91 偽造された記憶
***
『……これは……』
光を放つ日記帳を開いたその瞬間、オズヴァルトたちの前で発動したのは、神力を帯びた魔術だった。
(記憶を失う前の、シャーロットのものか……!)
瞬時に察したオズヴァルトは、シャーロットを後ろに庇いながら、光り輝く魔法陣の前に手を翳す。
(映像魔術……! だがそれだけじゃない。記憶を司る構築式が刻まれている、高度な複合術……!)
『オズヴァルトさま!』
案じてくれるシャーロットの声を受け、いっそう深く集中した。
凄まじい速度で組み上がってゆく魔術をひとつずつ捉え、それを凍結させるための魔法陣を、同じだけの速さで構築する。
時間にすれば数秒だろうが、それ以上に長く感じられた。ようやくシャーロットの魔術を辿り終わった頃、オズヴァルトの首筋には汗が伝っている。
『は……』
浅く息を吐き出して、空中に固定した魔法陣を見据えた。
『オズヴァルトさま……い、いまのは、まさか』
『ああ。以前の君が残した魔術を、俺の魔術で保持した』
シャーロットの日記帳には、記憶がなくなる以前に仕掛けられた魔術が施されているらしい。
『即興だったが、どうにか上手く行ったな』
『オズ……ッ! お、オズ、オズヴァルトさまああああああああっ!! 格好良いです……!! い、息が、息が出来なくなるかと思いました……っ!!』
『頼むから慎重に吸って吐いてくれ、絶対に死ぬんじゃない。君が深呼吸をしているあいだに、この魔術を分析させてもらうぞ』
オズヴァルトの魔術で絡め取ったその魔術は、素直な構築式で作り上げられている。記憶を失う前であろうと、やはりシャーロットらしい魔法陣だった。
『すーっ、オズヴァルトさま、はーっ、どうですか……!?』
『やはり、記憶に作用する映像の魔術で間違いないようだ。君の脳裏にだけ現れる、そんな作りになっているようだが……』
『では、オズヴァルトさまによる保持を解除していただいて、私がその魔術に身を任せるべきですね! そうして見た光景を、オズヴァルトさまにお伝えしま、すはーっ』
『――いや』
『す?』
吸い掛けていた息を止め、シャーロットが首を傾げる。『いいから吸え』と促しつつ、オズヴァルトは彼女に告げた。
『記憶に関する記述の中に、映像を作り上げる魔術式が多く含まれている。単純に記憶を呼び起こすものであれば、ここまでする必要はないはずだ』
『……本当です』
シャーロットはオズヴァルトの隣に立ち、宙に浮かぶ魔法陣をじっと見つめた。
『以前の私ったら。そのことが見破られないよう、絶妙に構築式の線を重ねていますね? とはいえこうしている目的は、記憶の再現に見せ掛けて、捏造した映像を見せること……』
(……自身に関する記憶を失っていても、普段の振る舞いがあの雰囲気であっても、やはりシャーロットは聡明だな)
妻のそんな一面に、何故かオズヴァルトが誇らしくなってしまう。オズヴァルトは手を伸ばし、シャーロットの頭をよしよしと撫でた。
『お、オズヴァルトさま!?』
『記憶魔術と映像魔術を、この魔法陣の段階で分解することは難しそうだ。かといって捏造されたものであったり、君の心を傷付ける映像である可能性が高い以上、君だけにこの映像を見せたくはない。……俺も付き合う』
『オズヴァルトさまを、巻き込む訳には……うっ』
オズヴァルトがじっとシャーロットを見つめると、言いたいことは察してくれたようだ。
『う、ううう……』
『シャーロット』
『そ、そのう……』
シャーロットはぎゅっと目を瞑ったあと、意を決したように口にした。
『わ……私と、一緒に、見てください……! だっ、だだだ、だん、だん……旦那さま!!』
『っ、はは』
その躊躇いが可笑しくて、オズヴァルトはもう一度シャーロットの頭を撫でる。
『言い淀みすぎだ。……だが、そう言ってくれて嬉しいよ』
『〜〜〜〜っ!!』
『とはいえこの魔術は、君の頭の中だけに映像が展開されるような仕組みになっている。方法を考える必要があるが……』
『でっ、ででで、ではオズヴァルトさま……!』
シャーロットはがちがちに固まりながらも、懸命に言葉を絞り出しながら挙手をした。
『夢を利用するのはどうでしょう……! 私の頭の中に流れた映像を、一緒にオズヴァルトさまもご覧いただけるのではないかと!!』
『夢?』
『夢の中は、現実より更に魔術の影響を受けやすい場所です。治癒魔術には、心に深い傷を負った患者を癒すため、夢の中に働き掛けるものがありまして……』
それについてはオズヴァルトも知っている。
オズヴァルト自身はその治療を断ったが、戦場で死の危険に晒され続けた兵に向けて、治癒魔術師たちがそんな取り組みを行っていた。
『ハイデマリー先生に教わって、ちょっとずつ練習中だったのです! ……オズヴァルトさまが時々、あまり眠れていない日がおありの、ようだったので……』
『……シャーロット』
『私がオズヴァルトさまの夢の中に、走ってお邪魔しに行きます! ですのでどうか私が着くまで、待っていていただけませんか?』
『…………』
『きゃあ!!』
シャーロットの言葉に、オズヴァルトは思わず彼女を抱き締めていた。
本当は、毎日何度でもこうしたい衝動に駆られている。しかし、オズヴァルトの接触に動揺するシャーロットのことを思うと、堪えるべきだとも分かっているのだ。
だというのに、いまは抑えが効かなかった。
『待っている。……一緒に眠ろう』
『や、ややややや、やっぱり無理かもしれませんんん……!!』
こうしてオズヴァルトとシャーロットは、『夢の中での待ち合わせ』を決行したのである。




