88 そうされることは幸福です!
「これ以上の幸せが怖いなんて、オズヴァルトさまに対する不誠実だと分かっているのです。ですが」
これまで伝えられなかったことを、シャーロットは辿々しく口にする。
「恋しいオズヴァルトさまからの愛情に、自らの手で触れることが、どうしても恐れ多く感じます。これは『妻』として間違った感情だと、頭では理解しているにも拘わらず、それでも」
いまの自分が幸せであることを、シャーロットは知っている。
そして、それが過分なものであると理解しているからこそ、心の内側から『受け取ってはいけない』という声が聞こえてきた。
「……大好きなあなたの妻という立場を、愚かにも手放しに喜んでしまうことが、今はとても怖いのです……」
「――――……」
かつてのシャーロットの考えに、いまのシャーロットも賛成だ。
「君が自分を責める必要は、なにひとつない」
「……っ」
シャーロットは自分で耳を塞ぎ、やさしい言葉を遮る。
けれども大好きな人の声は、どんなに聞き取りにくくとも、はっきりと感じることが出来てしまった。
「……君が、俺の妻だという実感を持つことが、まだ難しいのであれば」
「……?」
オズヴァルトの手が、シャーロットの頭をゆっくりと撫でる。金色の髪を梳くように触れてくれながら、彼は言った。
「君の夫が俺であるということを、先に自覚してもらうというのはどうだ?」
「え……」
シャーロットは思わず両耳から手を外し、オズヴァルトを見上げる。
「……それは、別々のお話なのでしょうか?」
「そうだ。君が自分に許すことの出来ないすべてを、俺に対して許してくれればいい」
オズヴァルトは、彼が膝の上に抱えているシャーロットの上半身を僅かに起こし、ますます顔を近付けて言った。
「俺は、君を幸せにしてやりたい」
「!」
その言葉に、シャーロットは目を丸くする。
「君の幸せが、君ではなく俺の望みだと考えれば、少しは容易くなるだろう?」
「……私の幸せが、オズヴァルトさまの……?」
シャーロットが動揺したのを見て、オズヴァルトが少しだけ意地悪に笑う。
「俺は君に頼られれば嬉しいし、俺に対しては存分に迷惑を掛けてほしいと考えている。危険な目には遭わせないという前提の上で、どんな些細なことに対しても、君のすべてを心配したい」
「そ、そんな訳には参りません……!!」
「こうして君に何かを買って贈る機会は、俺にとっては楽しいものだ。……あー……多少は、浮かれもする」
「〜〜〜〜っ!?」
終わりの方は何処となく気恥ずかしそうに呟かれて、その可愛らしさに絶句した。オズヴァルトはこほんと咳払いをしたあと、人差し指の背でシャーロットの頬を撫でる。
「俺が本気で言っていると、まだ分かっていない顔をしているな?」
「いえ、ですが、だって……! それらは私ばかりが幸せで、嬉しくなってしまうことで」
「逆の立場で考えてくれ。たとえば俺はこれから先、君だけには頼ることもあるだろう」
「!」
なかなか想像出来ないことだ。けれどもそんな場面を考えるだけで、シャーロットの左胸はきゅうっと疼いた。
「同じ寝台で寝ようと我が儘も言う。君が怪我をしたかもしれないと考えれば、こうやって傍から離せずに、情けなく無様な姿だって見せるはずだ」
「……オズヴァルトさまは、いつでも格好良いです……」
「シャーロット」
ふっと笑ったオズヴァルトが、シャーロットの頭を撫でながら尋ねてきた。
「俺は君に、迷惑を掛けてもいいか?」
「……っ」
こんなにもやさしく、愛おしいものを見るまなざしを、受け取るなんて恐れ多いのだ。
そのことをはっきり理解していても、シャーロットは抗えなかった。
オズヴァルトの立てた策略に、背けるはずもない。
「……たくさん、掛けて下さい」
「たくさん?」
「はい。……嬉しい、です……」
「その喜びを君だけのものにしておくのは、少々ずるいな」
ずるいのはきっと、シャーロットではなくオズヴァルトの方だ。
それなのに、反論する余裕すら無かった。
「俺の妻だという実感を持つのは、焦らずにゆっくりで構わないから」
身を屈めたオズヴァルトが、シャーロットの耳元でそっと囁く。
「……俺のことを早く、君の『夫』にしてくれ」
「……っ!!」
先ほどのオズヴァルトが、シャーロットに言った通りだ。
オズヴァルトの妻になれる幸福は、シャーロットにとって過分なものだった。それを受け取る覚悟が出来ず、現実味のない夢の中にいるような出来事だ。
そんな願いが叶って良いはずもなく、願うことすら出来ないと、記憶を失う以前から自制してきたのかもしれない。
けれど、シャーロットの夫にしてほしいというオズヴァルトの望みは、こんなにも叶えたいと思ってしまう。
(オズヴァルトさまのためになら、なんだって……)
シャーロットの大好きな人は、そんなシャーロットの考えすら、全部分かっていてくれるのだ。




