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【完結】悪虐聖女ですが、愛する旦那さまのお役に立ちたいです。(とはいえ、溺愛は想定外なのですが)  作者: 雨川 透子◆ルプなな&あくまなアニメ化
〜第2部〜

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80 回想

【第2部3章】




 クライドには、子供の頃を思い出す度に、必ず浮かんでくる光景がある。


『このガキ。たったこれだけの情報を奪うのに、いつまで時間を掛けるつもりだ?』

『……っ』


 骨が折れている痛みの中、命からがら逃げ出してきたクライドは、浅い呼吸を繰り返していた。


『お前を金で買ってやった恩も忘れて、ヘマしやがって。お前がちんたらすればするほど、俺たちまで危なくなるだろうが。分かってんのか?』

『う……!』


 床に蹲ったクライドの体を、男が靴の先で転がす。

 激痛の中でも悲鳴が出ないよう、必死に歯を食いしばっている中で、男たちはクライドを見下ろしながら軽口を叩いた。


『まあいい。これは難攻不落と言われた国の、王族どもが隠していた魔術書の写しだぜ? 取引先を吟味すれば、高値で売れる』

『子供ってのは得だよなあ、標的共の口も軽くなる。万が一バレてもこうやって、殺されずに半殺しで済むことも多い』

『ははっ。とはいっても、殺されるときは殺されるけどな』


 石造りの殺風景な部屋に、何がおかしいのか理解できない笑い声が響く。そんな中、男のひとりが声を上げた。


『っと。おい、誰か来たぞ!』

『やべえな、ずらかれ!』

『待て待て、このガキはどうするんだよ!? 見つかったら余計なことを吐くかもしれねえぞ』

『知るか、だったらお前が連れて逃げろ!』


 痛みで意識が遠のく中、そんな会話が聞こえたようにも思う。

 足音が遠ざかり、見捨てられたのだとはっきり理解しても、起き上がる気力すら湧かなかった。


(……あの魔術書の写しが、本物の内容を少し変えた偽物だったと知ったら、あいつらはどんな顔をするだろうな……)


 そんな風に思いながら、くちびるだけで笑うことも出来ない。

 誰かの気配が近付いてくる中、いまにも気を失いそうだ。


 あの国からの追手だろうか。あるいは、クライドを買った男たちを捕らえに来た、この国の騎士だろうか。

 いずれにせよクライドも捕まって、殺されてしまうのだ。


 すべてを諦めていたそのとき、体に温かな力が流れ込んできた。


『……?』


 開けることの出来なかった目を、開けられるようになっている。

 視界に映っていたのは、クライドを心配そうに覗き込んでいる、クライドよりも数歳は幼いであろう少女の姿だった。


『大丈夫ですか……!?』


 その女の子は、淡い水色の瞳を持っている。

 髪はふわふわと波打って、それはクライドと同じ赤色だった。傷だらけというほどではないが、纏っているドレスは古びていて、何処か貧しい身なりをしている。


『……君、は』

『あ! ごめんなさい、おしゃべりはしなくても大丈夫です……! もうすこし、じっとしていてください……!!』


 女の子の手から生まれた柔らかな光が、クライドの体に染み込んでいった。痛みが消え、体が軽くなり、どんどん傷が塞がっていくのが分かる。


(これは、治癒魔術……?)


 治癒に関する魔術を使えるのは、世界に存在する魔術師たちの中でも、ほんの一握りの女性だけだ。


 少しの治癒が扱えるだけでも、彼女たちはあちこちで重用される。

 ましてや目の前のこの女の子は、骨が折れていたクライドの体を完璧に治してみせたのだ。それがどれほど凄いことなのか、この年齢のクライドも理解していた。


『もう、痛いところはありませんか?』

『……うん』


 少女に手伝ってもらいながら、クライドは身を起こす。


『もう、大丈夫だ』

『!』


 そう答えると、彼女は満面の笑みを浮かべ、心の底から安堵したように呟いた。


『よかったあ……!』

『――――!』


 優しい言葉をもらえたことなど、生まれて初めてではなかったのだ。

 魔術が使えるクライドの仕事は、あちこちから秘密を盗むことだった。それが出来るからこそ誰かに買われて、今日まで生きながらえたのだ。


 子供の顔を利用したクライドは、潜入先で可愛がられた。


 手軽な愛情を向けてくれた人たちを油断させ、時には見つかって殴られ、殺されかける。

 そんな日々の中、善人たちに付け入るためわざと怪我をして、同情を買ったこともあった。


 存在しない家族の代わりに、そうやって心配してくれた人たちから、大切な秘密を得てきたのだ。


 そのことに罪悪感を持つ時期など、幼いながらに過ぎ去っていた。

 だというのに、『演じていないそのままのクライドを心配してくれた』というだけで、その少女の笑顔が焼き付いて離れない。


『君も、怪我をしているのに』

『あ! 私、自分を治すの、あんまり上手じゃなくて……』


 そう言って恥ずかしそうに俯いた、その顔がとても愛らしかった。それなのにあちこちにある痣が、とても痛ましい。


『君の、名前は?』

『私ですか? はい! 私は、シャ……』


 言葉を途中で止めた見えた女の子は、その口を慌てて手で塞ぐ。


『……ろ。ろ、ろ、ロッティ、です!』

『ロッティ……』


 自分も名乗ろうとしたクライドは、けれどもすぐに思い直した。この名前を知っているだけで、彼女に迷惑が掛かるかもしれないのだ。


『君は、どうしてこんなところに?』

『わたし、いつもはお勉強と魔術のれんしゅうをしているのです! あっちにある、おっきな教会で!』


 少女の小さな指が、この部屋の北側の壁を指差す。この廃屋は森の中にあって、遠くに教会の屋根が見えるのを思い出した。


『いっぱい練習しているのですよ! もっとじょうずになって、おっきくなって……そうしたら、私』


 淡い水色の瞳をきらきらと輝かせ、赤い髪の彼女は笑った。


『戦争に行くんです!』




***




 酒場の片隅にある椅子に掛けて、クライドは目を閉じていた。


(まったく、忌々しい)


 あの少女のことを考えるのは、ほんの時々に留められていたはずだ。

 一時期は浮かんでくる思い出に苦しみ、記憶を封じられればと願ったほどだが、成長するにつれて制御できるようになっていた。


(それなのに、近頃どうしてこうも彼女を思い出すのかと、不思議だったが……)


 クライドはゆっくり目を開けると、グラスを手にしたまま振り返る。それと同時に、たおやかで蠱惑的な女性の声が聞こえてきた。


「宿への伝言をありがとう。クライド、だったかしら?」

「……ようやくあなたにお越しいただけて、嬉しく思いますよ」


 クライドは、そこに立っている彼女を見て微笑む。


「愛しのシャーロット。あなたは今宵も、美しい」

「……ふふ」


 今回の『標的』であるシャーロットの瞳の色は、思い出の少女と同じ色をしているのだ。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] クライド神官、雨川先生が手掛ける作品の登場人物のなかで、断トツで胡散臭いなと感じていたら、なんだ諜報員だったのか…と謎に納得しました。オズヴァルトに、シャーロットを狙った諜報員だとばれ…
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