55 『英雄』の過去とその実態
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『オズヴァルト、お前には利用価値がある』
オズヴァルトが自身の記憶を辿るとき、真っ先に思い浮かべるのは、父である国王の言葉だった。
広大な謁見の間で、赤い絨毯の上に押さえつけられ、玉座にいる父を見上げていた。
あれは、何度目かの魔力暴走を引き起こし、父によって封じられた直後の出来事だ。
『齢七つにして、これほどの魔力を扱うとはな。お前の魔術はいずれ、他国を脅かすほどの、強力な兵力となるだろう』
言葉ははっきりと思い出せるのに、父の顔だけはひどく不鮮明で、塗り潰されたように真っ黒だ。
『だからお前を殺しはしない。私の役に立つ限り、お前は大切な私の息子だ。……とはいえ、その存在を公にするかどうかは、別の話だが』
『……』
父が刻んだ封印の陣は、オズヴァルトの首、大人になれば喉仏が浮かんでくる辺りの位置に浮かんでいる。
術者である父の陣は、彼の右の手のひらに存在していた。
封印の際、首を絞めるように押さえつけられていたお陰で、喉元がひどく痛んでいたことをいまでも思い出せる。
『そう睨むな。お前が反抗的だと、もっと厳重な監視をつけなくてはいけなくなる。痛いのは嫌だろう? オズヴァルト』
『…………』
『あまりに生意気を言うようであれば、お前は殺した方がマシだということになる。分かったら、聞き分けよくしていることだ』
そして父は、オズヴァルトの言葉を一言も聞くことはなく、臣下に指示をしたのだった。
『オズヴァルトを塔に戻せ。遊び相手が足りないようなら、ランドルフでもニクラスでも行かせておけば良いだろう』
『はっ、陛下』
魔術師たちはオズヴァルトの腕を掴み、有無を言わさずに連れて行こうとする。
無理やり立ち上がらされたオズヴァルトは、魔術師たちの手を振り払うと、自分で歩いて行こうとした。
それを見た父は、笑ったのだ。
『……つくづく、お前が生まれる際に、母親を殺してくれて助かったな。あの女は、お前を私に奪われないようにと、お前を産んだことすら隠すつもりでいたのだから』
『――――……』
『でかしたぞ。我が愛息子、オズヴァルトよ』
まるで、素晴らしい成績を残した子供を褒めるかのように、父王は言う。
『だが、同時に忘れるな。……母親すら殺してしまうような、お前という化け物が平穏に生きるには、私の庇護下にいるしかないのだということを』
『…………』
オズヴァルトは、父を振り返らなかった。
その人物は自分の父親ではなく、あくまで国王という存在であることを、物心ついたときから理解していたからだ。
謁見の間から自室に戻されたあと、世話係たちが青い顔で出迎えにきた。
オズヴァルトの存在を知るのは、城内でも数少ない人間だけだ。
幼いオズヴァルトが接するのは、ごく限られた数人の臣下たちだったが、彼らは例外なく怯え切った目でオズヴァルトを見ていた。
彼らが、オズヴァルトのいない場所で密かにこう話し合っていることを、不意に耳にしたことがある。
『――オズヴァルトさまを刺激するな。あの方のお怒りに触れでもしたら、我々など一瞬で焼き殺されてしまうらしいぞ』
『なんと恐ろしい……!! 何があろうと、絶対に目を合わせない方がいい。無駄な会話も一切控えて、なるべく距離を置いておくんだ』
彼らの恐怖心を知っているから、オズヴァルトは、彼らに関わろうと思わなかった。
牢獄のような部屋に戻されると、部屋の片隅、壁の一面が凍り付いたままだ。
自身の魔力が暴走し、辺りを氷漬けにしてしまった所為だった。
この日の夕刻、異母兄たちはこの部屋で、オズヴァルトを踏み付けながらこう言ったのである。
『聞いたかオズヴァルト! 王族の恥晒しが。お前はもうじきこの城から追い出されるんだ、喜ばしいなあ!』
『お前、田舎の男爵家の末子だってことにされるんだって? どれほど魔力が強くても、魔術の扱いが達者でも、やはり父上はお前を王子とお認めにはならなかった。ははは、見たことか!』
『お前は可哀想だな、オズヴァルト。卑しい母親が産んだのでなければ、僕たちの弟として認められたかもしれないのに! ……もっとも、こんな化け物が純血である方が迷惑だったが』
溶けかけて濡れた氷の表面には、鏡のようにオズヴァルトの顔が映り込んでいた。
(……化け物……)
数ある魔術の属性の中でも、氷魔術は得意ではない。
どうやら、血筋として根本的に、氷とは相性が悪いのだそうだ。
けれど、氷が一番安心できた。
これならば、少々の暴走を起こしたとしても、すぐさま他人の命を奪うことが少ないからだ。最も相性の良い炎魔術は、生まれてすぐに母を殺してしまった魔術であり、意図的に使うことを避け続けていた。
おかげで、ある程度の年齢になってくると、暴走の際に発動するのも氷魔法であることが増えていったのである。
(俺は化け物だ。そんなことは、自分で分かってる)
その感覚は、ずっとオズヴァルトの中にあった。凍った壁に額を押し当て、目を瞑る。
(俺が生まれなければ、死ななくて済んだ人がいたんだから)
姿絵で見た母の姿は、本物を知っている父よりも鮮明だ。
だが、あの黒髪の女性の命を、他ならぬオズヴァルトが奪ったのである。
(……どうしたら、許される?)
オズヴァルトは、ずっとそんなことを考えていた。
(俺が、悪い奴とたくさん戦えばいい)
強くなろうと思った。弱い相手に暴力を振るう人間を見つけたら、歳上だろうと構わずに敵対し、傷だらけになってでも戦おうと。
(戦場で、この国の敵をたくさん倒して……)
苦手な氷魔法を克服し、治癒以外の全属性を使いこなして、誰にも負けない魔術師になれば。
(……それから、困っている人をたくさん助ける。誰も頼る相手がいなかったっていう、母さんみたいな人を、誰も見捨てない……)
そう信じて、自身にさまざまなことを課したのだ。
魔力の暴走を決して起こさず、異母兄弟から何をされても耐え、ひたすら大人しくした。
異母兄たちに殴られようと、罵倒されようと、澄ました顔で頭を下げ続けたのである。
苦手だった氷魔術が、もっとも扱いやすい魔術として馴染んだ十歳のころに、魔術学院への入学を命じられた。
最初は誰も信じていなかったが、やがて得ることの出来た友人たちは、みんな似たような何かを抱えた人間ばかりだ。軽薄に見えるイグナーツだって、同等の事情を抱えている。
そんな友人たちも、イグナーツを除き、戦場でみんな死んでしまった。
『どうして、助けてくださらなかったのですか……?』
終戦後、友人たちの遺された家族は、訪れたオズヴァルトにそう言った。
『あの子はいつも言っていました、「オズヴァルトは強い」と。「あいつがいれば、俺たちが負けるはずはない」と、そう笑って……』
その言葉は、オズヴァルト自身も聞いていた。
友人は冗談でも言うかのように、けれども瞳は至って真摯に、繰り返しそう言っていたのだ。
『私たちの息子を、どうして守ってくださらなかったのですか?』
『……御母堂』
『ラングハイムさま。あなたが本気で助けようとしてくださっていれば、息子は死ななかったのではないですか……? 戦場で、敵を殺すことではなく、味方を守ることを重視して下さっていれば……!!』
友人の母だったその女性は、細い肩を震わせながら振り絞ったのだ。
『あなたが、守ることよりも殺すことを選んだから、あの子は死んだのではないですか……!!』
『……っ』
その叫びを正面から受け止めて、オズヴァルトは頭を下げた。
『お詫びの言葉もございません。――本当に、申し訳ございませんでした』
終戦後、オズヴァルトを英雄視する国民はたくさんいた。それこそ、父がオズヴァルトに関心を示し、異母兄たちが一層オズヴァルトを敵視するようになるほどに。
しかし、その中には確かに、オズヴァルトを糾弾する人々も存在したのだ。
オズヴァルトは、戦争で亡くしたすべての仲間の遺族に会いに行った。同行した魔術師の中には、オズヴァルトの代わりに憤った者もいる。
『オズヴァルト殿に、責は無いはずでしょう。先ほどのご友人が亡くなったのは、聖女シャーロットが、「ドレスを汚したくない」などと宣って治癒を放棄したからです……!』
『違う。……聖女のことは俺も許せないが、そもそもあいつらに負傷させなければ、命を落とさせずに済んだんだ。俺が力及ばなかったことに、聖女の行動は関係ない」
『オズヴァルト殿……』
多くの人々は、オズヴァルトを英雄と呼ぶ。
けれども思い出せるのは、焦土と化したあの戦場だ。
(俺があの場所でやったことも。――結局は、母を殺したときと変わらない、魔術を使った人殺しだ)
それからのオズヴァルトは、戦場で功績を立てたことを大義名分に、さまざまな『望まないもの』を与えられることになった。
独り身だった養父が亡くなり、ラングハイム公爵家を継ぐことになったばかりでなく、史上最年少で師団長の座についた。
極め付けは、戦争が終わってから、おおよそ二年が過ぎようとしていたときのことだ。
『聖女を娶れ、オズヴァルト。あの神力をすべて封じた上で、シャーロット・リア・エインズワースを妻として迎えるのだ』
父王は、オズヴァルトにそう命じた。
当然、心には嫌悪感が浮かんだ。あのときのオズヴァルトにとって、シャーロットは間違いなく悪女であり、忌むべき存在だったからだ。
『……国王陛下。恐れ多くも、ご命令の意図が私には』
『説明など不要だろう? 私が娶れと命じたからには、娶れ』
その言葉に、おおよその思惑を察する。
(このところ、俺の元に来る縁談の数が無視できないほどになっている。下手に名家の後ろ盾を得て、俺が想定外の行動に出られないようにという狙いか。……国中から憎まれている聖女であれば、神力を封じてしまう限り、俺の妻に置いても脅威にはならない)
恐らく父は、オズヴァルトの動向を観察している。現状は国にとっての利になるが、いずれどうなるか分からないという疑いを持っているのだろう。
『近年、聖女の癇癪は度を超えて、私も面倒になってきた。大きな戦争もない今、聖女でなければならない治癒も少ないのでな。……だが、扱いを間違って聖女を逃し、他国に獲得されるわけにもいかない』
『…………』
その時点でのオズヴァルトは、固辞する手段を探していた。
どれほど見た目が美しくとも、たとえ仮初の契約結婚であろうとも、あのような悪人を妻にするつもりはなかったからだ。
『神力を封じ、お前の妻にでも置いておけば、少しは御しやすいだろう?』
オズヴァルトの考えを、ほんの僅かに変えたのは、父王の言葉がきっかけだ。
『――それでも生意気を言うようであれば、聖女は殺してしまえばいい』
『…………』
父にとって、さしたる意味もない言葉だっただろう。
けれどもオズヴァルトには、確かに覚えがあるものだった。子供の頃、父はオズヴァルトを見下ろして言ったのだ。
それは、『あまりに生意気を言うようであれば、お前は殺した方がマシだということになる』という、冷淡な言葉なのだった。
(……稀代の聖女も、俺と同様の存在か)
そう思い、跪いたままで目を細める。
(どれほどの力を持っていようと、それによって国に貢献しようと、邪魔になれば殺されて処分される。……まさか、こんなところで『聖女』と俺が似た存在だとはな)
理由はたった、それだけのことだ。
オズヴァルトにとって、シャーロットは憎んでおり、忌み嫌っている存在だった。
けれど、オズヴァルトは決めたのだ。
『承知いたしました』
顔を上げ、目の前の男の赤い瞳を見据える。
『聖女シャーロットを我が妻とするご命令。――謹んで、拝命いたします』
そしてオズヴァルトは、シャーロットとの婚姻を結ぶことになったのだ。
抵抗する彼女を魔力で押さえ付け、教会で婚儀の契約と交わすと共に、口付けをして神力を封じた。
そして気を失った彼女を、オズヴァルトは自邸へと連れ帰ったのである。
(聖女の方も、俺をさぞかし憎み、嫌っているだろう)
だが、そんなことは慣れきっていた。
戦場で成果を出さない限り、オズヴァルトの存在を認める人間などごく僅かだ。
とはいえ、シャーロットがなおも抵抗するようであれば、最終的には本当に殺さなければならなくなる。それは億劫に感じられて、彼女が目覚めなければいいとさえ思っていた。
けれど、実際にシャーロットが発した言葉は、オズヴァルトの想像を遥かに超えるものである。
シャーロットは、薔薇色に紅潮した頬と、この世で何よりも素晴らしいものを見詰めるかのようなまなざしで、こう言った。
『――――私、あなたに一目惚れいたしました!』
【お知らせ】
本作品が、書籍化することになりました!
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発売時期やイラストレーターさまなどの詳細につきましては、また後日ご報告させていただきます。
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