60 旦那さまが決断なさったそうです!
ランドルフと同じ、銀色の髪に赤い瞳を持つ、背の高い青年だ。
人形のように整った顔立ちには、柔和な笑みが浮かべられている。
「エミール殿下……」
(先日、街にお出掛けしたときに、ドレス屋さんの前にいらっしゃったお方です!)
シャーロットはすぐに思い出した。
フェンリルの騒動が起きる前、シャーロットがオズヴァルトから離れたのは、この青年がオズヴァルトを待っていたからだったのだ。
(殿下ということは、この方も王子さま……)
「早速やったね、オズヴァルト。積極的なのは良いことだ」
「――滅相もございません。殿下」
オズヴァルトが礼の形を取ったので、シャーロットも慌ててそれに倣う。そして、頭を下げたまま考えた。
(この方が王子ということは、オズヴァルトさまの兄君さまです。あのとき、どこかで見たお顔であるように感じたのは、オズヴァルトさまと面影が似ているからだったのですね……)
答えが分かれば納得だ。あまりにオズヴァルトの顔しか見ていなかった所為で、却ってそこに気が付かなかった。
「直っていいよ、顔を上げろ。シャーロット、君もだ」
「……はい。エミール殿下」
『悪虐聖女』の振る舞いで、シャーロットは顔を上げた。記憶を失っていることは、オズヴァルト以外に知られない方が良いだろうと思ったからだ。
こうして改めて見てみると、エミールの外見は、やはりオズヴァルトにどこか似ている。
違うのは、エミールの方が中性的なところだろうか。線が細く、華奢な印象で、銀色の髪の毛もさらさらとしていた。
けれど、その繊細な外見とは裏腹に、エミールはランドルフに近付いてゆく。
そして、壁を背にして座り込んだ弟の顎を、立ったまま靴の先で上げさせた。
「起きなよ、愚弟……あーあ、駄目だ。完璧に気絶しているね?」
「本気で殴りましたから。問題がありますか?」
「はは、いいんじゃないか。そうだね、しばらくこのまま放置しておこう」
にこっと微笑みを向けられて、シャーロットはどう反応するのが正解か迷ってしまった。
エミールは、シャーロットの返事になんか興味はなさそうに、ひとりでうんうんと頷く。
「それにしても。おじいさまの承認が間に合ってよかったね、オズヴァルト」
(おじいさま……?)
シャーロットが内心不思議に思ったのを、エミールは気が付いたようだ。
「君、シャーロットに何も話していないの?」
「……色々とあって、それどころではなかったので」
「ははあ」
少々ばつの悪そうなオズヴァルトが、ふいっと顔を逸らした。その仕草が可愛くてきゅんとするが、顔には出さないで澄ましている。
「そういえばイグナーツが言っていたな、シャーロットが家出したって。なるほど、それで夫婦間の会話が出来ていないと」
「エミール殿下……」
「教えてあげるよ、シャーロット」
にこりと笑みを浮かべたエミールが、その赤い瞳でシャーロットを見る。
「――オズヴァルトはこの度、自らの王位継承権を主張して、継承権争いへの参加を宣言した」
「え……!!」
思わず声が出てしまう。オズヴァルトを見上げると、彼は額を押さえるように俯いた。
「やはりランドルフ殿下が、俺の血筋について君に話していたな」
「お、お話いただいたというか、なんというか……。あの、オズヴァルトさまは、王位を欲されたということでしょうか……!?」
「違う。そんなものに興味は無いし、与えられれば固辞するつもりだ」
「では、どうして継承権争いへの参加などを」
そこまで言って、シャーロットははっとした。
「私を、助けて下さるためにですか……?」
「…………」
オズヴァルトの沈黙が、明確な肯定を物語っている。
(ランドルフさまは王子さまで、オズヴァルトさまは公爵です。そういった主従関係にある以上、たとえ私を助けるためであろうと、オズヴァルトさまが王子さまに危害を加えることは出来なかったはず……!)
下手をすればオズヴァルトのみならず、婚姻関係にあるシャーロットまで処刑の対象になる。王族への反逆は、一家全員の死罪が原則だ。
その推測を裏付けるように、エミールが笑った。
「いままでのオズヴァルトの立場であれば、ランドルフに反撃は出来なかった。けれど我らが父上は、王位継承者同士の争いであればお認めになっているからね」
(か……過激な王さまです。利に聡い方だというお話でしたが、記憶の中の国王陛下は怖い人でしたし……!)
そしてエミールは、気絶したランドルフの周りに魔法陣を描きながら、こんな説明を続けた。
「正妃の子供でない人間が、王位継承権を改めて主張する場合、王族一名以上の推薦が必要だということになっている。そこでオズヴァルトは、退位した先代国王陛下に、その承認を得にいったというわけだ」
「それが、殿下方の『おじいさま』……」
「おじいさまは、二十年前に王位から退いている。シャーロットは会ったことがなかったよね? 退位直後に諸外国へと旅に出られて、戻って来られたのはつい最近なんだ。植物好きなお方で、あちこちの国の花を見て回ったとかなんとか……つまりは変わり者だ」
『植物が好きなおじいさん』と言われて、シャーロットの中にはある人物が浮かんでくる。
「おじいさまは、かつては名君と名高いお方でね。もちろん退位した以上、現在の国王に口出しは出来ない決まりだけれど、庶子の孫を王位継承者に推薦する力くらいはお持ちになっているんだよ」
そんな話を聞きながら、先日の出来事を思い出していた。
オズヴァルトの屋敷の庭で、あの老人と初めて会った日のことだ。
湖に落ちたマフラーを前に、老人はこう言っていた。
『どうかそんなお顔をなさらずに。孫もこの屋敷に出入りしておりますので、後ほど孫に頼み込むつもりです』
(……もしや、おじいさんが仰っていた、『屋敷に出入りしているお孫さん』というのは……?)
シャーロットは、再びオズヴァルトのことを見上げた。
あの話を聞いたとき、無意識に十歳くらいの男の子を想像していた。
しかし、あの老人の瞳の色も、オズヴァルトと同じ赤色ではなかっただろうか。
そして、白髪だと受け取っていた髪色は、エミールやランドルフたちのような銀髪にも近しい。
(あのおじいさんの正体は……)
とはいえ、いまはそれどころではない。
「あの……ですが、オズヴァルトさま」
シャーロットは、悲しい顔をしてオズヴァルトに尋ねた。
「王位継承権を主張なさったということは、今後、なにか争いに巻き込まれるということではないでしょうか? いくらオズヴァルトさまご自身が、実際には王位を目指すおつもりはないとはいえ……」
ここにいるエミールだって、継承権争いの参加者であるはずだ。オズヴァルトのことが、邪魔になったりはしないのだろうか。
「わ、私の所為で!! オズヴァルトさまが、大変なことに……」
「シャーロット。それは違う」
「!」
オズヴァルトの人差し指が、シャーロットのくちびるに翳された。
「大きな力を得ることを、俺はずっと疎んで来た。力があっても何も守れないどころか、時には暴走すら引き起こす。王族としての権力すら、邪魔なだけだと……だが、今回の一件は、その認識を改めるためのきっかけだ」
「改める、ですか……?」
「半端な力ではなく、ある程度の物事を動かせるくらいの力を得る必要がある」
そう言って、オズヴァルトはシャーロットに微笑むのだ。
「――自分の大切なものくらいは、自分の思うように守りたい」
「……!」




