58 旦那さまに差し上げたいのです!
それを理解した瞬間だ。
シャーロットの意識が引き戻され、炎に囲まれた結界に戻る。
オズヴァルトとくちびるが重なり、舌に熱いものが触れていて、その熱が全身に広がるかのようだ。
「んん……っ!!」
世界が歪み、均衡を失う。
くちびるが離れたとき、オズヴァルトは膝を突き、シャーロットをようやく床へと降ろした。
「オズヴァルトさま……!!」
けれどもそこは、転移魔法陣の上である。
光が広がり、シャーロットを包もうとした。一度転移陣が発動すれば、それに抗うことは出来ない。
「……っ!」
床に倒れ込まないよう、なんとか手を突いて、上半身を起こした。
(駄目です。……駄目。ここで、気を失ってはいけません!)
身体中が熱い。血管の中に、力が溢れて脈打つかのようだ。
左胸、心臓のあたりに封じられていた神力が、全身を巡るのがはっきりと分かった。凄まじい力の濁流により、意識が持っていかれそうだった。
(持ち堪えられない……!! 以前の私も、神力を封印された際、これに耐えきれずに気を失って……)
抗うシャーロットとは裏腹に、転移の陣が光を増す。
僅かな魔力しか使われていないため、発動までに時間が掛かっているのだ。
(あの方の、命を維持するための魔力すら、この魔法陣に費やされています……!!)
シャーロットは、纏わり付く光を振り払い、オズヴァルトに手を伸ばそうとする。
「嫌です、オズヴァルトさま!!」
けれどもオズヴァルトは、床に突き立てた氷の剣を握ると、足元のシャーロットを振り返らなかった。
「死ね、オズヴァルト……!!」
ごおっと凄まじい音を立てて、周囲の炎が燃え上がる。
ランドルフには、それが最後の高火力だったのだろう。結界が割れ、オズヴァルトの最後の指輪が砕けると同時に、辺りの炎も消え去った。
燻る黒煙の向こう側から、ランドルフが炎の剣を振り翳す。
オズヴァルトは迷わず氷の剣を持ち、燃え盛る刃を受け止めた。それぞれの魔力がぶつかり合って、青白い火花が迸る。
「オズヴァルト、貴様……!! 一体、どこに、そんな魔力が残っている……!!」
「生憎と。あなたと違い、戦場の最前線を経験している」
「馬鹿に、するなあっ!!」
ランドルフが剣先を翻し、再びオズヴァルトに斬りかかった。オズヴァルトはそれを止めた上で、ランドルフごと後ろに弾き返す。
本当に見事な魔力捌きだ。幼い頃のシャーロットが、彼に一目惚れしたのも仕方がない。それでもいまのシャーロットは、それに見惚れることなど出来なかった。
(魔力が残っているのではありません! オズヴァルトさまは、もはや精神力だけで、立っていらっしゃるに過ぎないはず)
そこまで考えて、意識が途切れる。一瞬の気絶から、床に体を打ちつけた衝撃でなんとか持ち堪えた。
「うあ……っ」
神力が戻ってくる感覚に、体や精神が耐えられないのだ。だが、必死に意識を繋ぎ止め、身を起こす。
(動いて下さい、私の体!! 戻ってくる神力に負けないで。転移からも逃れて、あの方のお役に立たなければ!! でないと)
浅い呼吸を重ねながら、確実に訪れる未来を思い浮かべた。
(このままでは、オズヴァルトさまが殺されてしまいます……!)
救えなかったという感覚は、先ほど目にした光景で味わっている。記憶が戻っていなくとも、あれは自身の身に起きた出来事だ。
「死ね……!!」
「――っ」
その瞬間、オズヴァルトが手にしていた剣が飛ばされ、彼が石床に膝をついた。
「は……っ」
「オズヴァルトさま!!」
苦しげな呼吸と共に咳き込み、オズヴァルトが肩で息をする。その顎から汗の滴が伝い、ぱたたっと散った。
「ようやくだ、オズヴァルト。ようやくずっと目障りだったお前を、消すことが出来る……」
「駄目です!! オズヴァルトさま、こちらに御手を……!!」
手を繋げば、一緒に転移ができるかもしれない。この魔法陣の魔力では無理だと分かっていても、シャーロットは手を伸ばす。
けれど、オズヴァルトは口元に笑みを浮かべたまま、それに応えてはくれなかった。
(助けられない……)
「終わりだ!!」
シャーロットはぎゅうっと目を瞑る。
決して諦めた訳では無い。
いまにも途切れそうな意識を留め、転移の発動から逃れるように、強く祈った。
(――この膨大な神力の、使い方を)
記憶の奥底に見た小さな少女に、自分自身に語り掛ける。
(どうかお願い、思い出して。……オズヴァルトさまを、お助けするために!)
その瞬間だ。
「――――――!」
シャーロットは、ぱちりと水色の双眸を開いた。
体の中に散らばっていた力が、一気にそこで噛み合ったのを感じる。
シャーロットの金色をした長い髪も、水色の瞳も睫毛もくちびるも、宝石のようにきらきらと輝いた。
あれほど熱く、苦しいだけだった神力の脈動が、左胸の鼓動に重なったのが分かる。
(……扱えます。すべて私の意思で、この神力を!)
転移の魔法陣が帯びた魔力を、シャーロットは自らの意思で遮断する。
その上で、剣を振り上げたランドルフに手を翳し、結界を作り出した。
「な……っ!?」
作り出された光の壁が、ランドルフの剣を受け止めて火花を散らした。
ふわりとシャーロットの髪が靡く。剣は炎を吹き上げたあと、炭化したように真っ黒な塊へと変わった。
ランドルフが驚いて手を離せば、床に落ちて粉々に砕け散る。
「何事だ!? いま、一体僕に何を……」
「そこを動かないで下さい、ランドルフさま」
「き……貴様こそ動くな、聖女シャーロット!! 契約魔術の元に命じる、王族である僕の命令に従い、『頭を垂れて跪け』!!」
ランドルフはひび割れた声でそう叫んだあと、シャーロットを真っ直ぐに指差した。
けれどもシャーロットは、もはやランドルフに構っていられない。羽織らされた外套の裾を翻し、オズヴァルトの元に駆けた。
「な……何故だ!? 何故動ける!! 聖女は僕に、王族の命令に逆らえないはずなのに!!」
「オズヴァルトさま……!!」
シャーロットはその叫びに構わず、大好きな人の元に駆け寄ろうとした。
しかし、膝をついたオズヴァルトは顔を歪め、苦しげに静止の声を上げる。
「来なくて良い、君は逃げろ……!」
「――……っ」
「こんな場所からも。王族からも、陛下からも逃れて、自由に好きな所に行け」
そんな風に命じられたって、シャーロットの行きたい場所なんか決まっているのだ。
「あなたのお傍に居たいのです……!!」
声を上げて、迷わずオズヴァルトに抱きついた。
彼が息を呑んだ気配がする。
シャーロットは、自分がどれほど虫の良いことを言っているのか、きちんと自覚はしているのだった。
流星群の下の雪原で、一度はオズヴァルトの傍から離れることを選んだ。
そうすることが、彼の幸せだと思っていたのに、結局はこの場所を望んでしまう。
「オズヴァルトさまが健やかで、毎日幸せに長生きして下さらなくては嫌です。それをこの目で見られなくては、私の幸せは有り得ません!」
「……シャーロット」
「ですから……!」
シャーロットは、オズヴァルトの頰に向かって両手を伸ばした。
オズヴァルトはきっと、命を賭けてシャーロットを守ろうとしてくれている。
シャーロットをここから、そして王族の支配からも逃れさせようと選んでくれた。
(夫からの贈り物を突き返すなんて、私はなんという悪妻でしょうか)
けれど、それでも。
(本当に愚かな妻でした。……私の幸せが、オズヴァルトさまの逃して下さった先には無いように、オズヴァルトさまの幸せも私には決められないものです)
シャーロットは、心からの祈りを浮かべた。
「どうか、私と一緒に幸せになってください。……オズヴァルトさま」
「――!」
そうして今度はシャーロットから、オズヴァルトへと口付ける。
(……思い描いて。守護石に、神力を移したときのような感覚を……!!)
シャーロットの中に溢れる神力を、オズヴァルトへ受け渡すように。
舌は触れず、くちびるが重なるだけの口付けに、想いと祈りを込めて捧げた。




