56 『聖女』の存在とその結果
『オズヴァルトさまのお役に立つためなら、どんなことだってこなしてみせます』
『今朝の私よりも、いまの私の方がオズヴァルトさまに恋しています。明日の私は、もっともっとあなたのことが好きになっているでしょう』
想像もしていなかった発言に驚いたが、彼女に封印以前の記憶がないことを悟ってからは、こちらも妙な警戒心が消えた。
それからのオズヴァルトは彼女の話を聞き、表情を見て、まずは居場所の分かる守護石を与えた。
その上で、魔力を無駄に消耗する監視魔術を解くことにしたのだ。
それに気付かないシャーロットは、逃げたり危険なことをしたりする素振りもない。
ただただ一心に、懸命に、オズヴァルトへと想いを注ぎ続けた。
『俺が生まれなければ、死ななくて済んだ人がいたんだから』
幼かったオズヴァルトは、いつもこんな風に自責していたのだ。
けれどもシャーロットは、そんなものを吹き飛ばすほど迷いなく、オズヴァルトに向かって真っ直ぐに言い切った。
『――私、オズヴァルトさまが生きていて下さるだけで、嬉しいので!!』
その瞬間のことを思い出し、思わず笑ってしまう。
(……君は知らないだろうな、シャーロット)
ランドルフの炎に取り囲まれ、守護石によって作られた結界の中で、オズヴァルトは静かに考える。
(君の言葉が、子供だった俺にとって、どれほど得難く。……どれほど、望んでいたものだったのかを)
耳飾りにつけていた守護石が、新たな結界を作り出すのと同時に割れる。
『オズヴァルトさまが帰って来てくださって、すごくすごく嬉しいです!』
シャーロットはオズヴァルトが帰る度に、きらきらと目を輝かせた。
かつてのオズヴァルトは、城の片隅に存在することすら疎まれて、恐れられていたというのに。
『私が恋慕う旦那さまは、なんと尊敬できるお方なのでしょうか。……そう思うと、心から嬉しくて嬉しくて、お口がふにゃふにゃになってしまいました』
そう言って、オズヴァルトがやることなすことを、心底幸せそうに眺めている。
それは、オズヴァルトが王族の利にならない行動を取ると、すぐさま処分を仄めかしてくる父とは真逆のまなざしだ。
泣いてしまった彼女に対し、どうすれば泣き止むのかと尋ねると、シャーロットは泣きじゃくりながら言葉にしたのである。
『オズヴァルトさまが健やかで、毎日幸せに長生きして下されば』
(――そんなことを、誰かに願われたことなんて、一度もなかった)
燃え盛る炎を抑え込みながら、オズヴァルトは小さく息を吐き出す。
「オズヴァルトさま……!」
抱きかかえているシャーロットが、死にそうな顔でこちらを見ていた。
彼女が暴れれば、ぎりぎりで制御している結界が不安定になり、守護石による防御が難しくなる。
それが分かっているからか、シャーロットはあまり動くことも出来ず、悲痛な声でオズヴァルトを止めようとするばかりだ。
とはいえ、シャーロットがこれまで以上の抵抗を見せ始めたのは、足元に出現させた魔法陣が原因だろう。
「どうして、なぜ転移陣を……!! ただでさえ、魔力がほとんど枯渇なさっているのに、これでは御身が……!!」
「転移陣なのだから、これは転移のために使う」
守護石の数は、残りひとつだ。
ランドルフの魔術を制御できるほどの石は、それほど出回っていない。炎に遮られて姿の見えないランドルフは、確かな実力を持っているのだった。
「ですが、この陣に込められている魔力では、ひとりの転移が限界です……!」
「そうだな」
オズヴァルトが何をしようとしているのか、シャーロットはどうやら察している。
「これより君を、この塔からなるべく離れた地点まで飛ばす」
「いけません! それでは、オズヴァルトさまが危険ではありませんか……!」
本当は、ハイデマリーの邸宅まで転移させたかったのだ。しかし、生憎オズヴァルトに、そこまでの魔力は残っていない。
そのことを察しているのだろう。シャーロットは必死に首を横に振る。
「オズヴァルトさまがお逃げください。どうか、どうかお願いですから……! 私を助けにいらっしゃらなければ、オズヴァルトさまは危険な目に遭わずに済んだのです……!」
「元はと言えば。君があいつに攫われたのも、俺が原因だ」
つくづく自分は、厄介な存在なのだと自嘲する。
「……君は恐らく、このあと気を失ってしまうだろう」
「――まさか」
己に出来る限り、一番柔らかく微笑んで、彼女に告げた。
「この外套があれば、織り込まれた魔力の効果で、外で眠っても凍えずに済むはずだ。……気絶から目が覚めたら、俺のことには構わなくていい。ハイデマリー殿のところへ転移しろ」
「……!!」
そこでいよいよ、シャーロットの顔色が変わった。
ランドルフの怒鳴り声と共に、炎の勢いが増す気配がする。
最後の守護石が壊れる前に、抱えているシャーロットの首裏に手を添えた。
「君は以前、『自分には俺を好きなことしか取り柄がない』と言っていたが、そんなはずはない」
「オズヴァルトさま……!!」
「俺は、君の存在に救われた。……そして、『悪人は幸せになってはいけない』とも言っていたが、それも間違いだ」
シャーロットをぐっと引き寄せる。
オズヴァルトの目的を果たせば、シャーロットの意識はそこで途切れてしまうはずだ。
だから、そのつもりで言葉を選ぶ。
「少なくとも、俺は」
最後に一度、間近に視線が重なった瞬間に、彼女へと告げた。
「――俺の命を失ってでも、君を幸せにしてやりたいと、心からそう願う」
「……っ!!」
そうしてオズヴァルトは、シャーロットに柔らかく口付ける。
くちびるを開かせ、舌で触れて、そこに刻まれた封印を解き放った。




