96 どきどきが重なっているのです!
(……子供の頃の私を、この国に差し出したと言われる国……)
シャーロットはきゅっとくちびるを結ぶ。
オズヴァルトが映像を一瞥すると、停止していたものが再び動き出した。映像の中のシャーロットは、震える声でニクラスに告げる。
『……どうしても、オズヴァルト閣下の妻になれと、仰るのであれば……』
かつてのシャーロットの喉元で、契約魔術の魔法陣が光を放った。
『私は、最後まで抵抗します。あのお方が私を迎えに来ても、拒み続けます』
その強いまなざしに、ニクラスが僅かに目を眇める。
『……お前はただの一度として、オズヴァルトとの面識は無かったはずだな』
『あなたの弟君たちが、必要以上に遠ざけようとなさってきましたもの』
『ふ。だというのに、それほどオズヴァルトが嫌いか?』
『――――……』
そのときだった。
(あ……)
映像の中の自身を見て、シャーロットは思わず息を呑む。
『――嫌いです』
そう答えたシャーロットの双眸から、透き通った涙が零れたのだ。
『たとえ、遠くからしかお見掛けしたことがなくとも。……お噂でしか人柄を知ることが出来なくとも、私のような悪女がお声を掛けて良いお相手ではないからこそ。私は、あのお方が、嫌いなのです』
口にした言葉が嘘であることは、誰が聞いたって分かることだ。
オズヴァルトが映像を見据えながら、隣に立ったシャーロットの肩を抱き寄せてくれる。映像の中のシャーロットは、跪いた姿勢のまま俯いた。
『……だい、きらい……』
『――――……』
その肩が震えている様子を、ニクラスは目を眇めて見下ろしている。
『シャーロット。「顔を上げろ」』
『……っ』
その無情な命令によって、契約魔術の陣がまた輝いた。
ぐっと上を向き、無理矢理にニクラスを見上げさせられたシャーロットの双眸からは、いくつも涙が溢れている。
『そう睨むな。……お前のことだ、こうして俺に懇願するしか方法がないというふりをしながら、契約魔術から逃れる手段は考えているのだろう?』
(……?)
ニクラスの言葉を、シャーロットは少々意外に感じた。
(記憶を失うことで、契約魔術の効力を失くし、オズヴァルトさまとの婚姻から逃げ出す作戦……ニクラス殿下は、以前の私が計画していたことをお見通しなのでしょうか?)
『とはいえ無駄だ。お前はどうあっても、逃がれられない』
『……』
『しかし、そんなお前を哀れにも思うのでな』
ニクラスは肘掛けに頬杖をつきながら、くっと喉を鳴らした。
『魔術をひとつ、教えてやろう。シャーロット』
『……?』
『立ち上がり、俺の傍に来い』
映像の中のシャーロットが、少しふらつきながらもそれに従った。ニクラスは目の前のシャーロットに手を伸ばすと、契約魔術の陣が浮かび上がったシャーロットの首を掴む。
その瞬間、シャーロットの肩に触れているオズヴァルトの指にも、ほんの僅かに力がこもった。
『目を瞑れ』
シャーロットがゆっくりと目を閉じる。
『これは、お前自身がお前に掛けるべき魔術だ。一度で覚えろ、いいな――……』
それと同時に、映像はゆっくりと消えていった。最後に響いたのは、こんな声だ。
『素晴らしい働きを、期待する』
真っ白な空間に取り残されたのは、シャーロットとオズヴァルトだけだった。
「……終わったか」
(お、オズヴァルトさま……!)
ぎゅっと抱き締められたシャーロットは、オズヴァルトの腕の中で息を止めた。
「君を杜撰に扱ってきたすべての人間を、到底許せそうもない。……気付いてやれなくて、すまなかった」
「ぷはっ!? いっ、いえ!! オズヴァルトさまはむしろ私にとっての救いなのですから、どうかそのように仰らないでください!!」
どうにかそんな風に答えるものの、心臓がものすごい音を立てている。先ほどまでの映像を思い出したシャーロットは、勇気を出して手を伸ばした。
(……えい……っ)
「!」
オズヴァルトのことを、ぎゅうっと強く抱き締め返す。
「シャーロット?」
「わ……私がオズヴァルトさまに、こんなにもドキドキしてしまうのは! 記憶を失う以前から、長年ずっと片思いをしてきたことも、理由のひとつで……」
シャーロットにとってはどうしても、恐れ多いことだと感じてしまう。けれど同時に、こうすることでオズヴァルトの体温や、存在が近くにあることを実感するのだ。
左胸の奥が、気恥ずかしさと同時に温かくもなる。
「オズヴァルトさまのやさしいお心に触れる度、『私』はとても嬉しいのです。……あなたに救っていただいているのだと、心から……んっ!」
シャーロットが驚いて目を閉じたのは、オズヴァルトに口付けられたからだ。
いつもの触れるだけのものではない。オズヴァルトはシャーロットのくちびるを淡く開かせると、もっと深くて熱の籠もったキスをくれる。
「ん、んん……っ」
とろけるようなその熱さに、思わずくぐもった声を漏らした。
シャーロットの思考が溶けそうになるころ、ようやく解放してくれたオズヴァルトが、くちびるを親指で拭ってくれながら笑う。
「……思った通りだな」
「ふ、ふえ……?」
「封印の陣が触れ合うようなことをしても、夢の中なら解けないらしい」
「!!」
その微笑みに、自分の顔が真っ赤になったのが分かった。
(駄目です!! この事実を、状況を、認識しては!! 私が壊れてしまいます、一度無かったことにしませんと、ごめんなさい……!!)
シャーロットは慌てて両手で隠しながらも、こう続ける。
「と……ととと、ともかくオズヴァルトさま!! クライドさまが私の故国から遣わされたとすれば、王子さまたちとは無関係ということになりそうな訳ですが!! ニクラス殿下は……」
「シャーロット。それに関して、君の記憶を補完しておく」
「?」
指の間からちらりとオズヴァルトを見ると、彼は、先ほどまで映像が浮かんでいた空間を見遣って言った。
「後半の映像に映っていたのは――恐らく、第二王子ニクラス殿下ではない」
「……え!?」
シャーロットが目を丸くした、そのときだった。
「……っ!?」
全身に、ぞくっと痺れるような寒気が走る。




