4-5 訪問者はベランダから
『せっかくだから、四人の仲良しな雰囲気を写真でパッと印象に残せたらいいなと思うんです』
「……はぁ」
スマホの向こうで力説する東さんに私は暗い口調で返事をした。
ハルは「自分から東さんに言っておく」と、このあいだは私を気遣ってくれたけれど。
私が原因でサイトに載せる四人の写真を撮りたくない、というのなら私が東さんに言うのが筋に決まっている。
今日は自分の部屋に一人。そばにハルも誰もいないから助けてはもらえない。代わりに誰かが写真を断ってくれるわけじゃない。
自分で、自分がどう思っているかを伝えなければ。
「東さん、あの……でもやっぱり、写真はちょっと……」
『……やっぱり、無理ですか?』
「……本当にすみません」
一瞬の間の後、東さんがふっと息をはくのを感じた。
『わかりました。サイトに載せる紹介は、違う形のものを考えましょう。さっちゃんさんも含めて、四人全員が納得のいくものにするのが一番ですもんね』
明るくそう言われて、少し肩の力が抜ける。
私はベッドの上で、三角座りしていた足を緩く崩した。
「せっかく提案してもらったのに、ごめんなさい」
『謝らないでくださいよ~。むしろ、こっちから押し付けちゃってごめんなさいね。写真……苦手なんですか?』
「あ、えっと……」
今、言ってしまおうか。
少し迷ったけれど、先延ばしにしても仕方がない。
緊張のせいか喉の辺りにつっかえる感じがするけれど、無理やり声を出す。
「アッキ名義で踊って活動していたときに、ちょっと嫌なことがいろいろあって……カメラの前に立つのが怖くなってしまったんです。それで踊るのもやめたんですけど今もまだ、怖いままで。だからハルちゃんねるでも自分は映らずにカメラと編集の担当なんです」
『……そうだったんですね』
心配や同情でもなく、カメラから逃げていることを責めるわけでもなく。
ただ穏やかなだけど東さんの声が耳に届く。
「だから、踊った動画を上げることも怖くてできない、です」
『そうですか。そういった事情を知らなくて申し訳ありません。できないことやしたくないことを無理して、動画にしたりする必要はありませんよ』
「……はい。でも、もし私がカメラが平気だったら、踊ってみたの動画を上げればハルちゃんねるはもっと人気になると思いますか?」
もしそれができていたなら、私も大好きな自分たちのチャンネルに、三人に、貢献できていただろうか。
東さんが落ち着いた口調で「そうですね」と答えた。
「アッキさんは、その……ご本人の前で言うのも失礼かとは思いますが、アンチも多かったですよね。でも、それと同じくらい応援しているファンも多かったと思います。実際、私も好きでした。まだ小学生の女の子が抜群にダンスが上手くて、これから先どう成長していくんだろうってわくわくさせてくれました。中学生になられてからは元気がなさそうな動画も多かったですけれど……ずっとこの子が踊ることを好きでいてくれたらいいなと思っていました。特に最後に投稿された動画はすごい人気でしたよね。あれっきり雲隠れしてしまったアッキが、また帰ってきた、しかもハルちゃんねるのさっちゃんだったとなれば、ちょっとした話題にはなると思います。その後も踊り手の活動を再開すれば、古参のファンが戻って来るのと今までのハルちゃんねるにはなかったダンス系の動画に興味を持つ視聴者が増えるのとで、人気は上がるかもしれません」
「……そう、ですか」
『あっ、長々と語ってしまってすみません。元々動画を見るのが好きなもので……。でも、だからと言ってさっちゃんさんが無理して踊り手として復帰しなくてもいいと思います。特に、怖くなってしまうほどつらい思いをされているのなら。今のままでもハルちゃんねるは十分に魅力的です。男性陣三人が出演して動画を盛り上げて、さっちゃんさんは撮影や編集で動画を面白くして。このスタイルで、もっともっとハルちゃんねるは魅力を伸ばせますよ。私もお手伝いするので一緒に頑張りましょう』
「……はい。ありがとうございます」
東さんも、ハルたちに負けず劣らず優しい人だ。
無理しなくていい。嫌なら頑張らなくていい。
だけど、それでいいんだろうか。
私は本当に、今のままでみんなの役に立っているのだろうか。
わからなくて不安で、歯切れの悪い返事しか、できない。
※※※
だんだんと秋は濃くなり、日も短くなっていく。
学校が終わりのんびりとマンションに帰って来る頃には、空が赤い夕焼け色から夜の青に変わろうとしていた。
エレベーターを降りて自分の家の玄関までの短い距離をすたすたと歩く。いつも通りの家のドアを開けようとノブに手を掛けたところで、女性の怒鳴り声がして手を止めた。
お母さん。ではなさそう。よく聞くと、隣りの部屋……ヒロの家が声の出所みたいだ。たぶん、ヒロのお母さん。
何を言っているのかまではわからないけれど、何かにめちゃくちゃ怒っている。それに対して言い返すような声は聞こえないけれど、ヒロが相手だろうか。何かやらかしたのかな。
家の中に入ると、その声は全然聞こえなくなった。外には聞こえるくせに壁の防音はしっかりしているマンションなんだなあ、なんていうどうでもいいことを考えながら、靴を脱ぐ。
「ただいまー」
「あ、おかえり」
いつも通りにお母さんがリビングにて私を出迎えてくれる。ま、明日はハルと三人で撮影する約束だし、そのときに何を怒られていたのかヒロに聞けばいいや。
※※※
「怒られてたの、聞こえてたんだ?」
翌日、私の部屋で昨日の話をすると、ヒロは嫌そうな顔をして腕を組んだ。
「外にはね。家の中に入ったら全然聞こえなかったよ」
「あー、玄関のすぐ近くで怒鳴られてたからかな。返ってきてすぐに言い合いになっんだよ」
テーブルに頬杖をついて話を聞いていたハルが、あくびをしながらヒロを見た。
「なんで怒られたの?」
ヒロがさらに苦々しい表情で舌打ちする。なかなか見ない荒れ具合に、私とハルは怖々と顔を見合わせた。
「え、いや、言いたくないなら全然いいんだけど……」
「……そういうんじゃないんだけど。YouTubeのこと、反対されて」
「え、」
「反対って、COCに所属すること?」
「ん」
ヒロが短くうなずく。
「反対されるかなーって思って契約書隠してたら見つかった」
私たち四人はそれぞれ、芙雪くんのゲームの件が一段落して所属が決まったときには提出してねと言われて契約書をもらっている。そこに書かれている内容を確認してサインしたら、晴れてジュニア部所属のクリエイターというわけだ。でも隠してたって、最終的には親のサインも必要になるからいつかはばれる。
「父さんに頼もうと思ってたんだよ。兄貴が事務所と契約したときはもう成人してたから親のサインいらなかったけど、反対されても強引に契約して家も出てった兄貴に母さん超怒ってたから。まだわかってくれそうなのは父さんだし」
「あー……」
そのときのことはなんとなく覚えている。私が最後の踊ってみた投稿をして一ヶ月くらい後のことだった。私とヒロは中学三年で、志紋くんは大学二年。
芸能人になるならないでしばらく揉めていたらしく、家にいるとギスギスした空気が耐えられないとかでヒロが私の部屋に避難してくることもあった。彼が一番夜遊びしていたのもその頃かもしれない。それはそれで、受験生が遊び歩くんじゃない、というヒロママの怒り増長の原因にもなっていたんだろうけど。
結局、それが原因で志紋くんは家を出ていった。その後一時的にでも帰ってきている姿を見たことがないから、たぶんまだ和解していないままだと思う。私もそれっきり会いも電話もしていない。
「でも志紋くんは、あのときもう大学生だったし大学も東京だったから、家出てって東京で一人暮らしできたし、その方が通学にもタレントの仕事にも結果的には便利だったじゃん。ヒロは強引に契約したとしてもまだ高校生だし、志紋くんみたいに家出できないから毎日お母さん怒ってて地獄じゃん。ちゃんと説得したほうがいいよ」
私の説教に、ヒロはむすっと唇を尖らせてハルの肩を掴んだ。
「じゃあ、家出したらハルん家に泊めてもらう。ハル、お願いします」
「は、はあ~? そりゃあ、一日や二日ならうちのばあちゃんは何も言わないと思うけど、そういうの良くないって。ちゃんと家の人と和解してジュニア部に所属しようよ」
ハルにも説教されて、さらにハルの眉間にしわが寄る。
「なんだよ、二人とも他人事だからって良い子ぶって……ま、いいよなんとかするよ……」
「うん、なんとかして」
「なんとか!」
私とハルが手を合わせるのを見て、ヒロは大きなため息をひとつついた。
※※※
ヒロは母親をなんとかして説得し、みんなで契約する。なんとかしなければいけないのは、彼だけじゃない。私もだ。
数日後、もう寝るだけという夜に、私は勉強机でのーとPCを開けて動画を見ていた。
今写っているのは、有名なボカロPが一ヶ月ほど前に出した新作の曲。アップテンポで元気の良いメロディーと前向きな恋愛の歌詞、少女漫画風の可愛らしいイラストがめまぐるしく動くPV。
とんとんとん、と指でリズムを取って机の上を叩く。この曲は、けっこう好きだ。
どの動画が終わると、今度はその曲の踊ってみた動画に移動する。
私が踊っていたときから振り付けが上手いと評判だった踊り手が、自分でオリジナルの振り付けをして踊っている。
テンポは速いけど、このステップなら他の曲でやったことがあるから練習すればできそうだ。途中で入るターンとかも、多分できる。
この曲なら、楽しく踊れそう。
自分が踊る姿を想像しながらその動画に見入っていると、イヤホンの向こうから何か聞こえた気がして、私は動画を一時停止にした。
なんだろう。イヤホンを耳から外して画面から目を離す。
「ええっ!?」
ベランダにつながる窓の方を見て、私は目を剥いた。
慌てて鍵を開けて窓を開ける。
「何やってんの!?」
「……家出。 和解すんの無理だった」
澤家の、私の家のベランダに、ぱんっぱんに膨らんだリュックサックとともにヒロがぼんやりと立っていたのだ。




