93 旦那さまは天才です!
シャーロットはこくりと喉を鳴らした。
目の前の映像では、艶やかで長い銀糸の髪を持つ第二王子ニクラスが、『シャーロット』にこう告げる。
『はっ! 贅沢を言うな。お前を恐れない男を探すだけでも、随分と骨が折れる仕事なのだぞ?』
嘲笑が混じったその笑みは、侮辱の色が混じっていた。
目の前にいる女の相手をしているように見せ掛けて、実際は対等になど思っていない、軽薄な感情が透けている。
『あら。これは何も、私だけの我が儘ではないはずでしょう?』
映像の中のシャーロットはくすりと笑い、目を眇めた。
『私がオズヴァルトと結婚できなければ、あなたたちにとっても都合が良いはずです』
「……薄々、気が付いてしまいました。オズヴァルトさま」
オズヴァルトが眉根を寄せている。シャーロットも、色々なことが腑に落ちる感覚の中で、恐る恐る口にした。
「王位継承権を求めるお兄さまたちが、オズヴァルトさまと私の婚姻を、妨害しようとなさった場合。恐らく、以前の私は……」
『ねえ、ニクラス殿下。どうか、用意して下さいませんか?』
映像の中の『シャーロット』は、立ち上がって王子ニクラスの顔を覗き込んだ。
『――私と契約結婚を結ぶ、そんな都合の良い男を』
(やっぱり……)
映像の中の王子は、口元を歪めるように笑った。
「私にとってのオズヴァルトさまは、いまも昔もかけがえのないお方です」
「……シャーロット」
「悪虐聖女である私がオズヴァルトさまと結婚するなど、許されないこと。――『私』はそう考えたからこそ、国王陛下によって掛けられた従属の魔術から逃れるために、記憶を封じたはず」
奴隷としての契約魔術は、術者の命令から背けなくなる魔術だ。
シャーロットの魂には、その魔術が施されている。そのために、この国の王族からの命令に、絶対服従することを定められていた。
「オズヴァルトさまとの婚姻を命じられても、私には逃れる術がありません。以前の私は、魂に施された契約魔術から逃れるために、魂と密接に絡み合う記憶を手放すことで命令から逃れようとした……けれど、もうひとつ対策を講じるつもりだったのではないでしょうか?」
「……」
「オズヴァルトさま以外の男性と、事前に婚姻の祝福を結ぶこと。お兄さまたちのそんな計画に目を付けて、利用したのだとしたら……」
クライドの存在は、その考えとは矛盾しない。
「クライドさまは、ニクラス殿下が用意なさった『結婚相手』で……記憶を失う以前の私は、望んで、クライドさまとの婚姻を……」
「シャーロット」
「!」
オズヴァルトの声が、はっきりとシャーロットの言葉を遮る。
「君の考察には、大切な前提条件が抜けている」
「前提条件、ですか?」
「覚えているだろう?」
オズヴァルトは身を屈め、シャーロットを覗き込むようにして目を眇めた。
「俺が一体何のために、君と共にこの夢の中にいるのかを」
「!」
その瞬間、鏡が割れるような音が響くと共に、目の前の映像に亀裂が走った。
広がっていた光景が粉々に砕け、大きな破片が辺りに散る。その破片に映し出されたのは、銀の長い髪を耳に掛けた王子ニクラスと、シャーロットの姿だ。
「映像が……」
破片の中の光景が、ゆっくりと滲むように変わってゆく。
「先ほどと、少しだけ違うものに変化しました!!」
「――やはり、偽造された記憶の映像を見せられていたな」
シャーロットが以前見せられていたのも、記憶を失う前の自分によって偽造された光景だったのだ。
ここにオズヴァルトが居てくれなければ、シャーロットは今回も、以前の『シャーロット』が意図的に見せようとした光景しか得ることは出来なかっただろう。
「ふわあああ、すごいです、すごすぎます! さすがはオズヴァルトさま……!! 偽物を見抜く天才でしょうか!? いいえ、悪い夢を砕く天才なのかもしれません!!」
「相変わらず大袈裟だな。……悪い夢を砕く天才は、君だと思うが」
「???」
心当たりがなくて首を傾げるものの、じっくり聞いてみる時間は無さそうだ。
硝子の破片に写り込んだ映像は、偽造されたものよりも却って小さく不鮮明で、目を凝らさなければ見逃してしまいそうなものでもあった。
映像の中のシャーロットが、ゆっくりと言葉を発する。
『――――殿下』
この時点で、これまでの映像とは大きな違いがあった。
ひとつはまず、シャーロットが床に跪いている点だ。
『どうか、私の願いを聞き届けてはいただけませんか?』
王子ニクラスは、変わらずに椅子へと座している。けれどもその居住まいは、これまでと異なるものだった。
その長い銀髪の一房が、頬に沿うような形で優雅に流れている。
彼の目は鋭く、深い赤色の瞳をしており、その双眸からは先ほどよりも一層強い気位が伝わってきた。
纏った白色の軍服は、その襟元に煌びやかな金の装飾が施されている。差し色のように施された赤い刺繍は瞳と同じ色合いをしており、彼が間違いなくこの国の王族であることを象徴していた。
『……シャーロットよ』
(先ほどまでと、ものすごく雰囲気が違います……!)
ニクラスの振る舞いまでも、シャーロットが偽造していたのだろうか。
重厚な響きを帯びた声が、鼓膜へ刻み付けるかのように紡がれる。
『俺が、貴様の望みを叶えてやるとでも?』
『この度の国王陛下のお言葉については、あなたさまといえども、今後のための対策を講じる必要がおありのはず』
跪いた姿勢の『シャーロット』は、閉じていた双眸を緩やかに開いた。
『――何しろこれは、オズヴァルト閣下に関する出来事なのですから』
(閣下!?)
シャーロットは思わず興奮し、その場でぴょんと跳ねそうになった。けれどもオズヴァルトに押さえられ、文字通り踏み留まる。




