エピローグ(2)
私と目が合った志紋くんは、あ、とでも言うように口を丸く開けて私を数秒見た。
けれど、迷ったように目をそらして踊り続ける。
どうやら曲の最後まで中断する気はないようだ。
私は音楽が終わるのを待つことにして、彼の動きを眺める。
早口で歌えば舌を噛みそうな歌詞とメロディのボカロだ。
振り付けは志紋くんのオリジナルなのか他の人のコピーなのかわからないけれど、ところどころで変な動きが入っている。
さっきヒロが「カニ歩きみたい」と言ったような感じの。笑いを取ろうとしている振りなのだろうか。
大の大人の志紋くんが一人で踊っていると、ちょっと……いやかなり、可笑しい。
だけどなんか……一緒に踊ってみたくてうずうずしてくる、この感覚。
私はうっすらと笑みを浮かべながら、何度か繰り返されているサビの部分の振りを真似してみた。
腕をぐるぐると振り回して、ジャンプして、カニ歩き。
「……ふっ」
自分でやってみても可笑しくて、私は思わず声を漏らした。
同じくらいのタイミングで曲も終わり、志紋くんが荒い息とともに膝に手をついた。
「志紋くん、その振り付け、変だよ。一人で踊ってたら危ない人だと思われそう」
「ま、マジで? ここで踊るのやばかったかなあ。今度、圭と一緒に撮ろうって話になってる曲で、練習してたんだけど」
圭くん。懐かしい。彼もまだ踊ってみたを続けているんだ。やめてしまった私と違って。
「アッキは、どうしたの? 一人?」
「ううん。みんなでYouTubeの撮影してて。ていっても、散歩しながら空の動画を撮ってただけなんだけどね。途中で志紋くん見つけたから私だけ別れてきた。ヒロが、そのカニ歩きみたいな振り付け、ダサいってさ」
「志大そう言ってた!? でも俺もちょっと思ってたわ。これ、圭が考えたんだけど、あいつたまにとんでもない振り付けしてくるからさあ」
苦笑する志紋くんに私も頬を緩めた。
もっとぎくしゃくするかと思っていたけれど、案外普通に話せている。
「あの、志紋くん。前の撮影のとき、途中で帰っちゃってごめん」
「……ああ、全然。てか、アッキが踊るのやめた本当の理由とかも知らなかったし、俺もごめん」
公園の地面に座り込んだ志紋くんが、少し困ったように私を見上げて笑った。
下から見つめられているのが変な気分で、私も彼の向かいにしゃがみ込んだ。
「アッキは俺にそういう事情、話せなかったんでしょ。相談してもらえないくらい信頼されてなかったんだなって思って……あの頃の俺、たぶん自分のことばっか考えてたなって反省してる」
「それは……ごめんなさい。私も、話そうとしなかったから。話せば……よかったかな。もっと悩んでることとかしんどいこととか。そうしたら何か違って、今も踊ってたかも」
今さら考えても仕方のないこと。だけど、ときどき後悔する。
自分は彼のことを兄のようだと慕いながら、どこか心の底では信用していなかった。
どうせわかってもらえないとも思っていたし、わからないと言って笑われるのも怖かった。
もっと頼ればよかったのかもしれない。最初から、この人に話しても意味はないなんて思わずに。
「でもさ、今はアッキ、ちゃんと何でも話せる信頼できる人、いるもんな」
「え?」
志紋くんを見ると、肩に手が伸ばされて優しく叩かれた。
「一緒にYouTubeやってる三人になら、悩みも何でも話せるだろ。良かったな」
「あ……うん」
言われてみて、ああそうかと納得する。
彼らにはいつのまにか、思ったことは何でも言えるくらいの信頼を寄せるようになっていた。
「少し遅くなったけどCOC所属もおめでとう」
「ありがとう。まだジュニア部だから正式な所属じゃないけどね」
「それでも、一歩進んだじゃん。頑張って。応援してるから」
「……うん」
お互いの間に少しの沈黙が流れる。
私は勢いよく立ち上がった。
「志紋くん」
「うん?」
「私、志紋くんと踊るの好きだったよ」
彼の目が見開かれる。
私は明るい声で言葉を続けた。
「だから、いつかまた……踊ってくれる? いつか、カメラが平気になったら、また一緒に撮ってくれる?」
「ああ……うん」
ぼんやりと一度うなずいてから、彼は再びぶんぶんと首を縦に振った。
「もちろん。アッキが踊りたくなったときに、いつでも。待ってるよ」
「ありがとう」
突然、肩の荷が下りたような気がした。
急がなくても、踊りたくなったときに待っていてもらえる。
今すぐ頑張らなくても、いい。
「編集もまたやってよ」
「それは、頼んでくれたら編集だけなら今でもできるよ? おまかせください」
「本当? じゃ、今度圭と撮ったら頼もうかな」
「どうぞどうぞ」
よっこらせと志紋くんも立ち上がる。
「じゃあ、いい動画撮れるようにもう少し練習しよ。アッキは? もう帰る?」
「うーん。そうだね、帰ろうかな」
「気をつけて帰れよ」
「うん。……志紋くん」
「ん?」
続きを促すように彼は首を傾げる。
こんなことを言うなんて、十五歳の……アッキをやめようとしていた頃には想像もしていなかったけれど。
「私を、動画に誘ってくれて、ありがとう」
志紋くんがいなければ、私はユーチューバ―なんて存在にも、動画の編集にも見向きもしなかっただろう。
ハルに声をかけられることも、今のハルちゃんねるのかたちも、きっとなかっただろう。
勝手に踊り手をやめて、勝手にまたお礼を言うなんて本当に私は自己中だけど、でも。
「ありがとう」
もう一度言葉にすると、彼はくしゃりと表情を崩して泣きそうな顔で笑って、うなずいた。
手を振って彼に背を向ける。公園の出口に向かって足を踏み出すと、再びさっきと同じ音楽が聞こえ始めた。
志紋くんは踊り続ける。それが彼。私は家に帰る。
帰ってそれから、自分たちの……ハルちゃんねるの動画の編集をしよう。それが今の、私だ。
おわり。




