62 大好きな気持ちは消せません!
それから、オズヴァルトとシャーロットは屋敷に帰り、それぞれお風呂に入った。
身支度を整えたふたりは本腰を入れて、今回の一件を整理し始める。
記憶を失ってから今日までの出来事や、日記帳に見せられた光景のこと。
それから、オズヴァルトとの口付けによって神力が戻ってから見たものについてを、シャーロットは懸命に説明した。
「――ということで、なんとなんと、なんとですね! 私はずーっと昔から、オズヴァルトさまのことが大好きだったのです!」
「………………」
長椅子でオズヴァルトの隣に座り、『このくらい!』と愛情の大きさを手で示したシャーロットは、ふんふんと鼻息荒く補足する。
「ちょっとの大好きではないですよ? 辛い時も、悲しいときも、オズヴァルトさまの存在そのものをお守りにして我慢していたくらいですから!」
「……」
「記憶が戻ったというよりも、その光景を『見せられて知っている』という感覚なのですけれど……! でも、私にははっきり分かるのです! 私の人生にはずっと、オズヴァルトさまへの恋心があったということが!」
「…………分かった……」
すると、片手で自身の顔を覆いながら俯いていたオズヴァルトが、低い声でこう呟いた。
「もう分かった、シャーロット……。君のその、恋心とやらについてはよく分かったから、これ以上その話を繰り返すのは勘弁してくれないか」
「ええっ!? だってこのお話、まだ五回しかしていませんのに!!」
オズヴァルトが好きだという気持ちは、何度口にしても表現できないくらいなのだ。
物足りない気持ちでいたのだが、一方のオズヴァルトは、妙に重苦しい溜め息をつく。
「……君の、真っ向からの『大好きです』を、とびきりの笑顔で食らい続ける身にもなってくれ……」
「???」
首を傾げてみるものの、シャーロットはひとまず我慢して、得た結論を話すことにする。
「その上で。夜会でランドルフさまとお話したときから、少しだけ気になってはいたのです。私の記憶がなくなった直接の原因は、神力の封印だけではなくて、私自身の意思だったのかもしれないと」
シャーロットは、自身の左胸に手のひらを重ねた。
「契約魔術は、魂に課せられる契約です。……ですが、『魂とはすなわち記憶である』という解釈ならば。記憶を失くした状態の私には、契約も無効なのではないでしょうか?」
顔を上げたオズヴァルトは、僅かに目を細めてシャーロットを見遣る。
「王族の契約から逃れるために、君はこれまでの記憶を消した、と」
「記憶を失う前の私も、『私との結婚がオズヴァルトさまの負担になる』という見解は同じだったようですから。けれども契約魔術がある以上、私は婚姻を拒否できません」
そこでシャーロットは、自らの記憶を消し、オズヴァルトをこの婚姻から逃がせるようにしたのではないだろうか。
「日記帳には、私がオズヴァルトさまを敵視していたと取れそうな捏造が残されていました。記憶を失った私が見たあと、オズヴァルトさまから逃げ出すようにという作戦だったのかもしれないです」
とはいえ、とシャーロットは言葉を重ねた。
「もちろん、それよりも何よりも、オズヴァルトさまへのどきどきが勝ってしまったのですが!」
「よし、とりあえず話を先に進めよう」
「ああ……っ!! 私を諫めるご様子が手慣れてきていらして、その横顔もクールです!!」
「何はともあれ、君の立てた仮説についてだが」
オズヴァルトの美しさを噛み締めている横で、淡々と議題が進行される。オズヴァルトは、テーブルに置かれていた一枚の紙を手に取ると、中指の背でぱしぱしとそれを叩いた。
「君が髪を乾かしているあいだに、この屋敷にある書架だけ軽く確認してきた。記憶と魂に――」
「お、オズヴァルトさま!! そそそそそれっ、その、紙を中指の背でぱしぱしなさるのはいけません!! 駄目です、格好良いです、反則で……っ」
「シャーロット。大人しく」
「はい!!」
ぴしっと背筋を正した上で、オズヴァルトの言葉に耳を傾ける。
「記憶と魂に繋がりがあると説いた文献は、少し探しただけでも出てくるようだ。とはいえ記憶と魂、それに契約魔術がそういった因果だという説は聞いたことがない。王家独自のものだから、情報が少ないのは当然といえばそうなんだが……」
「ですが、論より証拠です、オズヴァルトさま!」
シャーロットは、はいっと挙手をしてから発言した。
「オズヴァルトさまは、『実は王族』であらせられるのでしょう? つまりオズヴァルトさまには、契約魔術の命令者たる資格がおありのはず」
「……まあ、そうだな」
「ですが私はこれまでに、オズヴァルトさまにいっぱい反抗しましたよね……? 『抱き着くな』と言われても抱き着きましたし、家出のときに『待て』と言われても待ちませんでした。他にも小さなご命令に、たくさんイヤイヤをしてきたはずです」
そのときのシャーロットは、契約違反の痛みに襲われることもなかった。
「封印を解除いただいてからも、私の記憶は戻っていません。過去の光景を垣間見ましたが、あくまでそれだけです。……その上で、ランドルフ殿下の『跪け』という命令に背いても、私は無事でしたから……」
あのときのことを思い出したのか、オズヴァルトが眉根を寄せた。
(こんなお顔をなさっていますが、本当はオズヴァルトさまも、私の記憶が無くなっていることが契約から逃れる手段だとお気付きだったのではないでしょうか?)
オズヴァルトは、シャーロットのことを、王家からも逃そうとした。
それは、『シャーロットが契約魔術から逃れられている』という可能性を考慮してのものではないだろうか。
だが、合理的なオズヴァルトにとって、そんな万が一の賭けに出ることは不本意だったのもよく分かる。だから、シャーロットが出す結論は、あくまで自分自身が考えたものという形に過ぎない。
「やっぱりこの記憶喪失は、以前の私が契約から逃れて、愛しのオズヴァルトさまを自由にするために企てたこと。私はそう思うのです」
「…………」
「たとえ抗えなかったにしろ、これまでの私の行動は、想い人と結ばれるなんて許されないくらいに罪深いものですから。命令されたことであろうと、いまは記憶を失っていようと……」
自分の手のひらを見下ろして、思い出す。
戦場で亡くなった人々は、どんな思いでシャーロットに手を伸ばしただろうか。
そして、その手を払いのけられたときに、どれほど悲しかっただろう。
「その事実からは逃れられません。――そして、逃げたくもありません」
「シャーロット……」
「……私にとっての唯一の誤算は、オズヴァルトさまへの恋心が、記憶を失っても消えなかったことでしょうか……」
あの朝、目覚めたシャーロットは、一切の記憶がない中でオズヴァルトに恋をした。
けれども本当は、あの朝の一目惚れではなかったのだ。
シャーロットは子供の頃から、ただただずうっと途切れることなく、オズヴァルトのことが好きだったのである。




