9 旦那さまの攻撃力が高すぎます!
オズヴァルトは、開口一番にこう言った。
「君の体にある陣を見せろ」
「……えっ」
シャーロットはぴしりと固まった。
「どうした? 封印の陣だ」
(えっ、ええと、『封印の陣』!!)
急かされて、必死に記憶を探ってみる。
(お……覚えています!! 魔術師の罪人を拘束する際、魔術が使えないように、その体に陣を刻んで封じるもの。つまり私の神力も、その陣によって封じられているのですね?)
だが、肝心なのはここからだ。
(――私の体の、どの場所に陣が刻まれているのか、まったく記憶にないのですが……!!)
シャーロットは、ぎこちない笑みを浮かべたまま沈黙した。
術者の構築した魔法陣が、体のどこかに存在しているはずだ。発動時は光を帯びるものだが、そうでないときは薄い紋様になっている。たしか、そのはずなのだ。
(うう、陣の仕組みについては覚えていますのに……。せめて、先ほどお風呂に入ったときのことだけでも思い出せませんか私……!!)
しかし、正直なところまったく心当たりが無かった。そうこうしているうちに、オズヴァルトが訝しげな視線を向けてくる。
「……見せられないのか?」
「いっ、いえ、そういうわけでは……!」
「まさか、封印に何か細工をしたんじゃないだろうな」
警戒と猜疑の込められた双眸は、ぞくぞくするほどに美しい。こんな場面でさえなければ、全力で堪能したかったほどだ。
(な……なんとかしませんと……あっ!! これは、妙案の気配です!)
自分のひらめきに感謝しつつ、シャーロットは声を上げた。
「――オズヴァルトさまの陣を、先に見せていただけませんか!!」
「…………」
すると、形の良い眉がひくりと動く。
「何故、そんなものを見せなければならない?」
「それは!! 私が、見たいからです!!」
「いや、だから俺の陣なんか見てどうするんだ」
「私の心に刻み込みます」
この気持ちもまったく嘘ではないので、堂々と言い切った。本気で理解できないのか、オズヴァルトが若干後ろに身を引く。
だが、決して邪な気持ちだけで言っているのではない。これは、れっきとした情報収集なのだ。
(封印の陣は、対になるもの。封印者であるオズヴァルトさまと、封印対象である私で、それぞれ同じ場所に陣の刻印があるはずです。……つまりはお揃い……ふふ、ふふふふ……)
ふたりで同じ場所に陣があるなんて、なんだか夫婦感が強くて良い。
実際は夫婦というよりも、罪人と処刑者のあいだで行うことなのだが、記憶喪失なのでそこは忘れておく。
「そんなことはいいから、さっさとお前の陣を……」
「お……お願いしますオズヴァルトさま!! オズヴァルトさまの陣を見せていただかないと私、自分の内なる衝動を止めらなくなってしまいます!! 封印者側の陣はどんな構築式で、どのくらい美しいものですか!? 気になりすぎて、このままだと朝まで踊り明かしてしまうかもしれません!!」
「それはやめろ!!」
(は……っ!! いけません。途中からつい、オズヴァルトさまの陣が見たいという私利私欲が)
危ない危ない、と前のめりだった姿勢を正す。
「……俺の陣を見せたら、お前も大人しく見せるんだな?」
「!!」
思わぬ答えに、シャーロットはぱっと顔を輝かせた。
「お……お見せします!! それはもうオズヴァルトさまがお望みなら、全身どこでも出しますので!!」
「いらん、頼むから陣以外は仕舞っていろ。……はあ、くそ……」
くたびれたような溜め息のあと、オズヴァルトが一度シャーロットの方を見る。
そのあとで、その形の良いくちびるを開いたのだ。
(――――――!!)
シャーロットは、思わず息を呑んでしまう。
見せられたのは、水色で描かれた繊細な造りの陣だ。
記憶を失っても、魔術そのものに関する知識は残っているお陰か、その陣を見るだけで素晴らしさが分かる。完璧な計算と無駄のない構築式、造った人間の優秀さを物語るその魔法陣が、そこに刻まれていた。
そことはつまり、オズヴァルトの開かれたくちびる、その舌のことだ。
(……オズヴァルトさまの、赤い舌に、封印の陣が……)
見せてもらったのは数秒ほどで、オズヴァルトはすぐにその口を閉じてしまった。
シャーロットは俯き、自身の膝に視線を落として、そっと沈黙する。
「これで、気が済んだか」
「…………」
「言っただろう、陣など見てどうすると。つまらないものを見て納得したのなら、さっさとお前も口を開いて……」
「……ひっく、ぐす……」
「!?」
涙なんて見せたくなかったのに、堪えきれずに零れてしまった。
シャーロットが泣いていることに気が付いてか、オズヴァルトがぎょっと体を強張らせる。そして、焦燥感を押し殺したような声で尋ねてきた。
「な……なぜ泣いている!?」
「うっ、うう……ごめんなさ……申し訳ございません。こんな、お見苦しいところを……」
「まさか、やはり今朝のあれで風邪でも引いたのか?」
「ちが……!! あの、その、これは……!!」
ぽろぽろと涙を零しながら、シャーロットは必死に説明した。
「…………舌出しは、色っぽすぎて反則ですうううう!!」
「――――――…………」
その瞬間、オズヴァルトがすんとした半眼を向けてくる。
「本当に、本当に駄目です、いけません……!! 格好良くてクールなオズヴァルトさまが、なんだかちょっと悪い子みたいに『べっ』て赤い舌をお出しになるのは絶対に駄目です……!! 可愛さと色気と意外性で大変なことになっていてどうなさるんですかあ!! ぐすっ、ひっく、うわあーーーーん!!」
「……俺はいま、なんの話を聞かされているんだ……?」
オズヴァルトは、呆れたような溜め息のあとに立ち上がった。
「――とりあえず、君が自主的に陣を見せる気がないのは分かった」
「あ……! ごっ、ごめんなさ……ずびっ」
本気で泣いていたのだが、誤解を招いてしまったかもしれない。誤魔化しのつもりはなかったので、心から申し訳なく思う。
シャーロットがどうにか泣き止もうとしたのと、オズヴァルトが目の前に立ったのは、ほとんど同時のことだった。
「……オズヴァルトさま……?」
「……」
オズヴァルトの手が、こちらに伸びる。
そして、彼の手がシャーロットの顎を掴み、親指でくちびるを開かされた。
「ひぇむは!?」
まるで、子犬の甘噛み癖を躾けるかのように、オズヴァルトの指がシャーロットの口へと押し込まれる。
それから彼は、シャーロットの濡れた舌を親指で押し、その表面をじっと眺めた。
そのあとで、目を細めて言うのだ。
「……綺麗に定着しているな」
「…………」
すぐさま手が離れ、解放される。
自由の身になった瞬間に、シャーロットは長椅子からずるずると滑り落ちた。
「も……もう無理です。気絶します。限界です……」
「おい、風呂上がりのくせに床に転がって身悶えるんじゃない!」




