81 ここで頑張ってみせるのです!
(シャーロット・リア・ラングハイム。こうして見れば見るほどに、美しい女なのは否定しない)
月の色をした長い髪は、波のような曲線を描いている。
数日前に会った際、彼女は女性らしい体のラインを隠す、貞淑な意匠のドレスを纏っていた。
けれども今夜のシャーロットは、胸の谷間まで深く露出した、まさしく悪女らしい出立ちだ。
紅に彩られたくちびるが、立ち上がったクライドに微笑みを向ける。彼女の胸元や両耳には、上品な輝きを放つ宝飾が揺れていた。
(巧妙に隠蔽してはあるものの、身につけているのは全て守護石だな。単純に誘い出されたのではなく、一種の囮のようなものか)
それらを承知した上で、クライドは微笑みを浮かべる。
「こうしてお傍に居られることが、俺にとってはこの上のない喜びです」
そしてシャーロットの手を取ると、自分が先ほどまで座っていた椅子へと誘導して座らせた。彼女の隣に跪き、愛しい女を口説くふりをして目を眇める。
「語らいの時間はいただけるのでしょうか? シャーロット」
「……そうね」
気位の高そうな振る舞いで、聖女シャーロットはふっと笑う。
「退屈な話は聞きたくないわ。私、楽しいことだけが大好きなの」
「……」
その姿はまさしく高慢だ。滅多なことでは手中に収めることは出来ない、棘のある薔薇を思わせる。
静かな酒場に集まった男たちが、遠くからシャーロットに見惚れているのが分かった。この店は立場のある男性か、その客に招かれた人間しか入れない一流店だ。
「まずは、お飲み物でも」
クライドはそつのないウインクをし、こう尋ねる。
「あなたの瞳の色をした、こちらの酒などいかがですか?」
***
(こここっ、こんな感じで大丈夫なのでしょうか!?)
足を踏み入れた上品な酒場で、ふかふかの革張り椅子に腰を下ろしながら、シャーロットは全力で緊張していた。
明かりの絞られた店内には、バイオリンの音色が響いている。
品の良い身なりをした男性たちがテーブルを囲み、グラスを片手に談笑している様子は、酒場というよりも夜会の会場を思わせた。
シャーロットの前に運ばれてきたのは、小さなグラスに注がれた青いお酒だ。これがシャーロットの瞳の色だと言っていた男性は、向かいの席で微笑みながらこちらを見ている。
(一昨日、宿のお部屋に侵入されたとき以来です。相変わらず紳士的ではありますが、何処となく掴めないお方……)
クライドと名乗った赤髪の男に、内心が気付かれないよう向き直った。あくまで悪女のふりをしながら、表面上は悠然とグラスを手にする。
二日前、オズヴァルトの兄王子であるエミールは、シャーロットに向けてこう言った。
『クライドという男を探るなら、シャーロットがその誘いに乗るのが一番だ。そいつの呼び出しに応じてやって、こちらも情報を手に入れる。そうすれば……』
『エミール殿下』
兄王子の発言を、オズヴァルトははっきりと遮った。
声を荒げている訳でも、明白な怒りが滲んでいる訳でもない。それなのにはっきりと意思の伝わる、そんな声音だ。
『私が王位継承権を主張するに至ったのは、シャーロットを危険な目に遭わせないために他なりません。そのご提案は、夫として承服いたしかねます』
『さあて。シャーロットの意見を聞くべきかな』
『――殿下』
『いいかい? オズヴァルト』
オズヴァルトがなおも言い募るのに対し、エミールはあくまで柔らかな口調で続ける。
『この問題が解決しなければ、君たちは婚姻の祝福を授かれないんだよ。婚姻妨害が王位継承権争いの一環かもしれない以上、僕にも無関係ではない。迅速に状況把握に努めたい』
『承知しております。だからこそシャーロットを巻き込まず、私ひとりにお任せください』
シャーロットを想った上での発言に、シャーロットはそれでも胸が痛んだ。
『いいえ、オズヴァルトさま……!』
『シャーロット?』
結界に弾かれたのがシャーロットである以上、オズヴァルトだけの責任であるはずもない。
それなのにオズヴァルトは、これが王位継承権争いを発端にしたものだと想定し、シャーロットを気遣ってくれているのだ。
(オズヴァルトさまにもエミール殿下にも、たくさん考えていただきました。けれど大前提として、婚姻の祝福を授かれないことは、私の問題なのです)
クライドを前にしたシャーロットは、グラスに注がれた水色のお酒を、ほんのちょっぴりだけ口にする。
(クライドさまが何かご存知なのであれば、それを私が探らなくては! 過去の私と何があったのか、何もなかったのか、裏にどなたかいらっしゃるのか、それが果たして王子殿下なのか……!)
お酒はほとんど果物の味で、酒精はあまり感じられなかった。けれども万が一に備え、飲み口にキスをする程度に抑えておく。
(私の身に付けているアクセサリーが守護石であることくらいは、見抜かれていると思った方が良さそうですね……)
向かいに座るクライドは、酒も飲まず嬉しそうにシャーロットを見つめるばかりだ。
(私のことを愛していると仰いました。本当に私たちが結婚していたとしたら、心から、あまりにも申し訳なさすぎますが……ここに来た目的のひとつは、それを確かめるため)
そしてシャーロットは、作戦に移ることにした。
「私、あなたの話にはあまり興味がないの」
「おや? それは寂しいですね」
悪虐聖女らしい振る舞いをしつつ、指先ひとつの動きにも気を配る。
淑女教育を施してくれたハイデマリーの教えを守りながら、優雅にグラスを傾けたシャーロットに、周囲の席から感嘆の声が漏れた。
「私が知りたいのは、他ならぬ私自身のことだけよ」
「…………」
(いいえ、本当はオズヴァルトさまのことも知りたいです! お生まれになった日時から昨日見た夢の内容、初めてお喋りなさった単語が何かまで、オズヴァルトさまのすべてを知りたいのですが……!)
彼のことを思い出すだけで、平常心が掻き乱される。
表面上は優雅な悪女のままだが、小刻みに揺れるグラスの中身には、ぷるぷると細波が立っていた。
「あなたが私の過去を知ると言うから、わざわざ会いに来てあげたの。お分かりかしら?」
「……俺への愛を、思い出して下さった訳ではないと?」
(あう……っ!)
オズヴァルトに恋をする身の上として、罪悪感に胸が痛む。けれども同時にシャーロットは、彼への違和感を抱いていた。
(実は、クライドさまから愛の言葉を聞くほどに、なんだか妙な心地がするのですよね。なんといいますか)
シャーロットは、極力冷静に観察する。
(……たとえば、嘘をついていらっしゃるような……)




