66 響きが絶大すぎるのです!
「あのっ、おず、オズヴァ……ッ」
「俺たちがこの街に来た理由は?」
体を離しながら尋ねられて、シャーロットははくはくと口を動かす。
「シャーロット」
「そ、それは……!!」
ぎゅっと目を瞑ったシャーロットは、促されるままお利口にこう答えた。
「婚姻のしゅふふ……しゅ、祝福魔法を授けていただくためです……!」
「その通り。俺と君の間にある婚姻の結びつきは現在、この国内でのみ通用する書類上のものだけだ」
オズヴァルトとシャーロットは、正真正銘の夫婦である。
恐れ多く信じられない上、この世界の幸せをすべて凝縮したかのような事実だったが、とはいえ紛れもなく夫婦なのだ。
けれどもそれは、あくまでこの国の法律に則った手続きでしかない。誰が誰と夫婦であり、どの世帯に家族として住んでいるか、それを国が管理するためのものだ。
しかし、実のところそれだけでは足りないのである。
「いいか、もう一度おさらいするぞ? 本来ならば結婚には、二重の手続きが必要となる。ひとつは書類の手続きで、そちらについては君が気を失っているあいだに済ませている訳だが……」
「はっ、はい!! ありがとうございます、幸せです!!」
オズヴァルトの言う『気を失っているあいだ』とは数ヶ月前、シャーロットがオズヴァルトに神力を封印されたときのことだ。
悪虐聖女として振る舞っていたシャーロットは、国王の命令によって力を封印された。
その際に、シャーロット自身の目論見によって記憶も失くしているのだが、どちらかの衝撃によって気絶している。
オズヴァルトはそのあいだにシャーロットを拘束し、彼の邸宅に連れ帰ったり、王城にて書類上の婚姻手続きを行なってくれていたのだそうだ。
「残るはもうひとつ。魔術によって婚姻関係を証明する、『祝福』を授からなくてはならない」
「オズヴァルトさまと私の結婚を、祝福する魔術……」
「そうだ。それが与えられれば世界中どこに行っても、俺と君が夫婦であることは明白となる――……シャーロット」
「………………」
オズヴァルトの視線が突き刺さる理由は、もちろん理解してはいた。
シャーロットはきゅっと目を瞑り、自分の両耳を塞いでいたのだ。
「おい、何故聞こえていないふりをする!?」
「き、聞こえています聞こえます聞こえない訳がないのです!! オズヴァルトさまのお声が耳に届かないなんて、どれほど厳重な防音装置を使われていても有り得ません!! ですがあのそのあまりにも、『オズヴァルトさまと夫婦』という言葉の破壊力が高すぎて……!!」
「記憶が無い君にとっては目覚めてから今まで、俺の妻じゃなかった時間など存在しないだろう!? 往生際が悪いぞ!」
「ひゃああああおやめくださいお許しください!! うわあん、オズヴァルトさまが私を再起不能にしようとなさいます……!!」
石橋の橋でわあわあ叫ぶふたりのことを、通行人たちが不思議そうに見ている。恐らく彼らの誰ひとりとして、ここにいるのが英雄魔術師と悪虐聖女のふたり組だとは思い至らないだろう。
「違うのです! 私は本当に本当に、オズヴァルトさまのことが好きなので……うう」
「…………」
べそべそと嘆きながら両手で顔を覆ったシャーロットのことを、オズヴァルトがじっと見下ろしている。
「オズヴァルトさまと夫婦という事実を飲み込もうとすると、どうしてもその塊が大きすぎるのです……うっう、ぐす……」
「……少し前は君だって、俺の妻であることを嬉しそうにしていただろう」
(あの頃は! オズヴァルトさまが私のことを憎んでいらっしゃったので、夫婦を名乗っても現実感がなく……!!)
そのことを口には出さなかった。何しろやさしいオズヴァルトは、シャーロットに冷たい態度を取っていたことに罪悪感をいだいている。
シャーロット自身はまったく気にしていないのに、『俺は君のことを憎んでいる』と言い放ったことについて、何度も謝罪を告げられたのだ。
だからそのときのことを蒸し返さないよう、シャーロットはもごもごと口をつぐんだ。
(あのときと今とでは、『妻』を自称する重みがまったく違います! だって、この頃のオズヴァルトさまは……)
指の隙間を広げ、ちらりと愛しい人を見遣る。
すると目の前のオズヴァルトは、拗ねたような顔をしてこう言った。
「……夫婦としての祝福を授かる日を、少なくとも俺は待ち侘びていたが?」
「う……っ」
心臓に言葉が突き刺さり、シャーロットは思わず左胸を押さえた。
「あ、あれ……? どうしてでしょう、目の前が真っ暗に……? そして私の上に広がる夜空には、お会いしてから今日までのオズヴァルトさまのお姿がたくさん……あそこに1オズヴァルトさま、2オズヴァルトさま、3オズヴァルトさま……」
「シャーロット? ……おいシャーロット、しっかりしろ呼吸を止めるな!! それから人を、よく分からないものを数える単位にするな!!」
街の門すら潜っていないのに、ふたりはすでに満身創痍なのだった。
***
「……もうすぐあなたにお会い出来るのですね。聖女シャーロット」
静かに本を閉じながら、美しい青年が呟いた。
彼の嵌めている黒い手袋には、見事な金色の刺繍が施されている。
青年がゆっくりと手袋を外せば、筋が浮いて少々無骨な印象を受ける、そんな大きな手が露わになった。
「早く迎えに行きたいものです。あなたの手を取って、お連れして……」
彼はそう微笑んだあと、窓の外に視線を向けて目を眇めた。
「……うん。こんなものかな」
青年が赤い髪をくしゃりと掻き上げると、二重の幅が深く掘り込まれた目元が露わになる。長い睫毛に縁取られたその瞳は、深い青色だ。
「彼女が汚れてしまう前に、俺のものにしてしまわなくては……」
彼はカーテンをゆっくりと引き、その室内を薄闇に閉ざしたのだった。




