64 第2部・プロローグ
春の暖かな日差しが差し込むようになっても、日が沈めばまだ冷え込む時期だ。この日の夕刻、王立魔術騎士団の団長室には、たくさんの団員の出入りがあった。
王室直属の軍団長の部屋ともなれば、ここにはいつもさまざまな喧騒が飛び込んでくる。けれども今日という日の騒がしさは、普段のそれとは種類が違っていた。
「失礼いたします、オズヴァルト団長!」
「ああ」
執務机でペンを走らせていたオズヴァルトは、入室してきた部下のために顔を上げる。
「昨日団長にご指摘いただいた箇所ですが、国境警備の部隊からの返答が返ってきました。そちらを反映させた内容に修正していますので、ご確認を! 定例会議までに処理いただいたものについても、全件関係各所に回っておりますので」
「処理を急がせてすまなかったな。俺の都合で随分と振り回した」
「滅相もございません! むしろ何度も申し上げておりますが、働き詰めの団長に休暇を消費していただけるのは喜ばしい限りです」
今日の団長室が慌ただしいのは、明日からオズヴァルトが長期の休暇に入るためだ。
書類の下部にペンで署名をし、承認の証左となる魔法を施す。不在の期間中に滞ってはいけないものについて、これで大方が片付いた。
(休暇中に緊急の連絡が入る可能性は潰せないとはいえ、こいつらの負担を最小限に抑えることくらいは出来たはずだ)
オズヴァルトは椅子から立ち上がると、傍らに掛けてあった制服の上着に袖を通しながら言う。
「これ以降はお前とユリウスに処理を任せるが、何かあったらすぐに連絡しろ。このあとの夜間帯だけではなく、休暇中であっても躊躇はいらない」
「な、なるべくそうはならないように努めます……今回の団長のお休みを、お邪魔する訳には」
書類を抱え直した部下は、苦笑したあとでオズヴァルトを見上げた。
「なにしろオズヴァルト団長と奥さまの、大切なご旅行なのですから」
「――――……」
鏡のようになった窓ガラスの表面には、オズヴァルト自身の姿が映っている。
オズヴァルトが視線を向けたのは、そこに輝く耳飾りだった。青と赤それぞれの守護石が、細い銀色の鎖によって連なっているデザインのものだ。
これを作ってオズヴァルトに贈った妻は、今日も家で帰りを待ってくれているのだろう。彼女による帰宅時の熱烈な歓迎は、毎日繰り返されている。
『おかえりなさいませオズヴァルトさま、おかえりなさいませ! お会いしたかったです、帰って来てくださって嬉しいです、おかえりなさいませ……!!』
全力で喜びを表現しながらオズヴァルトに駆け寄って、子犬のようにぐるぐると回る。目に焼き付いてしまった光景が、オズヴァルトの脳裏に蘇った。
「団長?」
「……いや」
オズヴァルトはふっと息を吐くように笑い、帰宅に用いる転移の陣を発動させながら言った。
「妻は我慢しているようだが、前々から俺の部下に会いたがる様子を見せているんだ。旅行から戻ってしばらくしたら、お前たちにも妻を紹介させてくれないか」
「もちろんです! 我々も以前から団長の奥さまにお会いしたいと話していましたので、みな喜びますよ!」
「そう言ってもらえると有り難い。では、留守は頼んだ」
魔法陣に足を踏み入れたとき、部下が改めてオズヴァルトを呼ぶ。
「団長!」
「?」
振り返ると、部下はぐっと拳を握って言った。
「奥さまとのご旅行、楽しんできてくださいね!」
「……ああ」
そうしてオズヴァルトは、妻の待つ屋敷へと転移する。
「……団長が密かにご結婚されていたって聞いたときは、腰が抜けるくらい驚いたけど」
残された部下は書類を抱き締め、ごくごく小さな独り言を呟いた。
「奥さまの話をしているときの団長って、本当にやさしい顔をなさるんだよなあ……」
【第2部 開始】




