84 絶対これは失態です!
治癒の魔術が使える人間は、この世界でほんの一握りだ。
それも女性にしか生まれて来ず、大きな傷を治せる魔術師はさらに希少な存在で、聖女と呼ばれる。
聖女が使うのは神力と呼ばれるが、それは魔力と等しいものだ。魔術を使えば神力は消耗し、回復に時間を要する。
(シャーロットは先ほど、俺がシャーロットに恋をしていることは嘘だと見破った。……少なくとも、彼女の敵となり得る存在だということを、疑われているはずだが)
クライドに治癒魔術を使うシャーロットの表情は、真剣そのものだった。
形の良い眉を歪め、必死に傷口を見詰めるまなざしは、クライドを心配するような表情にさえ見える。
(使い惜しみをして然るべき治癒魔術を、不審な存在である俺に使うだと? ……この表情。俺はこれを、何処かで……)
「安心して下さいね。……もう少し、ですから……」
シャーロットの首筋を、美しい汗の雫が一粒伝う。
クライドは彼女の真摯な双眸を見下ろしながら、かつてのことを思い出していた。やがてシャーロットはクライドから手を離すと、額の汗を拭ってほうっと息を吐く。
「塞がりました! もう、痛いところはありませんか?」
「……ええ」
クライドの脳裏に響いたのは、幼い頃に治癒をしてくれた、赤い髪の少女の声だ。
『もう、痛いところはありませんか?』
(……俺が、もう一度彼女に会いに行ったとき)
あのときの礼を告げたくて、両手にたくさんの花を抱えて行った。
けれども教会に居た大人は、クライドに向けて言い放ったのだ。
『あの子は、治癒魔法を使えるからと戦争に連れて行かれて、そこで死んだよ』
心臓が凍り付くような心地がした。
あの日の出来事を思い出しながら、クライドはゆっくりとシャーロットに告げる。
「シャーロットの治癒魔術のお陰で、もう、大丈夫です」
「!」
そう答えると、シャーロットは満面の笑みを浮かべて、心の底から安堵したように言った。
「よかったあ……!」
「――――……」
幼い頃に出会った少女は、赤色の髪を持っていた。
(だが、髪色はいくらでも変えられる。そんなことに、俺は何故、気付かなかった? なによりも、この瞳の色……)
シャーロットの淡い水色の瞳は、かつての少女とまったく同じなのだ。
「……ロッティ」
「ロッティ……?」
不思議そうに首を傾げたシャーロットからは、先ほどまでの悪女めいた雰囲気が消えている。
これまでの高慢な女は演技であり、今の彼女こそが本当のシャーロットなのであれば、それすらもあの少女に瓜二つだ。
(……まさか、君なのか?)
クライドは、ごくりと喉を鳴らした。
(生きているはずがないと思っていた。……俺は、なんという愚かな判断を……)
「あ……!」
シャーロットは、ようやくそこで我に返ったようだ。
これまでの、クライドを心配してくれていた愛らしい表情が、途端に『悪虐聖女』のものに変わる。
「こ――これで、あなたが私を守った分のご褒美代わりにはなったでしょう。だけど、今後は余計な真似はしないことね」
「……」
「きゃ……っ!?」
クライドは彼女の前に跪くと、その手を取って双眸を見上げた。
「聖女シャーロットのご慈悲に、心から喜びを感じております。いずれ必ず、このお礼を」
「……必要ないわ」
シャーロットがクライドの手を払う。先ほどまでの怪我を案じてくれているのか、拒絶の力は弱かった。
「帰るわね。あなたの所為で、ドレスが汚れてしまったもの」
シャーロットはそう言って、クライドに背を向けて駆け出してしまう。
すぐさま追って、その背中を捕らえたい心情に駆られた。クライドは必死にそれを堪えながらも、ぐっと頭を押さえて俯く。
(間違いない。……間違いない、間違いない、間違いない……!)
心臓が、強く早鐘を打っていた。
(俺はなんて馬鹿だったんだ!! ロッティのことを、考えないように生きてきた。だが、悪虐聖女シャーロットの情報を並べていけば、こんなことは明白じゃないか)
クライドは左胸に手を当てると、上着を強く握り込む。
(……シャーロットこそが、俺の、『運命の女の子』だ……)
***
「っ、ぷわあああ……!!」
全力でクライドから逃げたシャーロットは、路地裏に飛び込んで壁に背中を付けると、無意識に止めていた息を吐き出した。
(い、いけません! ついうっかり、治癒魔術をクライドさまに使うときに、『いつもの』私の態度に戻ってしまいました……!!)
ぜえはあと浅い呼吸を繰り返すも、ここで休んでいる暇はない。シャーロットは更に奥の路地に走り、光っている魔法陣にぴょんと飛び込んだ。
心地良い魔力に包まれて、体が浮遊する。
転移酔いなど無縁なほど正確な魔術の主は、シャーロットたちが宿泊している宿の、その長椅子で待ってくれていた。
「ただいま帰りました、オズヴァルトさま!!」
「!」
転移で戻ってきたシャーロットの姿に、オズヴァルトがすぐさま立ち上がる。シャーロットは愛しい夫に駆け寄って、事の顛末を話そうとした。
「あのっ、申し訳ございません!! ちょっとだけ失敗してしまいまして、まずはそのご報告を……」
「――シャーロット」
「!!」
言葉を遮るかのように、オズヴァルトがシャーロットを抱き締める。
シャーロットの無事を確かめる腕が、ぐっと情熱的に力を強めた。




