53 旦那さまのことなら分かるのです!
「く……!! なんだ? お前、さっきまでと態度が違うどころか、雰囲気まで……」
(あわわわ、いけません! ついつい耐えきれずに、色々と弾け出てしまいました……!)
はむっと両手で口を塞ぐが、言葉は取り消せない。しかしランドルフは、シャーロットの変化そのものよりも、発言の内容が許せないようだった。
「大体が! 何故そんなにも、オズヴァルトを称賛する……!!」
「何故、と言われましても……」
こうなっては、取り繕っても仕方がないだろう。シャーロットは、かつての自分らしき振る舞いをやめ、改めてランドルフへと向き直った。
「母君がお亡くなりになったのは、大変に痛ましいことです。ですがそれは、オズヴァルトさまの非であるはずもございません」
「な……っ」
「幼少期に魔力が暴走したという件も、体調や精神の不調によって起こるものですから。……それについて誰かが責められるとすれば、幼いオズヴァルトさまではなく、いたいけな幼な子を掻き乱した存在ではありませんか?」
「…………っ!!」
心当たりがあったのか、ランドルフの瞳が揺れた。
「オズヴァルトさまに過去、どのようなことがあり、それによって何が起きていたとしても。――私が、あのお方をお慕いする気持ちに、揺らぎが起こることなど有り得ません」
そう告げたシャーロットの心の中に、ある思いが生まれる。
(……あのとき、流星群の下でオズヴァルトさまが仰ったことも、近しい意味を持つものだったのでしょうか? ……過去に何をしていたとしても、私だって、幸せになって良いのだと……)
けれど、自分自身に対してもそう考えるのは、いまのシャーロットには難しい。
我ながら矛盾した心情だと、なんだか不思議にも思うのだった。
「私はオズヴァルトさまが大好きです。あのお方のお言葉や行動、お考えになることのすべてを恋い慕っています! オズヴァルトさまを称賛するなど、呼吸をするよりも自然なこと」
「……黙れ……」
「やっぱり、まだ語り足りませんよね? ランドルフさまがよろしければ、私はオズヴァルトさまの素晴らしさを言い尽くしましょう!!」
「黙れ黙れ黙れ!!」
その瞬間、ランドルフが手を伸ばし、シャーロットの襟元を掴み上げた。
「うあ……っ!」
「僕の神経を逆撫でしたいか?」
ドレスの襟首が絞られて、非常に呼吸がしにくくなる。
「喜べ、それは大成功だ……!!」
シャーロットはぎゅっと眉根を寄せたまま、ランドルフを見上げた。
「僕を馬鹿にしているんだろう!? あんなやつが、オズヴァルトが、僕たち兄弟よりも優れた存在のはずがない!! あいつには汚れた血が混じっている。そうだ、王位を継げる可能性なんて無いはずなんだ……!!」
「……オズヴァルトさまはっ、素晴らしいお方です……!!」
「黙れと言っているだろう!! まあいい、どうせお前の使い道は、ただひとつだ!!」
赤く濁ったその瞳は、オズヴァルトの瞳とはまるで違った。
シャーロットの襟首を締め上げる力が、ますます強くなる。
「待っていろ! お前をここで死なせた上で、オズヴァルトの汚点にしてやるからな……!!」
(第三者が、オズヴァルトさまをどのように汚そうとしても……!!)
オズヴァルトの気高い存在が、曇ることなど有り得ない。
すぐさま反論しようとして、シャーロットはぴたりと言葉を止める。
(もしや、この気配は……?)
息苦しさを忘れたシャーロットは、愛しい名前を口にした。
「――――オズヴァルトさま……」
「っ、は……!?」
ランドルフが、明らかにたじろいで表情を歪める。
「な、なにをいきなり……」
「もうすぐここに、オズヴァルトさまがいらっしゃいます。……結界のすぐ外側に、いらっしゃるのを感じるのです」
「馬鹿を言うな!!」
「んん……っ!!」
ぎりっと引き絞る音がして、シャーロットはますます苦しくなった。
「妙なことを言い出したかと思えば……この塔は、強固な結界に包まれているんだ!」
彼がこの場所に来た理由など、何故かと考えるまでもない。
「少々の魔術や魔術具では、外側に居場所を伝えることすら出来ない。オズヴァルトが、この場所を探り当てられるはずもない!!」
ここにどんな危険があろうと、オズヴァルトはとてもやさしいのだ。シャーロットの異変に気が付けば、見過ごすはずもないのである。
(いらしては駄目です、オズヴァルトさま……!)
ランドルフの手首を掴み、なんとか酸素を確保しようとしながら、シャーロットは祈った。
「それに、この部屋は石壁に囲まれているんだぞ!?」
オズヴァルトの魔力の残量は、きっといまも枯渇しかけているはずだ。
そしてここにいるランドルフからは、確かに強力な魔力を感じる。
ここに張られた結界も、先ほどシャーロットに水を掛けた際の魔法陣も、一流の魔術師によるものだと察知できた。
(いまのランドルフさまは本気です。オズヴァルトさまを、害そうとなさっている……!! どうか、どうか、来ないで下さい!)
「お前はでたらめを言っている。いくらなんでも、外にいるオズヴァルトの気配が掴めるはずもないだろう……!!」
いいや、シャーロットには掴めるのだ。
(分かります。大好きな、オズヴァルトさまのことですもの……)
彼が帰ってきてくれると、心がわくわくと嬉しくなる。
足音が聞こえなくとも、かすかな気配だけで喜びが溢れた。
毎日、毎日、オズヴァルトがシャーロットの待つ屋敷へ戻るたびに。
いまも感じている彼の魔力が、思い違いであるはずはない。
だからこそ、シャーロットは祈るのだ。
「……ランドルフ、さま……! どうか、なにとぞ結界を強固に……!!」
「な、なんだって……?」
「結界の力をもっと強めて下さい、お早く!!」
心から、ランドルフに懇願する。
「絶対に破られないような、もっと強力な結界でなければ……! そうでなければ、もうじきにオズヴァルトさまが、この結界を破ってしまいます!!」
無理矢理にそう叫んだシャーロットに、ランドルフが動揺して手の力を緩めた。
「……っ!! けほっ、こほ……っ!!」
ようやくたくさんの息を吸えて、咳き込んでしまう。
床へと崩れ落ちたシャーロットを横目に、ランドルフが壁を睨みつけた。
「……こんな馬鹿なことが、あるはずもない……!!」
(……ああ……)
みしり、と軋むような音がした。
(駄目です。……駄目、だめ、来てはいけません……!!)
祈るような気持ちでそう願う。
けれど、何かが崩壊するような歪な音は、どんどん大きさを増してゆくのだ。
「この場所を見付けられるはずがない。ましてや、この王室最高峰の結界が、外から破れるわけもないのに……!!」
シャーロットは、部屋の外にいる存在を、あらためてしっかりと感じ取った。
(オズヴァルトさま……!!)
その直後だ。
どんっと大きな衝撃が走って、室内に突風が吹き込んだ。
「――――――……っ!!」
硝子が割れるような音とは別に、石壁の崩れ去る音もした。
凄まじい冷気が辺りを覆うが、シャーロットの胸元から溢れた光が、守るように包み込んでくれる。
辺りは一面凍り付いて、床も天井もすべてが氷に覆われた。
無事なのは、光に包まれていたシャーロットの周囲と、小さな結界で自身を守ったらしいランドルフの周りだけだ。
「う……」
恐る恐る顔を上げたシャーロットは、無残にも砕け散った壁を見た。
ぽっかりと空いた穴の向こうに、鮮やかな転移の魔法陣が浮かんでいる。
土埃は、辺りの空気を濁らせたままだ。
それでも響く靴音を、シャーロットが聞き間違えるはずもない。
氷で出来た剣を手にし、青い外套を翻したその人物が、シャーロットの目の前に現れる。
「……っ」
愛しい姿をこの目で見て、思わず泣きそうになってしまった。
(どうして……)
『どうしてここに、来てしまったのですか』という言葉を。
『ごめんなさい』という謝罪を、『助けて下さってありがとうございます』という感謝の気持ちを、きちんと声にしたかったのだ。
けれど、シャーロットに紡ぐことが出来たのは、たったこれだけの音だった。
「……オズヴァルトさま……!」
オズヴァルトは、ずぶ濡れのシャーロットを見下ろした。
彼が手にしていた氷の剣を、凍りついた床へと突き立てる。
そしてオズヴァルトは、すぐさま自身の青い外套を脱ぎ、シャーロットの肩に掛けてくれた。
目覚めたばかりのあの朝、凍てついた部屋でくしゃみをしたシャーロットに、彼がそうしてくれたときのように。
「……迎えに来たぞ。ちゃんと待っていたか?」
「……っ!!」
跪いてそう言ったオズヴァルトが、外套ごとくるむようにシャーロットを抱き上げた。
ふわりと体が浮き上がり、びっくりして悲鳴を上げそうになる。
片手で軽々とシャーロットを支えたオズヴァルトは、もう片方の手でシャーロットの襟元に触れた。
ドレスには、ランドルフに掴まれた跡がくっきりと残っているだろう。けれどもいまは自分より、オズヴァルトのことが心配だ。
「駄目です、早くここから逃げて下さい、でないと……!!」
「君の無事を確かめるのが先だ」
「!」
オズヴァルトの指が、シャーロットの首筋に触れる。
華奢な金色の鎖を引っ張り、襟の中から水色の石を覗かせる。
「……さすがは国宝級の石だ。分厚い結界を通しても、感知出来る」
「こくほう?」
「君が、言い付け通り『迷子札』をずっと離さずにいてくれたおかげで、こうして見付け出せた」
オズヴァルトは、満足そうに目を細めると、柔らかな表情でシャーロットに告げた。
「良い子だ。――――偉かったな、シャーロット」
「…………!!」
向けられたのは、『オズヴァルトにそう褒めてもらえたら、嬉しさで一生頑張れてしまう』とねだったことのある言葉である。
浅ましいことだと分かっているのに、体が震えるほど嬉しかった。
「オズヴァルトさま……っ」
シャーロットは、オズヴァルトにぎゅうっと抱き着いてしまう。




