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画面の向こうで僕らは笑う【旧版】  作者: 中村ゆい
第五章 アッキだった頃~小学生・中学生編~
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5-8 アッキの最後

 私、アッキは学業に専念するため、この動画の投稿をもって踊り手を引退します。



 私がパソコンの画面を見守る中、志紋くんの大きな手がカタカタと文章を打ち込んだ。


「これでいいのか?」


 名残惜しそうにそう確認してくる彼に、ゆっくりとうなずく。


「いい。これで投稿して」

「……わかった」


 二人で踊って私が編集した「ミッドナイト・クラウン」。

 これが私の最後の動画になる。

 これを投稿してしまえば、私はもうアッキじゃない。踊り手シモンと関わらなくていい。ただの澤亜紀羅だ。

 もうカメラの前に立たなくていい。顔も知らない人たちから画面越しに何か言われなくてもいいんだ。

 動画の予約投稿が確定されるのを見て、ほっと息をついた。肩にかかる重力が突然軽くなったような気がする。改めて志紋くんに向き直り、私は小さく頭を下げた。


「志紋くん、今までありがとう」

「なあに言ってんの。高校受験が終わったら、また戻って来るでしょ? そしたら一緒に踊ろうな」


 明るく笑う彼に曖昧な笑みしか返すことしかできない自分に、罪悪感がつのる。

 ごめんね。受験勉強に専念したいなんて嘘。私はもう、この世界に疲れてしまった。

 だから高校に合格しても高校生になっても、この小さな液晶画面の向こうで笑顔を見せることは二度とないだろう。

 このとき私は、心の底からそう思っていた。





 私が引退宣言をした「ミッドナイト・クラウン」は皮肉なことに私の動画の中でも一位、二位を争うレベルの再生回数と高評価を得た。

 期待通りダークな曲調と私の表情がマッチしていたらしく、「かっこいい」だとか「アッキにはこういう路線のが合ってるのかもな」「合ってるっつってももう引退すんだろ。おつかれさん」といったコメントが寄せられていた。

 けれど、楽しくもないのに曲を選んでまで踊る理由が私にはもう、ない。

 それどころかそもそも、踊れないのだ。踊ってみたの撮影に限らず、私はカメラを向けられると体調が悪くなるようになってしまった。

 そして、デブと書き込まれることもあった私のぽっちゃり手前の体は、踊るのをやめた頃から私の体型は痩せていき、またほっそりとした小学生の頃の体つきに戻った。

 おそらく少し太りやすい年頃だったというだけだろう。

 今さら細くなったって、もうネットで姿をさらすことはないのに。


 卒業アルバム用の写真は撮れたけれど、地獄だったのは高校受験用の証明写真だ。

 吐き気を耐えながら写真撮影機で撮った小さな写真を手に取り、ため息をつく。

 冬の寒い空気が私の息で白く染まった。

 正直、顔色は最悪だししかめっ面だし、撮り直したい。だけど、もう一回吐き気と戦うのはごめんだ。

 どうせ願書に貼るだけだ。合格、不合格は筆記試験で決まるわけだし、もうこれでいいや。

 駅前の撮影機からそっと離れて家へ帰る。

 とぼとぼと歩くうちに、冷たい空気が私を包みこみ、肌や体の芯を凍らせていく。

 家に着く頃には私の体は冷えきっていた。


「ただいまあ」


 玄関で声を上げると、お母さんが廊下に顔を出した。


「おかえり。志大くん来てるよ」

「え? なんで?」


 靴を脱ぎながら、何か約束していたっけと頭をひねる。お母さんが困ったように笑った。


「たぶん、家で喧嘩か何かしたんじゃないかしらね。晩ご飯、志大くんも一緒に食べましょう。今、彼リビングにいるから」

「……うん」


 たぶん、志紋くんのことだろうな。

 何の料理かまではわからないけれど美味しそうな匂いがただようリビングの扉を開けた。

 この匂いは、私の好きなチャーハンかな。





 志紋くん関係で奈津田家が今ギスギスしていることは知っていたけれど、夕飯後に私の部屋でヒロが発した言葉は予想外だった。


「兄貴、家、出てった」

「……え!?」

「え!? って……本人からは聞いてないんだ」

「そりゃあ、しばらく会ってないし、連絡も取ってないし」


 ベッドに寝転がってごろごろ転がりながら小さな声で答えると、勉強机の前の椅子に座っていたヒロは、ふうんとどうでもよさそうな返事をして私を見た。

 志紋くんは九月に「ミッドナイト・クラウン」を投稿して少ししてから、芸能事務所にスカウトされていた。らしい。ヒロからの情報だ。

 私は受験勉強で忙しいことを理由に彼とはほとんど顔を合わせていない。できることなら踊ってみたのことを忘れてしまいたかったのだ。

 おそらく事務所は踊り手の活動を見てスカウトしたのだろう。ヒロによると志紋くんは結構乗り気だったそうだが、そこにストップをかけたのが志紋くんとヒロのお母さん。私は奈津田のおばさんと呼んでいる。

 志紋くんは東京の有名な大学に通っていることもあって、おばさん的には良い会社に就職してほしいと期待しているらしく、芸能活動する暇があったら勉強するなりもっと就職に有利な活動をしろと言っているそうだ。


 まあ、例えば志紋くんが芸能人になったとして、もしも売れたらそのまま活動を続けるだろう。そうなるとおばさんが望んでいる良い会社や安定した職業とは無縁の道に進むことになってしまうわけだし、将来のそういった心配も含めて反対なんだろう。

 いつもおばさんを困らせているのはヒロなのに、今回はいい子で優秀だった志紋くんがおばさんに反抗し始めたから、家の中は今までにない戦争状態らしい。

 ヒロも苛々しているおばさんや志紋くんに八つ当たりされたりして巻き込まれると面倒だからと、今日みたいにうちに避難してくる時間が増えている。


「でもさあ志大くん」

「……なんだい亜紀羅くん」


 冗談めかした口調を合わせてくれるヒロはまだまだ元気そうだけど、こっちはもう眠い。いつまでもこの部屋に居座られても困る。


「そろそろ帰ったらどうだね」

「……」


 露骨に嫌そうな顔をするから、やっぱり言わなきゃよかったかなあと少し申し訳ない気持ちになる。ずっといられるのも迷惑だけど、家に帰りたくないヒロの気持ちもわからなくはない。ヒロのおばさん、けっこう怒ってるときは怖いもんね。


「……友だちん家、泊まろっかなー」


 よっこらせ、とおっさんみたいなかけ声とともにヒロが立ち上がった。


「今から誰かのとこ泊まるの?」

「うーん。まあ、いいよって言ってくれるやつがいたら。亜紀羅は良くないんだろ」

「そりゃあ、この部屋に泊まるのは断固お断りだけど、お母さんに言ったら空いてる部屋貸してくれるかもしんないけど……」


 どうかなあ、さすがにダメって言われるかなあ。

 悩み始めたところでヒロが部屋のドアを開ける音がして、顔を上げる。

 目が合うと、彼は軽く手を挙げた。


「いい、いい。どっかに泊まるか家帰るか、適当にやるよ。お邪魔しました」

「あ、うん。野宿はやめなよ」

「それは寒いし、さすがにしないから。じゃ、おやすみ」

「んー、おやすみー」


 寝転がったまま小さく手を振る。ヒロもこの家の出入りには慣れているから、見送らなくても適当にお母さんに挨拶して出ていくだろう。

 一人になると、さっきから感じていた眠気が急に強くなった。目を閉じるとそのまま寝てしまいそうだ。

 志紋くん、どうするんだろう。本当に芸能人になっちゃうのかな。それともおばさんの言うことを聞いて、あきらめるのかな。

 どっちでも、今の私にはもうそんなに関係ないか……。

 そんなことをぼんやりと考えながら、静かになった部屋で一人、意識が途切れて眠りに落ちた。




 ヒロの話によると結局、志紋くんは家出したまま帰ってくることなく東京に引っ越して一人暮らしを始めた。

 おばさんとは喧嘩したままの状態で事務所に所属した志紋くんは、私が高校に合格した頃には「人気の踊り手」という肩書きでタレントデビューし、ちょこちょこ深夜バラエティとかのテレビで見かけるようになった。

 ヒロは相変わらずグレたままでおばさんを困らせていたけど、なんだかんだで受験勉強もそれなりにやっていて、志紋くんも通っていた優秀な東高に進学。

 志紋くんがゴールデンタイムの番組だファッションモデルだと活躍の場を広げていくのを遠目に眺めながら、なんとなく高校一年目は過ぎていった。

 私は勉強したり高校で仲良くなった紗綾と遊んだり、ヒロはヒロで東高の不良グループとつるむようになったり。

 私もヒロもお互いに変わったことは色々とあったけれど、ときたまどっちかの家に上がり込む程度の友人関係を保っていた。

 お互いの中で志紋くんの話題が出ることはあまりなかった。

 志紋くんから離れて、私も踊ってみたのことをだんだんと忘れていった。

それとともに、写真に映ることも大丈夫になってきた。といっても自分の写真をSNSとかに投稿する気にはならなかったし、あくまでも友だち同士で撮るとかそういうものが平気になっただけだ。苦手なままではあるからあえて撮りはしない。


 高校に合格しても高校生になっても、きっともう画面には映らない。

 最後の動画を投稿したときに思っていたことは現実になった。

 たぶん、高校を卒業した後も、私が動画投稿の世界に戻ることはない。

 一年生ときに考えていたそういったことは、二年生になって急激に変化した。

 ハルと出会って、芙雪くんやヒロと関わったおかげで。

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