④ 聖女様のありがたいお告げ
市民から聞いた公館に辿り着いたアリアンロッドは、そこの門番に、とにかく誰でもいいから役人か、その関係者に会わせて欲しいと願い出た。当然だが、番をする者が身元の分からぬ者の、突然の申し出に応えられるわけもない。それでも彼女は引かず問答をしていたら、館の中を通りかかる男性が歩み寄ってきた。
身分のある者なのだろう。アリアンロッドに向かい、こう言い放つ。
「よく見ると、ずいぶん上質な衣装に身を包んだレディだな。ここらの者ではなさそうだ」
アリアンロッドはこの人に取り入るのがいいと感じ、頭を下げた。
「私はアリーと申します。王都から来ました。出自は明かせませんが、こちらの高官にお願いしたいことがあります」
「私がそれに当たる者だが。まぁ、話を聞くだけは聞こう」
高官の彼は、彼女の身のこなしや話しぶりなどから、かなり高位ところの娘だとすぐに見抜いた。
しかし話はその場でのようだ。アリアンロッドは中に入れてもらえず、もちろん話さえ聞いてもらえれば、彼女はそんなこと構いやしない。
「男子をひとり、引き取っていただきたいのです」
「男子……訳ありの子か？ 君の子か？」
「いえ、歳は１２ほど。親を亡くし、この地域の者に育てられた子です」
彼は少し鼻から息を抜いた。
「なんの見返りもなく、子をひとり引き取れと言うのか。奉公人を引き渡すというでもないのだろう？」
「衣食住は下働きの者と同様で構いません。年相応のことならどんな仕事もこなせると思います。ただ、その合間に手習いをさせてください。文字を教え、字を書き、書を読める大人にしていただきたいのです」
より深く頭を下げるアリアンロッドを彼がじっと見つめるのは、不審がっているからだろうか。アリアンロッドはもっと彼の気を引く何かがないものか、と考えた。考えすぎて、それが声に出てしまうほどだ。
「でも、見返りは何も……。私は持ち合わせもこれといって……」
この瞬間アリアンロッドはハッとした。今、彼女は紫水晶と真珠の首飾りを着けている。ふたつとも衣服の中に隠れている、彼女にとっては装飾品というより、身体から片時も離したくない守護石の様なものだ。
「……これぐらいしか」
彼女はおもむろに、紫水晶の方を首から外し、差し出した。
「おお、これは美しい。良い物だとは思うが……見知らぬ平民の子を育てるというのには、さすがに釣り合わぬかな」
それを聞いて彼女は心が沈んだ。しかし直後、高官の彼はその飾りを、彼女の手からするりと取り上げた。
「まぁ良いか。この紫水晶の飾り、妻が気に入りそうだ。王都の物はとても人気が高い、婦人の間ではな。アリーと申したか、善処しよう」
その言葉に、一気に浮上するアリアンロッドだ。
「ありがとうございます！」
高官は門番に後を頼み、中に戻って行った。
「上手くいけばいいな」
それをずっと横で聞いていた、高官の部下が口を挟んできた。
「あの方は最近、ご自分の幼子を亡くしたばかりなんだよ」
「え……」
「そのみなしごが大事にされるかどうかは……神のみぞ知るかな」
アリアンロッドは、まさしく神の引き合わせのように感じた。そこで彼女は役人に暦を聞いてみた。どうやらこの地は、アリアンロッドの時世より４０年ほど前の世であった。矢継ぎ早だが、次の問いはこの領地の位置だ。
その答えを聞いたら、アリアンロッドはあることを察したのだった。
◇
そのまま少年のところに、この件を伝えに走った。
（もしかしたら余計なことをしたって、機嫌を悪くするかもしれない……）
彼はまだしばらく、多くのことを考えられないだろう。高貴な家のところでどういう暮らしが待っているかも分からない。苦難の日々が待ち受けているかもしれない。
「それでも学びは必ず、あの子の、“人の役に立ちたい”を叶える！」
その機会が少しでも得られるのなら、これは今、アリアンロッドが彼らのためにできる最大のことだったのだ。彼女はそう信じるしかない。
一応家を覗いてみたが、テーハはいなかった。
やはり洞窟だろうか、そう思って顔を出したがそこにもいない。また森の中に入ってしまったのでは、と不安になった。あの川はまだ近付くべきではない。
森に入り、彼を連れ戻すべく走ったが、そこはさすがのアリアンロッドである。すぐさま滑って転び、次に顔を上げた時、そこは「元いた」森の中だった。
少年に話もできずに元の世に戻ってきてしまった。心配ではあるが、もう仕方のないこと。
（あとはただ祈るのみ、ね……）
「大聖女！」
「ご無事ですか！？」
それらの声はアンヴァル率いる隊の兵士だった。
大聖女はアンヴァル隊長を探しに行ったと彼自身に報告が行き、隊がその周辺を捜索していた。
すぐにもその隊長が呼ばれる。
「アリア！」
「ヴァル！」
約束していたかのようにアリアンロッドは、彼のもとに駆け寄った。
「まったく無謀だな、お前は。用があるなら呼びつけろ！ ……もしかして、またどこかへ飛んでたのか？」
言いながら彼が手を差し伸べると、彼女はそれをすり抜け、安堵の顔を隠そうと彼に抱きついた。
「おい。みんな見てる」
胸が詰まると、すぐに抱きついてごまかす彼女なので仕方ない。
アリアンロッドは空を見上げた。
「もうすぐ月が上るわね」
兵士らに連れられ大聖女の邸に戻った。そこでディオニソスと実務を行う数名の者が大聖女の言葉を聞く。
「現地の役人たちに伝えてください。まず率先して避難させるのは、齢１５より年若の子どもたち、その父母、祖父母、養育する者」
それはみなの考える通りだろう。
「次は足腰の立たない老齢の者、病人、その面倒をみる者」
これにはざわっとした。わざわざ脆弱な者を救うというのだ。
「残りはまた年若の者から、いち早くその土地を出るように。そして残った者に伝えなさい。決して諦めないで。敵兵に捕まらず、耐えて。生き延びてください。神が必ずあなたたちを守るから、と」
ディオニソスも他の者らも、明確にこう答えた。
「仰せの通りに」
その後、アリアンロッドは夜明け前に立つアンヴァルと話した。
「その場で敵兵と戦うことに？」
「避難が首尾よくいけば敵の軍隊はいったん引くだろう。今回は土地より現地民を得ることが目的らしいからな」
「それに合わせた規模の軍勢ってことね」
「だが残兵がいれば戦うことになる。あとは街の確認だ。主な仕事は避難のできなかった人民の保護になるはずだが……。どうなっているか俺には見当がつかない。捕らわれていれば最悪、切り捨てるしか……」
「彼らはきっと、彼らの方法で避難してる」
「ん？」
「着いたらすぐ、森の方をよく探索して！」
「森？」
アリアンロッドは広げた布に地図を書いた。この辺が高官の屋敷で、それに対しこの辺にある集落の方から行くとこの辺の～～……といった具合に説明しながら。
「“この辺”とかいう曖昧な位置が多すぎるぞ」
「分かって！ なんとなくでも。大事なことよ」
大事なことならなんとなくとか言うな……と彼は思ったが、これが彼女の精一杯なのだろう。
「ヴァルも気を付けて」
アリアンロッドは彼の目を見た。やはり心配でたまらない。
「ああ」
彼は彼女を慰めるような、穏やかな笑顔で返した。
◇◆◇
東の領地から通達がきたのは、その８日後だった。
まずアンヴァル率いる先発隊が件の街に着いた時、目に映る景色に人は存在しなかった。
その先日、街の民がすべて消え去っていたのを怪訝の目で見た敵兵らは、その日のうちにほとんどが退去したようだ。しかしいくらかの輩は居座り、人がいないのをいいことに田畑を荒らすなどやりたい放題でいた。それらを隊は見つけ捕えた。
その捕虜からまたいくらか情報は得られるだろうということだ。そして隊はアンヴァルの指示で、残された現地民の捜索を始める。大部分は大聖女の命の通り、森へ向かった。するとその手前の洞窟で、人の気配がした。
確認してみたら、百数十にのぼる人々が大きな壕で身を寄せ合っていたのだ。兵らはみな驚いた。
そこにひとり、その壕の持ち主だという者が現れる。彼は現地採用の役人だった。
彼の言うには、敵軍はやはり街に市民が存在しないことで、到着した日は捜索し回っていたらしい。この付近にもやってきたが、争いになるのは避けるべきだと、みなで息を潜めていた。ただ忍ぶしかなかった。しかし二百名以上であるというのに、ものすごい団結力だ。
そして、この大きな壕はいったい？と尋ねると、彼は少々得意げに言う。
「日々の役目の片手間に、仲間と共に作りました。４０年ほどかけて」
