① このモヤモヤの正体は…?
ただいま自室の窓際に寄せた椅子の背にしなだれて、アリアンロッドは昼下がりをぼんやり、鬱々とした気分で過ごしている。
先日この目に飛び込んできた、アンヴァルがローズにアクセサリーを渡す光景が、頭から離れない。なぜそれが、このように悶々と心に巣食うのか分からない。
(う――ん……よく考えてみて?)
あのまったく女っ気のなかったアンヴァルが、女性に装飾品を……である。
しかしそもそも、彼が19にもなって独り身でいるのはおかしいのだ。もしかしたら真実の彼は、ディオニソスに人知れず懸想していて、それはつまり、自分にとっては仲間であり強敵であるのかもしれないと、勘繰ったこともあった。
さすがに何も口を出さずにいたが────。
「あれ? これってもしかして、なんだアナタやっぱり女が良いんじゃないの! って言いたいのかな、私」
彼女の発想は斜め上を突き進む。
(そうだ、それならそう言ってくればいいんだ! そうしたら、このどうしようもないモヤモヤは消え去るはず──)
「よし、会いに行こう!」
彼女は「避けられているから全然会えていない」という事実を、遠く忘却の彼方に追いやっていた。
◇
天下の大聖女が、王族の側近らが住まう専用の区域に、供もなしにやってきた。そこにいる者々は、ざわわわっとさざめき、戸惑いを隠せない。
男の使用人らは対応に迷い、その場で膝をつき目を伏せている。侍女らの態度も、即位以前と比べ、各段と緊張が増している。
その官舎の管理を任されている役人の中で、いちばんの古株が応対に出てきた。大聖女はこんな安易に下の者と対面してはならないのだが──。
話を聞くと、どうもアンヴァルはこの居住区を出たらしい。
「えっ、どういうこと?」
役人の説明では、彼は先だっての外交の出立前、戸建ての建設を配下に命じていた。そして最近、そこへ移ったのだと。
「ずっとここに住んでいたのに。どうして?」
「私共がその理由を知ることはございません」
「ヴァルの新居はどこ!?」
大聖女に尋ねられたら答えるよりほかない。
王宮を出て馬車で数分のところだと聞き、厩舎を目指して走りながら、アリアンロッドはまた悶々としていた。
(その立場でどうして王宮を出たりなんか……まさか、結婚したから? そこは奥方に与えたお屋敷ってこと? 少しでも静かなところに、ふたりでいたくて?)
これを見かけた王宮の者らは「大聖女だ」「大聖女が走ってる」とザワザワする。
(私の護衛はどうするの! もう大聖女だから必要ないってこと? 死ぬまで自室に籠ってればいいだろって!?)
アリアンロッドはじわじわ苛立って、脇目も振らずひた走った。
「ええっと……」
だから行き先を失念してしまうのだ。
「どっちだっけ、厩舎って。……きゃああ!??」
いったん立ち止まった彼女は、差し向けられたディオニソスの配下にあっさり捕獲されたのだった。
以降、部屋から抜け出そうにも見張りは厳しく、不発を繰り返した。しかし日を経ると、まずまず見張りの緊張感も薄れてくる。
月の見えないある夜、侍女服をまとい、機を見計らって暗闇の中を抜け出した。幾日過ぎても重苦しい気分が晴れないのだから仕方ない。それどころか、自分が放っておかれていることを許せなくなってきた。
厩舎に辿り着いたら、妙な声真似で一般の侍女になりきった。実家の母親が倒れたという、お涙ちょうだいの小ネタも用意して、馬車を出してもらったら。
話に聞いた、アンヴァルの新居付近に降り立った。この暗がりに若い娘だと気付かれないように、頭巾をしっかり被り、蝋燭の小さな灯を頼りに、町はずれの小道を注意深く進む。
森の脇の、静かな土地だと聞いた。緑の風の香りがただよい、そろそろだろうかという頃、ひっそり建つレンガの塀が目に入ってきた。
「ここが、ヴァルの新居……??」
それは王の側近の邸宅とは思えない景観の、小さく簡素な屋敷であった。アリアンロッドは門の前でベルを鳴らそうとした。が、いったん留める。
(ここにローズがいたら? 彼女に家を守る者として迎えられたら、平気な顔で挨拶すればいいの? こんな夜分に私がきたら、何か誤解されてしまうかも……。もしふたりでいたら? もし、もしも夫婦の、営みのさなかだったら……)
「私はどうすれば……」
胸の音が早鐘のように鳴り響く。ちょうどその時、後ろから声が上がった。
「誰だ!?」
アリアンロッドはその声とランプの灯りに驚き、とっさに逃げようとした。しかしつまずいて転び、あっけなく取り押さえられる。
声の主は彼女に乗っかり、両頬を掴んで顔を粗暴に寄せた。
「……アリア?」
「っ…………」
彼女は緊張の度が過ぎて何も言葉にならない。声の主、アンヴァルは押さえていた手をさっと離し、彼女から降りた。
「なんで、ここに」
「…………」
サッと顔を背けるアリアンロッド。
アンヴァルは転んだ彼女をいつものごとく引き上げようとするのだが、彼女は拒むような態度だ。仕方ない彼はとりあえず、家の玄関の灯篭に、ロウソクの灯を移す。
「どうしたんだよ、こんな夜更けに」
「……お散歩してるだけだから」
「いや散歩って」
こんな、他人の家の前というピンポイントを散歩する人間がどこにいようか。
「今日は月がきれいだし……」
「月、出てない」
彼としては、見つけてしまったからには彼女を早く自室に帰さなくてはいけない。しかし彼女はいうことを聞かないし、なんだか様子がおかしい。
「こんなところにいたら風邪を引く。さあ早く馬車に……」
「どうして隠すの?」
「ん?」
「本当はお祝いに来たの。新居に」
「うん?」
アンヴァルには彼女の意図がよく分からない。新居は新居だが、この夜分に手ぶらで祝いとは。
「奥様と一緒なんでしょ? ここに」
「??」
「なんで王宮内の自室を出払っちゃったの? 王の近衛はいち早く駆け付けなきゃいけないのに」
「早口で何を言ってるんだ?」
「結婚式は? 挙げたなんて聞いてないけど? そういうテキトーなことしちゃう人だったんだ、あなたって」
アンヴァルの方をちっとも見ないで、いつもより饒舌気味な彼女だ。
「だから何を言ってるんだ」
「…………」
アリアンロッド本人もよく分からなくなってきたので、ぷぅっと頬を膨らませ、いったん黙った。
「何を誤解してるのか知らないが、ここには俺しか住んでない。近くに新しく屯所ができたから、ここらには兵士がいくらか引っ越してきていて、俺もひとつは自邸を持っていた方がいいかと……」
「へ?」
アリアンロッドの大きな瞳がぐっと大きく広がった。
「なんで?」
「なんでって何が」
「奥様は?」
「そんなのいない」
「え?」
アリアンロッドはその短い返事を頭の中で嚙み砕こうとして、目玉が上にいっている。
「……そう。いないの……」
その時アンヴァルの目に飛び込んできたのは、なんだかものすごく、放心したような笑顔の彼女だった。
そんな顔を覗きこんで、彼は問いただす。
「……お前、どうしてここに来たんだ?」
「え?」
頭に血が上ってきたか、彼女の両腕をがしっと掴んで彼は声を荒らげる。
「どうしてこんな夜に! ここに!? なんでそんな訳の分かんねえこと言ってるんだよ!」
「いっ、痛い。ちょっと、力入れないで……」
アリアンロッドは彼の様子がいつもと違い、またも少し怖く感じる。
「あっ……」
そこで例の風を感じた。さすがにこれにも慣れたが、この空気はすこぶる冷たくて震えてしまう。温もりが欲しくなる。
一方アンヴァルは、また彼女を怖がらせてしまったと気付いて怯んだ。そんな彼の胸に、アリアンロッドは自然と飛び込んでいったのだった。




