【コミカライズ開始記念】敬愛する我らが団長は、可愛い犬を飼い始めたらしい①
魔術師トーマスはその日、上司であるオズヴァルトの言葉を聞いて、思わず目を丸くしそうになった。
「すまないが、今日は定刻で帰宅する」
(え)
驚きを表に出さなかった件は、自分で自分を褒めてやりたい。万が一にも顔や声に出ていたら、この若き団長は気に病んで、やっぱり残ると言い出しかねないからだ。
オズヴァルトは、現時点ですでに申し訳なさそうな顔をしてトーマスに告げた。
「帰宅はするが、何かあったら呼び出してくれ。深夜でも連絡は受けられるよう、いつも通りに構えてはおくから」
「いえ、滅相もありません団長!」
トーマスはぶんぶんと首を横に振る。
「団長はいつも、団長としての任務ばかりではなく、魔術騎士の通常任務もこなされています。それに加えてご自身の領地の運営まで……いつ休んでいらっしゃるのかと気を揉んでいたので、安心しました!」
オズヴァルト直属の部下となる魔術師は、みんなオズヴァルトを慕っている。何しろオズヴァルトは、強くてやさしくて格好良いのだ。
もちろんトーマスもそんなひとりだった。だからこそ、オズヴァルトが働き詰めであることは、トーマスの悩みでもあったのだ。
そんな思いが伝わったのか、オズヴァルトはふっと口元を微笑ませる。
「気を使わせてすまないな。……では、あとは任せた」
「はい!」
転移するオズヴァルトの姿を見送ると、ちょうどそこに同僚が入室してきた。
「あれ? 団長は?」
「たったいまお帰りになられたところだ」
「マジか。珍し」
急ぎの書類なのかと問えば、同僚は手にした書類をまとめなおしながら否定する。それなら明日で構わないだろうとお互いに話しつつ、トーマスは呟いた。
「それにしても、団長がようやく定時帰宅という概念を覚えてくださってよかった。昨日は有給も取って下さったし」
「俺たち部下にはどんどん休ませる上、残業してたらさっと夜勤の連中に割り振るよう手を回してくれるし。なのに、ご自身には無頓着だからなあ」
「だけど、一体どんな心境の変化なんだろう?」
首を傾げたトーマスに対し、同僚が冗談めいた言葉を向ける。
「ひょっとして、とうとう決まった女性でも出来たんじゃないか?」
「……恋人の元に転移するようなお顔には、見えなかったけどなあ……」
帰宅するオズヴァルトの表情は、なんだか気が重そうなものだった。
振り返ると、昨日オズヴァルトが休みを取る前も、物憂げな表情をしていたように思い出せる。
「だったら見合い関連とか。とうとう縁談を断り切れず、望まない結婚をする羽目になっているのかもしれないぜ」
「ははは。そうかもな」
そんな風に笑い合うトーマスたちは、知らなかったのだ。
オズヴァルトがそのとき、本当に『望まない結婚』をさせられていたことも、婚姻はその前日の『有給休暇』に行われていたことも。
オズヴァルトの結婚相手が悪虐聖女シャーロットであり、この日の朝に目を覚まして、オズヴァルトに一目惚れ宣言をしていたことだって知る由もない。
だから、オズヴァルトが様子のおかしいシャーロットを気にして早く帰宅したという真相にだって、辿り着けるはずもないのだった。
***
「このごろ団長の帰宅が早い件、謎が解けたぞ! 団長はどうやら犬を飼い始めたらしい」
「犬う!?」
数日後の昼時、騎士団の賑やかな食堂には、ひときわ大きな声が響き渡った。
トーマスを含めた魔術騎士たちは、情報をもたらした同僚に注目する。十人ほどの隊員で囲んでいた昼のテーブルは、意外な情報に色めきだった。
「ダグラスが犬を飼ってただろ? なんでも団長が、『犬に関する良い躾本はあるか』とお尋ねになったらしくてな。『犬系魔物の育て方』という本を挙げたら、団長はすぐに購入なさったそうだ」
「犬かあ。それは早く帰りたくもなるよなあ、可愛いだろうなあ……」
「団長、城下町の見回りに出てるときも、散歩中の犬とすれ違うと必ず目で追うもんな」
隊員同士が盛り上がる理由は、オズヴァルトが仕事を早めに切り上げて帰るのが、あの一日限りでは終わらなかったからだ。
オズヴァルトは毎日、業務終了時間の少し後には帰宅するようになった。オズヴァルトの過労を心配していたトーマスたちは、その変化をみんなで嬉しく思いながらも、相変わらず不思議に思っていた。
(そうか、犬だったのか)
昼食後、そんな風に納得したトーマスが歩いていると、執務室から出てきたオズヴァルトとすれ違う。
「団長! お疲れさまです!」
「トーマス。悪いが午後の会議の件、お前の出席も頼めるか? 西の警備について意見が聞きたい」
「はい、もちろんです! ……それはさておき、団長」
背の高いオズヴァルトのことを見上げ、トーマスは笑顔で告げた。
「ワンちゃんを飼い始められたそうで、おめでとうございます!」
「……………………」
その瞬間、何故かオズヴァルトが変な顔をする。
「あれ? 違いましたか?」
「……いや……。まあ、なんというか……」
何処となく歯切れの悪い返事だ。ひょっとして、犬を飼っているのが照れ臭いのだろうか。
トーマスも犬派だ。オズヴァルトの同志であることを示すため、実家の犬を思い出しながら語る。
「可愛いですよね犬! 飼い主が家に帰ってくると、全力疾走でお出迎えに来ますし」
「……そうだな。毎日毎日、扉にぶつかりかねない勢いで駆け寄ってくる」
「飼い主のことがすぐに分かって、扉を開ける前から待ちかねていますし!」
「足音を聞き分ける能力が驚異的だな。あれはどういう性能をしているんだ?」
「どれだけ短い外出でも、寂しかったことと帰宅が嬉しいことを全身で表現してくれますよねえ」
「確かに、帰宅した俺の周りをぐるぐる回って大はしゃぎしているが……」
飼い犬のことを思い出しているらしいオズヴァルトが、何故か思いっきり顔を顰めた。トーマスは少しだけ首を傾げた後、再び飼い犬の思い出話をする。
「散歩で一緒に外を歩いても、進む方向ではなく飼い主の方を見上げ続けてますもんね。そういう所がいじらしくて!」
「……」
なんと可愛らしい存在だろうか。語っているうちに、そんな思いが湧き上がってくる。
「飼い主のことが大好きで大好きで仕方ないのが、駄々漏れになってるんですよねえ」
「………………」
しみじみ告げると、オズヴァルトがその手で額を覆う。
「……………………そうだな……」
「あれ?」
こちらに背を向けたオズヴァルトが、どうにも居た堪れなさそうにしていることに、トーマスはきょとんとする。




