70 旦那さまが第一です!
【第2部2章】
見知らぬ男性が接触してきたと思ったら、自分の夫を名乗っている。
人生で一度あるか無いかの出来事が発生し、それも今回が二度目とあって、シャーロットは心の中で絶叫していた。
(ななな、なっ……一体どういうことなのでしょう!?)
自分の太ももをぎゅうっと抓り、その痛みでなんとか『悪虐聖女』の冷たそうな表情を保つ。記憶を失う前のシャーロットにも、こうした工夫で悪女のふりを乗り切ったことがあったのだろうか。
(本当にこの方が夫だとしたら、私が門に弾かれたのはその所為では……ですが、記憶がないので正解が分かりません!! こちらから尋ねようにも、私の記憶がないことを肯定してしまって良いものかも悩ましく……!)
クライドと名乗ったその男は、シャーロットが内心で混乱していることを見抜いているだろうか。彼は視線を下げ、シャーロットの首元で揺れる守護石の首飾りを忌々しそうに確認した。
「……オズヴァルト・ラルフ・ラングハイムからの、贈り物ですか」
(!!)
不意にオズヴァルトの名を耳にして、思わず目を輝かせそうになった。それも必死に我慢しつつ、涼しい顔で答える。
「だとしたら、何かしら?」
シャーロットの瞳と同じ色をした守護石の首飾りは、オズヴァルトが『迷子札』と称して贈ってくれたものだ。
国宝級とも呼べる、強力な守護の力を持つ石である。オズヴァルトいわく、『着けているだけで他の男への牽制になる』のだと言っていた。
牽制という言葉選びの意図はよく分からなかったが、このクライドという男性も気に留めたようだ。
「こんなものをあなたに着けさせて。まるで、あなたが自分の物だと声高に主張しているかのようですね」
(ふぐうっ、私が『オズヴァルトさまの物』……!?)
的確な一撃を喰らった心境で、思わず口元を押さえそうになる。だが、ダメージを負ってばかりもいられない。
(しっかりしなくては! この方は先ほど、記憶を失う前の私が『この方にだけ打ち明けた』と仰っていました。そして、『あなたは恐れていた通りに記憶を失う事態へと陥った』とも!)
その言葉が真実だとすれば、彼は記憶を失う前のシャーロットが、秘密や計画を共有するような存在だったのだ。
(私の夫を名乗るお方。もう少しお話を聞く必要があるのは、間違いないのですが……!)
そのとき、石の階段を登ったさきにある門が開かれる音がした。
(オズヴァルトさま!)
まだほんの少し開いた程度だが、オズヴァルトが戻ってきてくれたのは間違いない。
反射的に嬉しくなるシャーロットとは反対に、クライドは紳士的な笑みを崩して門を睨む。
「……ここでお話する時間は無さそうですね。本当ならすぐにでも、私の元へと連れ戻したい所ですが……」
(連れて行かれてしまうのは困ります、オズヴァルトさまにご迷惑が……!)
静かにクライドを見遣ったシャーロットを見て、彼は再び寂しそうな微笑みを作った。
「……お立場は承知しております、シャーロットさま。あなたはあのオズヴァルトなる男に神力を封じられ、従わされている状況」
クライドはシャーロットの前に跪くと、シャーロットの手の中にカードのようなものを握らせる。
「どうか私に会ったことは内密に……誰にも見られない場所で、あなたおひとりでこの手紙を読んで下さい。後ほど秘密裏に落ち合いましょう」
(お、お待ちくださいと言ってしまいたい!! ですがこのお方、悪虐聖女の演技を止めて良いお相手かどうかはまだ判断が出来ません!!)
「私はオズヴァルトの元から必ずや、あなたをお救い致します」
(……あ)
クライドは立ち上がり、胸に片手を当てて静かに微笑んだ。
「またお会いするのが楽しみです。愛しい花嫁」
(……やっぱり、とってもさびしそうに笑うお人……)
シャーロットがそんな印象を抱いた瞬間、クライドは転移魔法で姿を消す。
それと同時に開いた門から、大好きなオズヴァルトが現れた。
「――シャーロット」
「オズヴァルトさま……!」
オズヴァルトひとりの姿しか無かったため、シャーロットは全力で彼の元へと駆ける。
「オズヴァルトさまあああああああ!! おかえりなさいませオズヴァルトさま、私良い子に待っていました、お戻りをお待ちしていましたオズヴァルトさま!!」
「っ、分かった! 分かったから階段は慎重に上がってこい! 門に弾かれたときは落ち込んでいたはずなのに、この短時間で何故それほど元気になっているんだ……?」
「オズヴァルトさまのお顔を見たら元気になりました! オズヴァルトさま、あの……」
「ところで」
オズヴァルトの手が伸びて、シャーロットの首飾りの細い鎖に触れる。
「先ほどまで、ここで誰かと話していたか?」
「…………」
夫を名乗る男性クライドは、シャーロットに向けて『秘密裏に』と口にした。
『どうか私に会ったことは内密に……誰にも見られない場所で、あなたおひとりでこの手紙を読んで下さい』
渡されたのは、シャーロットの手に握り込んで隠せそうなほど小さな封筒だ。オズヴァルトとは違う、彼よりも甘い香水の香りがしている。
(記憶を失う前の私は、あのクライドさまというお方に秘密を共有している可能性があります。そうだとすれば、あのお方からは絶対に情報収集しなければ。その場合オズヴァルトさまにご心配をお掛けしないように、オズヴァルトさまには内緒でお会いするべき……)
それを理解するシャーロットは、そっとオズヴァルトのことを見上げた。
「……オズヴァルトさま」
その上で、きりっと気合を入れながら全力の説明をする。
「――――申し上げます、先ほど知らない男の人にお会いしました!! お名前はクライドさま、オズヴァルトさまと違う赤髪でオズヴァルトさまより癖毛でオズヴァルトさまと身長は同じくらいです!! 私のことを恐れないどころか私の夫を名乗っていらして、オズヴァルトさまの目の届かないところで密会の要求を!! このお手紙はひとりでこっそり読むようにとの仰せだったもので、恐らく日時と場所が指定されているはずです!!」
「………………」
すちゃっ!! と勢い良く差し出したのは、先ほど渡されたその手紙だ。
オズヴァルトは呆気に取られた様子のあと、念のためにといった雰囲気で尋ねてくる。
「……君。そのクライドとやらに、俺への口止めはされなかったのか?」
「されました! けれども一方的な約束よりも、オズヴァルトさまの方が大切ですので!」
「…………」
シャーロットが迷わずに言い切ると、オズヴァルトは俯いてふっと笑う。
「……そうか」
(オズヴァルトさまの、ほっとしたようなお顔が〜〜〜〜……っ!!)
こうして左胸がきゅんきゅんと締め付けられるのを感じつつ、オズヴァルトとの十三分ぶりの再会を喜ぶのだった。
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