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画面の向こうで僕らは笑う【旧版】  作者: 中村ゆい
第五章 アッキだった頃~小学生・中学生編~
42/57

5-5 笑わない解決策

 志紋くんと花林糖さんに会ってから数日後、無理して笑って一人で踊った動画は、なんだか逆に悲壮感が漂っていた。自分で見てもひどいものだったんだから、アップして叩かれることも予想ができる。

 怖くなった私は、結局その動画をお蔵入りにした。

 花林糖さんはああ言ったけれど、私の動画へのコメントは私が楽しそうに踊らないことへのネガティブな反応だけではない。

 なんとなく自分の部屋でパソコンを立ち上げて前に撮った志紋くんとの動画を再生してみる。

 その中でも一つのコメントに目がいく。


シモンにべったりのブスJC立場わきまえろ


 志紋くんとしか一緒に踊ったことがない私は、いつの頃からかこういう書き込みをよくされるようになった。

 見かけるたびに、胸の奥がズキズキと痛む。単純に下手くそやデブ、ブスと書かれるのとどっちが嫌かというと……正直、よくわからない。だけど、胸くそが悪くなる文字列には違いなかった。

 私がこうした書き込みをされていることは、志紋くんも知っているだろう。けれど、彼はこのことについては特に何も言わない。

 ただ楽しそうに、踊り続けるだけだ。優しい言葉をかけてくれる人たちだけのほうを向いて。

 それが彼のやり方。ときどきついて行けないと感じる、彼の。

 だから志紋くんには相談できない。こんなことを書かれて傷付いたなんて弱音を吐けない。

 そしてこっちの気も知らずに、次の曲を踊ろうと誘ってくるのだ。

 結局そういうのを聞いてくれるのは、いつも近くにいてくれる部外者、ヒロだ。


「そんじゃあさ、笑わなくていい曲、踊ればいいじゃん」


 マンション前の駐輪場で自分の自転車にまたがったままスマホをさわるヒロは、となりに立つ私を一瞥して、さらりとそう言った。

 私もヒロも、今から塾の夏期講習だ。早く高校受験、終わればいいのに。

 せめて夏休みさえ終われば学校が始まって、塾に缶詰状態からは解放されるのだけど、新学期までまだ二週間ほどはある。


「笑わなくていい曲って何」

「なんかさ、暗いヤツ。これは?」


 そう言って見せられたスマホ画面には、見たことのないタイトルの動画が再生されていた。

 画面の中のMVは、薄暗い背景に真っ黒な服装のキャラクター、ミクのイラストがぐるぐると回転している。

 ヒロがイヤホンを手渡してくれたから耳に入れると、曲は、確かにヒロの言う通り暗かった。ダークな雰囲気のかっこいい曲調だ。

 曲名は、「ミッドナイト・クラウン」。


「初めて聴いた。作曲、マイナーな人なのかな」

「歌詞もよく聴いたら病んでるぞ。……でもなんか、良くない?」

「うん……かっこいい、かも」

「それに笑わなくてもいいし」

「だね。……次に踊るの、これがいいって志紋くんに言ってみようかな」


 私がつぶやくと、賛同するようにヒロが小さくうなずいてくれた。


「じゃあ、だるいけど塾行くかー。……あ、友だちから連絡来てる」


 私が返したイヤホンとスマホを見て、ヒロは唇をへの字に曲げる。


「……遊びの誘い?」

「ん。今からどっか行くらしい」

「じゃあ、塾さぼる? 先生に欠席って言っとこうか」


 前々からヒロが遊びを優先して塾に行かないということは何度かあった。

 今回もそんな感じかな。せっかくだから一緒に行きたかったけど、まあ成績が上位クラスのヒロとは教室も違うし、正直彼はさぼっても問題ないくらい勉強できてるし、止める理由もないし。

 一人で行くか、と自分の自転車を駐輪場から引っ張り出そうとしていると、ヒロが「いや、」と言葉を発するのが聞こえた。


「今日は、塾のほう行こっかな」

「……そっか」


 彼は素早く、最近不良たちのあいだで流行っているらしい変な方向にハンドルをねじ曲げて改造した自転車を私のとなりに引っ張り出してきた。


「途中でコンビニ寄って昼ご飯買っていい?」

「いいけど、あんまり時間ないよ」

「じゃあ飛ばして行こー」

「あ、待って!」


 走り出すヒロの自転車を慌てて追いかける。

 私と同じ塾のほうを選んでくれたのが、ちょっとだけ嬉しくて踏み込むペダルに力を込めた。




 笑わなくていい。今回は、普通の顔をして踊っていればいい。

 そう言い聞かせながらうつむいて曲のイントロが始まるのを待つ。

 耳に音が流れこんできて体に緊張感が走るのを感じながら、志紋くんと事前に決めた分のカウントを取り、顔を上げて体を動かし始める。

 最初のタイミングは志紋くんとばっちり揃っていたと思う。

 予定通りに踊り始めることができた満足感と、これからミスをするかもという緊張感を同時に感じる。

 私が踊りたいと言った「ミッドナイト・クラウン」という曲に、志紋くんはすぐにかっこいい振り付けを考えてくれた。

 わざと怖い顔をするのはおかしいけれど、少なくとも無理に笑うことなく普通の顔で踊っていられるのは楽だし、見る人たちも違和感はないと思う。となりの志紋くんをたまにちらちらと見ると、曲のイメージに合わせて基本的には笑わない。けれど、ときおりふっと楽しそうな笑顔も見せる。それはそれで、全体的に暗い動画が華やぐような感じがして、踊りの雰囲気を損なうことなくしっくり来ていた。

 長くて短い数分間が終わり、最後のポーズを決めて動きを止めると、目の前のカメラがふと目に入った。

 踊っているあいだは夢中になって忘れていたけれど、撮影していたんだ。

 今の動画は編集されて、公開される。いろんな人が、見る。

 また私は笑わなかった。何か、また言われるだろうか。

 また志紋くんと踊った。それも何か、言われるだろうか。

 でも、今回は曲選びを変えたから、いつもよりはマシかもしれない。

 だけど、それでも……コメントに何を書かれるのか、見るのも今ここで想像するのも怖い。

 踊っているあいだは忘れられたのに……。


「アッキ?」


 同じポーズのまま固まっていた私を不審に思ってか、志紋くんが戸惑ったように名前を呼ぶ。

 それで我に返った私はポーズを解いた。


「あ……えと、上手くいったね。お疲れさま」

「?……うん、おつかれー」


 いつものように私とハイタッチをして、志紋くんはカメラを止めた。

 何かがおかしかった。私の体は強張ったままで、手足の指先は夏なのに冷え切っていた。




 ちょっとした事件が起きたのは、その撮影の日から数日後だった。

 そのとき私は自分の部屋で英語の問題とにらめっこしていた。

 大抵は家にいるお母さんは、久々に会う友人とごはんに行くといって家を出ていた。私は留守番係ということだ。

 長文問題に出てきたわからない英単語を、なんだっけこれ……と顔をしかめて眺めていると、インターホンの音が聞こえた。

 問題から顔を上げ、部屋を出て玄関に向かう。セールスとかだったら嫌だな。

 警戒しながらドアを開けると、立っていたのはヒロだった。


「どした?」


 ヒロは何かに焦っているのか、早口でこう言った。


「なんか、服、貸してくれない?」


 ……はい? なんて?

「ミッドナイト・クラウン」は架空の曲なので存在しません。

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