……」
『私は今現在、霊魂じゃ。私自身なら難しいことではないが、そなたが生霊となって乗り移るには、私の力が必要だということじゃな。そなたの連れ合いとの約束は、これで果たすぞ』
アリアンロッドは驚きのあまり、まだ思考回路が働かない。そんな彼女をよそに、先代大聖女は話を進める。
『どちらと話したい?』
と聞かれれば、アリアンロッドには要望がある。
「単純に話したいのはイナンナだけど、話さなくてはいけないのはユングのほうだわ」
『では、娘のほうに乗り移るのじゃな。よし。私と額を合わせるぞ』
「待って。お母様は、もうどこかへ行ってしまうの?」
アリアンロッドは彼女とも、もっと会話をしたいし、できれば難しいことを考えずに思い切りはしゃぎたい。
『またいつか会おうぞ。この世は連綿と呼吸を続け、そこに生きる魂は再び会いたいと願えば、いつでも何度でも会えるのじゃ』
彼女の笑顔は実に朗らかで可愛らしい。
「ええ。ありがとうございます!」
言われた通りに彼女と額を合わせると、温かい力が流れてくる。これが神の力なのだろう。
アリアンロッドは先代大聖女の力で、イナンナの身体にするりと憑依した。裸体の彼女を自身のように操り、おもむろに身を起こす。
それに感付いた隣の男は、彼女のまだ覚めやらぬ眼を見つめ声を発した。
「お前、この女ではないな。悪魔が憑りついたか?」
「悪魔とは失礼ね」
アリアンロッドは彼に対面した。まだ他者の身体の中にいる不自然な感覚はある。しかし戸惑いは一寸たりとも見せられない。
「初めまして、獅子王。私は、現在あなたに睨まれている国の女王。交渉に来たわ」
「……初めまして」
彼は形の存在せぬ、裸形の娘に纏わりつく気配に、その未知の力に、少しも驚いていない。
「小隊を国境に送り込み、我が国の民を脅かすのを止めていただけないかしら」
アリアンロッドには確かに見覚えのある、余裕綽々の笑みを、彼は今も浮かべている。
「そちらが降伏すれば、今すぐにでも止めるが」
「私の首を差し出すわ。実権も無条件で渡すから、国のすべての民の安全を保証して」
返事は分かり切っているが、大聖女の意思表示はともかくしておかねばならない。
「お前だけでは足りない。王家の血を引く人間はすべて引き渡してもらおう。そいつらをのさばらせておいたら、実権も何もない」
「それはできない」
「ならば交渉は決裂だ」
アリアンロッドは負けじと目前の男を睨みつけた。




