65 旦那さまが好きすぎて大変です!
【第2部1章】
『悪虐聖女』シャーロットは、この国の英雄とも呼べる天才魔術師オズヴァルトによって、その膨大な神力を封印された。
力を奪われた彼女の監視には、当のオズヴァルト・ラルフ・ラングハイムが就いたという。
残虐の限りを尽くしたというかの聖女も、自らを封じたオズヴァルトには抗えなかったらしい。
オズヴァルトが彼女と居るようになってからというもの、彼女はオズヴァルトに甘えるような仕草さえ見せ、以前のような悪事を行うことも無くなりつつあるという。
『つまり悪虐聖女シャーロットは、公爵閣下が見張ってさえいれば安全だということか?』
『そうと分かれば、閣下には是非とも聖女から離れずに居ていただかなくては……』
社交界でそんな論調が出始めたころ、当のオズヴァルトが、とある夜会にてこう宣言した。
『私はここにいるシャーロットを生涯ただひとりの妻として迎え、何よりも大切に慈しむこととします。……既に書類上の手続きは終え、国王陛下に認めていただきました』
驚嘆の声や不安のざわめき、令嬢たちの悲鳴が飛び交う会場内で、オズヴァルトは更にこう続けた。
『――残るは我が国の大神殿にて、婚姻の祝福魔法を授かるのみです』
悪虐聖女シャーロットはそのあいだ、可憐な乙女のように俯いて、ふるふると小さく震えていた。
恥じらっているらしきシャーロットの姿は、日頃の傲慢で高飛車な振る舞いをする彼女からは、決して想像もつかないものだ。
オズヴァルトはその肩をそっと抱いてやると、やさしいまなざしを向けたあとに、いつも通りの淡々とした表情に戻って顔を上げる。
『それでは今宵は、これにて失礼を』
こうした一連の出来事は、それからしばらくこの国を揺るがした。
彼らの婚姻が社交界だけでなく、王侯貴族から末端の国民、他国の要人たちに至るまでの関心を寄せたのは、もちろん言うまでもないことである。
***
「オズヴァルトさまーーーーーーーーっ!!」
その美しい街を目前にして、シャーロットはきらきらと瞳を輝かせた。
水色の空から落ちる春の日差しが、あたりに柔らかく降り注いでいる。石造りの橋を渡るシャーロットは、開け放たれた門の向こうに見える街を指差した。
「見えてまいりました、あれが聖都ミストルニアなのですね……! 街の中央に噴水を抱く、大神殿傘下の大きな街! 通りの横に並ぶお家がカラフルで可愛くて、石畳の道も素敵です!」
シャーロットの纏っている淡い桃色のドレスは、袖口や胸元にシフォン地を使っており、涼しげでありながらも素肌を慎ましく隠すものだ。
花の刺繍やビーズがあしらわれていて、少しの風でも裾が広がる。
シャーロットがオズヴァルトの前をそわそわと歩き回れば、ドレスは風に煽られた花びらのように、軽やかに遊びながら翻るのだった。
「オズヴァルトさま、私幸せです……! こんなに賑やかで綺麗なところへ、オズヴァルトさまと訪れることが出来るだなんて! 古い時代の建築物や、街のあちこちにあるという可愛らしいカフェ。そしてっ、何より素晴らしいのは……!!」
シャーロットはくるりと振り返ると、オズヴァルトの前にざっと跪いて祈りのポーズを捧げる。
「春の光を浴びていらっしゃる、オズヴァルトさまの麗しいお姿……!!」
「――街。街とまったく関係が無いだろう、その感想」
シャーロットの世界の全てであるオズヴァルトは、神さまの作り出した芸術品でしかない形の双眸を少し眇めた。
「ふわあああっ、オズヴァルトさまの顰めたお顔が……!!」
「………………」
そんな視線を向けられて、シャーロットの背筋がしびびっと痺れる。
「そうやって眉をひそめて下さると、お顔に落ちる影の形が変わってまたお美しいです……いえ! もちろん! どんなオズヴァルトさまのお顔も素敵なのですが!! 春になって外が以前より明るいからこそ、眉間の皺や睫毛による影が強調されていて……!」
「あの門を通過したあとは、儀式用の服に着替えて大神殿に向かうぞ。重要な目的は旅程の最初に済ませて、以降の行動に余裕を生んでおくに限る」
「今後の予定を組み立てていらっしゃるオズヴァルトさまのまなざしは、なんと知的なのでしょうか。うううっ、つくづく私に絵の才能があったなら……!! この瞬間のオズヴァルトさまを描き留めて、それを貼り付けた馬車で街中を爆走していましたのに……!!」
「やめろ! 俺が立ち入れない街を軽率に増やそうとするんじゃない!!」
オズヴァルトは額を押さえて俯いた後、はー……っと大きく息を吐く。
「シャーロット。……来い」
「はい!!」
愛しい人に呼ばれたら、もちろん全速力で向かうまでだ。
ぱっと笑顔を作ったシャーロットは、オズヴァルトの元に駆け出した。オズヴァルトの懐に飛び込みそうになるも、そこではっと思い出す。
(こうやって走って飛び付くのは、駄目だと叱られていたのでした!!)
初めての夜会前に同じことをして、『ステイ』と厳命を受けたのだった。
オズヴァルトに迷惑を掛けないために、一度叱られたことを守るのは当然だ。慌てて緊急停止しようとしたシャーロットは、けれども次の瞬間に息を呑む。
「!!」
こちらに手を伸ばしたオズヴァルトに、受け止めるように抱き締められたのだ。
自分の顔が真っ赤になるのを感じる。オズヴァルトが私用での外出時にしか付けていない香水の香りに包まれて、シャーロットは思わず息を止めた。
「……まったく」
オズヴァルトの腕がシャーロットの背中に回されて、いつも通りの溜め息が落ちてくる。
「俺の元に子犬のように走って来るのはいいが、転ばないように気を付けろ」
「は、はひ……っ!?」
返事をしようとしたのだが、声がひっくり返って上手くいかない。するとオズヴァルトが笑った気配がして、シャーロットはますます息が出来なくなる。
「良い子だ」
「〜〜〜〜……っ!!」
この状況で頭を撫でるのは、とどめとも呼べる行為ではないだろうか。




