83 治癒魔術
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シャーロットを抱き竦めたクライドは、店の奥で暴れている男を見下ろしながら、捕縛魔術を使った右手を下ろす。
(……俺を狙った傭兵が、こんなところまで追ってくるとは)
クライドを狙った風魔法は、この男によって放たれたのだ。
落ち着いた雰囲気だった酒場の店内は、男性客たちの混乱に満ちている。クライドはシャーロットから離れると、落ち着いた足取りで襲撃者の傍に向かい、その横へと跪いた。
「失礼、お客人」
クライドが微笑めば、男は怯んだように目を見開く。
「誰の依頼で俺を殺しにいらしたのか、手短に吐いていただいても?」
「ぐっ、うう……!」
「おっと、痛みが強くて話せませんか」
他人を裏切り、それによって情報を集めるのがクライドの仕事だ。自分を狙ってくる候補を思い浮かべれば、両手の数では足りもしない。
(そもそも今は、追跡魔法を妨害する結界を使用していない。いつでも魔術接続による通信が出来るようにという『依頼主』の希望で、仕方がないが……)
こうした面倒が増えるのであれば、考える必要があるだろう。
「ひとまずあなたには、後ほどゆっくり話を聞くと致しましょう」
「ぐ、う……! あ、や、やめ……」
微笑んで、物質の転移魔法を発動させた。
魔法陣が床に広がり、襲撃者の姿が瞬時に消える。落ち着いて話が聞けるように、クライドの拠点のひとつへと飛ばしたのだ。
「お、お客さま……?」
「お騒がせしてしまい、申し訳ございません。他のテーブルの皆さまには、こちらでお詫びを」
上着から取り出した金貨の袋を、にこやかに黒服の店員へと渡した。慌てたように頭を下げる彼を横目に、クライドは上着の裾を直すふりをして考える。
思考を練る対象は、後ろにいる聖女シャーロットだ。
(聖女殿に、俺の嘘を見破られてしまうとはな)
笑みを浮かべたクライドは、さほど困ってはいなかった。
(俺の呼び出しに応じたのも、ある種の作戦を立てた結果……シャーロットに指示をしている人物がいるようだ。だが、この場を監視魔術で見張っている訳ではないな)
シャーロットの行動は、事前に予測していたうちのひとつでもある。シャーロットに恋をしているのが嘘だと知られたところで、さしたる問題ではないのだ。
(入念な調査と観察があれば、大半の対策は講じられる)
目を閉じ、計算を組み立てる。
そしてクライドは浅く息をつくと、完璧な笑みを作ってから口を開いた。
「あなたを巻き込んでしまい、申し訳ありません。シャーロット」
その笑みを顔に貼り付けたまま、シャーロットの方を振り返る。
「生憎、あちこちから恨みを買っているものでして」
恐らくシャーロットはこれまでのように、澄ました顔で返事をするのだろう。そんなことを想像しながらも、クライドは目を細める。
「ともあれ。あなたが身に付けていらっしゃる守護石を発動させずに済んで、何よりで――」
「こちらへ」
「!」
シャーロットの冷たい手が、迷わずにクライドの手を取った。
「何を……」
「いいから、こちらに来てと言っているの」
彼女がクライドを連れて行こうとしているのは、どうやら店の外のようだ。戸惑う店員に『後で戻る』と目で合図をしつつ、クライドはそれに従った。
聖都の片隅にあるこの店の周りは、夜になると人通りも少ない。石畳による路に出たところで、シャーロットはようやく足を止めた。
「シャーロット?」
「っ、傷口を……!」
彼女は急いでクライドの腕を掴む。その力が思ったよりも強くて、クライドは思わず瞬きをした。
「傷口とは?」
「ここに! たったいま、私を助けて下さったことによって負われたお怪我です!」
「……ああ」
風魔法によって切り裂かれた袖は、血で赤く濡れている。先ほどの襲撃者によるものだが、クライドはあまり意識していなかった。
少々の怪我が出来たとしても、痛みを痛みと感じないように訓練をしている。自分の生存確率を落とす行為だと分かっていても、この方が任務の成功率が高いのだ。
「この程度は問題ありません。それよりも……」
「お喋りはしなくても大丈夫です……! いまは少し、じっとしていてください……!!」
(なんだ? 随分と、雰囲気が違うが)
「失礼します。……ごめんなさい、オズヴァルトさま……」
小声で小さくそう述べたシャーロットは、クライドの傷口に手を翳した。
(まさか)
柔らかな光が、クライドの体に染み込んでゆく。痛みが消え、体が軽くなり、どんどん傷が塞がっていくのが分かった。
それを受けながら、クライドは信じられない気持ちになる。
(何故、シャーロットが俺の治癒を?)




