④ 少年発明家
「鬼? そんなのがいるの?」
アリアンロッドは凶暴な魔物を想像して不安になる。隣でアンヴァルは「俺がいるのに」と言いたげな顔をしている。
「実は僕も母に、なるべく出歩くなと言われてて……。いつもは家で、学問や鍛錬をして過ごしています」
「あー…、女子に見えるから?」
「心外ですけどね。僕は末っ子なので、母は僕を心配しすぎるきらいがあって」
「仕方ないわね。本当に可愛いもんあなた」
うっとり見つめられたルーンは、更にげんなりといった様子。
ここで、アリアンロッドはある旅の、思い出の一幕を思い出した。
「そうそう、初めて会った時から思ってたんだけど、あなた、私が旅先でお世話になった女性に似てるの」
この、「あなた、私の知人に顔が似ている」は、時代を問わず返事に困る発言の最たるものだが、彼はそつなく答える。
「この世にはまったく同じ顔をした他人が3人いる、という話ですからね」
「へぇそうなの」
「でもやっぱり女性なのですか」
「その子もね、きれいな金髪で、とてもふんわりした雰囲気の、優しいおねえさんだった。ねぇ、ヴァルも分かるでしょ?」
唐突にパスされたアンヴァルも、じっと彼の顔を見て、小さく頷いた。
だが話を振ったアリアンロッドは直後、ふっとある顔を思い出して静止した。その「優しいおねえさん」の傍らには、目つきの鋭い少年が。そしてその彼は――。
「アリーさん?」
「……あ。優しい外見は長所よね。それだけで人に好まれるわ。もちろん内面から滲み出るのもあるけど」
「とりあえずあなた方がいらっしゃる間は、母から外出の許可を得られたので嬉しいです。僕も及ばずながら、あなたを鬼から守りますよ!」
隣でアンヴァルは「30年早い」と言いたそうだ。
「うん、頼りにしてる」
ルーンが軽く開放気分に浮かれているのでアリアンロッドも嬉しい。
彼女にはもうひとつ気付いたことがある。近くの農地の一角について、農民らに尋ねてみた。
「ねぇ、あの農作地一帯、あそこだけ、何も植えられてないけど……」
側にいた村の青年がその疑問に答えた。
「そこの持ち主がちょっと変わり者でね、今年は水害の年だから、どうせ何を作っても無駄だと言って」
「水害の年?」
この農村には御年70の長老が暮らしている。その御仁の言では、およそ12年の周期でこの地に大きな水害が起こる。それが今年だというのだ。
「確かに前回の洪水は12年ほど前だったかなぁ、俺も覚えがあるんだけどね。でもその前はどうだったかなぁ」
ほとんどの村人は過去2、3度しか経験していないし、それがいつだったかなど数えてもいない。長老の言葉を信じるかどうかは人による。
「来るかどうか分からないものを見越して作物を植えないなんて、そんなわけにもいかないだろう?」
「じゃあ本当に来てしまったら、作ったものが流されても諦めるしかないのね」
黙って聞いていたアンヴァルは、それこそ役場で記録して、研究するなりどうにかしろと思うが、片田舎の役人に王宮のそれほどの働きを求めても無駄だと知っている。
青年は自分たちの命が助かれば御の字だと言った。いざ洪水となったら高台の方に避難し、そこらの家屋で市民同士協力し合い、数日耐えて過ごすらしい。
そこでルーンも、子どもならではの好奇心をもって口を挟む。
「何らかの対策は考えないんですか?」
「対策?」
「何もしないで、ただ来るものを受け止めるだけですか?」
その無邪気な問いかけに、青年は少し困ったような表情で返す。
「自然の猛威には誰も逆らえないよ」
「そうかなぁ? なんでも試してみる価値はあると思いますよ?」
「試してみるって? 水害を止められるの?」
アリアンロッドは期待を滲ませた目で、考え込む彼の顔を覗き見る。アンヴァルは少し離れた場で作業をこなしながら聞き耳を立てている。
「止めることは無理だけど、水を誘導するのはどうかな。……ではまず、各民家のそばに穴を掘りましょう!」
「穴?」
ルーンは地面に建設図を書き始めた。この辺の家屋の位置図のようだ。
「この辺りに四角い穴を掘って、それを石や木材で補整します」
「ただの穴じゃないわね?」
「雨水を貯めるための池です」
しかもそれぞれの空き地にひとつずつ、いくつも、というのだ。
「雨を貯めれば日照りの時に活用できるでしょう?」
「うん。そうだけど、洪水の時はそれで?」
貯めたところで溢れてしまったら? とアリアンロッドは問いたい。
「この池どうしを溝で繋ぎます。すると降雨が集中した地区の池から溢れそうになる頃、溝を通って隣の池に流れる。隣のそれも溢れる前に更に隣へ」
どんどん地面の図を書き足していくルーンの周りに、話を耳に挟んだ村人たちが集まってきて円を作る。
「水を遠くに渡していくのね」
「洪水の規模にもよりますが、何もしないよりは被害が緩和するはずです。やってみませんか?」
村人たちは新しいことにチャレンジしてみるかと、前向きな反応を見せた。早速、然るべき役所の部署へ話しに行き、夜まで語り合いなんとか許可を得たようだ。
もちろんアリアンロッドも、貯水池作りに積極的に参加する意思を示す。
村民は通常の仕事があるので交代で、ルーンと町の建築家が協力して考えた建設図をもとに、朝から晩まで穴掘り、舗装で時を費やすことになった。
アリアンロッドは安全な町作りの一端を担う使命感で高揚していた。心に巣食う近い将来への不安を一時忘れるには、十分な役割だった。
作業中はルーンにたくさんの話を聞かせていた。特に、今までの旅の思い出を。
「遠い国からやってきた冒険者が建てた屋敷にはね、珍しいものがいっぱいあったの!」
ルーンがとりわけ興味を示したのはこの話題だった。アリアンロッドが鍵と錠前の話をすると、
「鍵なんて普通の家では使われていませんけど……、僕も使ってみたいなぁ!」
彼の琴線に触れたらしい。アリアンロッドは「そうよね、自室に秘密が増えていくお年頃よね」と同調して嬉しくなった。
「でも作り方は聞いてこなかったわ……。ねぇ、アンヴァルも分からないよね」
「分かんねえ」
非協力的な彼であった。
「じゃあ一晩かけて考えてみます!」
帰り道でのルーンは、考え事をしてますと言わんばかりの雰囲気であった。
翌朝、ルーンは普段より早く目覚めた。夜が明けた瞬間に外へ飛び出て木材を調達し、用意した道具でそれを加工し始めるのだった。
その後起きてきたアリアンロッドは、何やら没頭している彼に気付き、朗らかに声をかけた。
「もう制作方法を思いついたの!?」
その頃には変わった形の木の板が用意できていた。
「うまく作れるかどうかは分かりませんが、理屈では問題ないです」
どうやら彼はアリアンロッドの説明を手掛かりに、錠前の内部を自分仕様で考案したようだ。
「アリーさんの話では、穴は10個ということでしたが、さすがにそこまで手間をかけられないので。僕の錠前は特定の鍵が一対になっている単純なものです」
「それでも自作できるなんてすごいわ!」
「中身はこうなっていてですねぇ……」
ルーンは地面に図を書いて説明しだしたが、アリアンロッドにはちんぷんかんぷんだ。
「じゃ、じゃあ、私に手伝えることあれば何でもするから! 言って!」
「本当ですか~~?」
「うん」
「じゃあ、これ作るのに全集中したいので、僕の分も舗装作業をお願いしますね!」
「分かったわ。私、張り切っちゃう!」
それから彼は休む間もなく錠前作りに精を出していた。相当に細密な工作のようで、彼は終始無言だった。アリアンロッドにはその熱中ぶりがとても微笑ましかった。




