⑨ 劇場版 “選ばれなかった方の道”
「よう」
「ルゥ」
ちょうどルゥがやって来た。
「爺さんを林で見つけたけど、息子が来てて話しかけられなかった」
「そう」
ルゥは近くの切り株に座り、アリアンロッドの薪割りを眺めていた。
「あなたは兄姉がたくさんいて、兄さまばかり姉さまばかりと考えることはない?」
「いつも考えてるぞ。俺より長く母さまと一緒に……」
「あ、そういうことじゃなくて。受け取る思いの深さとか優しさとか……」
「別に」
「そう、そうよね。でも、やっぱり難しいのかもしれない」
ルゥの顔を見ていたら、自分の考えがより固まってきた。
「もしかしたら、母君があなたや姉君に歌を教えなかったのは、娘全員にきちんと教えられる確信が持てなかったからかも」
「?」
「歌がとっても好きで大得意で、それをぜひ子に伝えたくても、子どもの素質ってまちまちだし……」
ルゥの母親は思った以上にプロフェッショナルかもしれない。一人だけ素質のある子がいても、逆に、一人だけ向かない子がいても、姉妹の間で平等にとはいかない。
「想像でしかないけどね。知らない人だし。でもそういうことだとしたら、私が教えるのは問題ないわけ」
「教えてくれるのか!?」
こうも期待されると、そういった理由だと信じるしかないだろう。
「まぁ基礎だけね。真剣にやるなら2、3年は必要だし。でも基礎をしっかりやれば、あとは自己流で練習を続けられるよ」
あと、意味は分からないだろうから、こっそり国の聖歌を教えてしまえ、と思った。
ルゥの特訓が始まった。これの間アリアンロッドが思い出すのは、もちろん義理の母、先代大聖女だ。彼女と違ってアリアンロッドは自分の力で歌唱を習得したのだし、教えられる側の気持ちも分かる。それでもやはり、手ほどきするというのは難しい。手本として歌ってみせて「ここはもっとこのように」といった漠然な言葉しか示せない情けなさも、何度同じことを注意しても改善しない弟子への苛立ちも、まったく身に染みるのだ。教えるなんて無理だと投げ出したくなる気持ちやら、それなのに、どうしてもこの子に自身の持つものを授けたいという願いやら、師というより“親”なのでは、といった思いまでもが交錯する。先代大聖女もこんな気持ちだったのだろうと思いを馳せるたびに、これまたほのかな幸せが胸に広がる。
感情の振れ幅大きな時の中、根気よく、ほぼ毎日指導を施し、二月経っただろうか。アリアンロッドはルゥの歌声を聴いて、一言こぼした。
「天使の歌声みたい……」
技術はまだまだだが、癒しの底力は、まさに天上からの恵みと感じられた。
「どうだ?」
弟子の成長にうっとりしているアリアンロッドに、ルゥは緊張で顔を強張らせて尋ねた。
「いいよ、気持ちよく歌えてる感覚あるでしょう? 練習を続けて、自信ついたら母君に披露しよう。きっと喜んでくれるわ」
それを聞いたルゥは跳ねて喜ぶ。そんな彼女を見つめアリアンロッドは、まるで我が子へのような庇護欲の湧く自身を、否定できなかった。
「連れて帰りたい」、そんな願いが芽生えたことに気付いて幾日もたつ。ここが国なら今すぐにでも、大聖女の権限を以て王宮に連れ帰るのだが。
――――この子の言う通り、母君があと半年ほどで他界するのなら、それまで待って、連れて帰れないかしら。
アリアンロッドは自分が待つ姿勢でいるだけ有情ではないか、という意識にもなっていた。ことこれに関しては、支配者の傲慢さに疑問を持たないようになっているのかもしれない。
そこでルゥが突然、こう言いだすのだった。
「お前、俺に何かして欲しいことあるんだろ? みたい夢があるとか」
その言葉にアリアンロッドは肝を冷やす。こんな子どもに見抜かれているのかと。
「あなたはもしかして、何もかも分かっているの?」
「何もかもってなんだ?」
そう無垢な顔で尋ねられても、一から説明するには心の準備というものが。
「俺の夢見の技に興味あるなら、歌を教えてくれた礼に、話に乗ってやらないこともない」
「ほんと!?」
彼女は普段から遊び道具として、神の力を面白おかしく使っているらしい。
「夢見の技って……たとえば、ふたつの道があって、選ばなかった方の夢がみられる、とか……そんなことできるわけないわよね――……」
「できるぞ?」
「ええっ?」
寒気の走るアリアンロッドだった。
それはそうだろう。実在するのだ、話を聞いてもどこか半信半疑だった、この上なくふしぎな力が今、目の前に。
「あなたはこんな小さいのに、神の力を自在に操れるの?」
「……神? 神の力なのかこれ? 前からたまに、そんな夢をみたりしてたんだが、今は自分の好きにできる。でも役には立たねえ」
彼女は歯を見せて笑った。
「だって苦い山菜スープ飲んだ晩に、やめておいた魚介スープ飲んでこれうまい! って夢みてもしかたないだろ?」
「……そうね。でもそれ、私の選ばなかった道でもみせてくれるの?」
「他人のはやったことないけど、できそうな気がする」
聖女特有の勘のようだ。
「それで、あるのか? みたい夢が」
「え、ええ……」
アリアンロッドはたじろいだ。実現するとなると、物怖じしてしまう。もしそれをみることで何か、後悔するようなことがあったらどうしよう、と。
「しょせん、夢だ。嫌な夢なら忘れればいい。どうせ夢なんか良くても悪くても、すぐ忘れるだろ?」
「ねぇ、あなた本当に8つ?」
しかし彼女の割り切った考えに乗ることにした。
「で、どうすればいいの?」
「選ばなかった道の始まりを思い出しながら寝ろ。それで、手を繋いで寝たら俺がお前に力を送る」
「手繋ぎ? なんだか照れくさいわね」
「なんで照れるんだよ!」
ルゥも実は手を繋いで寝ることが嬉しくて、頬がゆるんでいる。ふたりは気持ちのいい原っぱに寝転び、目を閉じた。雲がゆっくり流れ、それに合わせて陽の光を浴び、感じるのは夏の陽気だ。アリアンロッドはすぐにも夢の世界へ飛び立った。
アリアンロッドが夢の世界に溶けるように潜り込んだら、そこでみえてきたのは、歯を食いしばり前へと突き進む自分だった。
これは運命を知ることになったあの旅から帰った彼女が、「彼」に「国を捨てて一緒に逃げよう」と告げるつもりだった場面だ。
アリアンロッドは、確かにこの時点が求めていたところだと、ルゥの力に感心した。
「これがお前の、“選ばなかった道”の始まりか?」
遅ればせながらルゥもやってきた。
「うん。そう、ここ。ずっと心残りだった。もしここで、“私を選んで”と言っていたら、どうなっていたんだろうって……」
その時、気が付いた。夢の中のアリアンロッドは、自分のしたある行動をしていない。
「あれっ?」
「現実と何か違ったか?」
「私はあそこで、一度立ち止まってうずくまったの。足が震えて、涙が出そうで……。でも“この私”は……」
彼女は目から涙が零れても、瞬きしないで歩み続けた。そしてディオニソスのいる執務室の戸を、“その手で”開けたのだった。




